1 婚約期間のはじまり
前々から書きたかったトール王子の恋のお話の芽が出ました。
忘れないうちに書き始めました。
本来の主役組もいちゃいちゃするかもしれません。
よろしくお願いします……!
「――では、そういうことで。イゾルデ殿」
「ええ。このたびは息子がとんだ真似を……。申し訳ありませんでしたわ」
「いえいえ! とんでもありません。こちらこそ、降って湧いたようにまたとない良縁で」
「まあ。うふふっ」
ドレスが揺れる、さらりと衣擦れの音。それを見送るために椅子から立ち上がる音。
テーブルを挟んで向き合うのは、豪奢に着飾った貴婦人と恰幅の良い紳士が一対。
いま、まさに重要な会談を終えたところだった。
* * *
白と金を基調に整えられた客用の応接間の一室。
夏の日差しがまばゆいテラスからはやや遠く、影にあたる位置に長卓と椅子がある。
ゼローナ全土を華々しく駆け抜けた王太子夫妻の結婚式の話題は、まだ充分に民草や貴族の間で交わされていた。
それはここ、首都の小高い丘陵地にそびえる王城ではなおのこと。王太子の凛々しさも初々しい王太子妃のうつくしさも夢のような余韻をもって、人びとの胸をうっとりと幸福感で満たしている。
王家の慶事をここまで喜べるのもまたとないことだと、羨む他国からの賓客へは礼を尽くした宴でもてなし、それぞれに満足顔でお帰りいただいた。
無論、ついでに種々の外交案件もゼローナ主導の形で片付けてある。
現在、そんな一段落した王城で、涼しげに藍色の髪を結い上げて口元に扇を寄せるのはイゾルデ・ジェイド女公爵。
将軍でもあるかの女性は、娘が王太子妃に立ったばかりとあって、太子夫婦が新婚旅行を兼ねた外遊に赴くまではと滞在期間を伸ばしていた。これから北の領地へと戻るところだ。
いっぽう、にこにこと相対するのは赤みがかった巻毛の壮年男性で、体型はふっくら…………もとい、福々しい。ひとの好さそうな面差しのミュラー・エスト公爵である。
東の良港を有する根っからの商人気質とあって、その笑顔は抜け目ないものの、両家にはとくに確執はなく、反目はない。また、格段の繋がりがあるわけでもなかった。これまでは。
イゾルデ側の立会人が一名、こほん、と咳払いをした。
「失礼。両閣下。それでは当面、ジェイド家嫡子ルピナス様とエスト家次女ミュゼル様は、秋口までは王都で婚約お披露目を兼ねてお過ごしになること。挙式は再来年の晩夏、ジェイド公爵領にて。おふたりともにそれまではジェイド公爵家を基盤に準備していただくと。――よろしいですね?」
「ええ」
「そのように」
鷹揚に頷く貴人ふたりに、エスト家側の立会人が恭しく一礼する。
同様の写しはこちらにもあった。
口頭での確認で、今日の両家の私的なつとめは終了。
国王からの許可はとっくに降りており、順風満帆な若い令息令嬢であった…………のだが。
ふと、退室のための扉をひらくイゾルデに、ミュラーは声をかけた。
「あの。じつは、今朝から娘の姿がないのですが。王都北公邸に?」
「? いいえ。そういえば息子も見ておりませんが」
「あっ。あの……申し訳ありません。お二方でしたら」
そのとき、扉を押さえていた王城内侍官がおそるおそる発言した。超大物の二名から見つめられ、冷や汗をかきながら続ける。
「今朝ほど、第二王子トール殿下より招致があったと。たいへん早い時刻にお越しでした。いまごろ、トール殿下の研究棟かと思われます」




