誓いをあなたに(後)
「ルピ、ナス……?」
きょとん、と問い返して見上げた彼の顔は苦しそうでもあり、切なそうでもあって破壊力が半端なかった。
左手は背中に。右手はそっと後頭部に添えられている。
長身の部類ではないルピナスは、それでも小柄なわたしより上背がある。かつ、騎士としてもちゃんと鍛えているので――本人に言えば必ず怒られるとわかっているが、中性的なのは顔だけ。
胸板も腹筋も腕まわりの筋肉もきちんと備わっているので、多少の身じろぎではびくともしないと本能でわかった。
たぶん、ある種の混乱に陥っての冷静な観察を経て、次の瞬間、わたしは怒涛の勢いで羞恥の渦に叩き落された。
「だめだ。ミュゼルは可愛いから、もう待てない」
「…………は?」
「返事を聞かせて。婚約してくれる?」
「えええ、あっ、あの……ルピナス? まさかわざとなの?」
「? わざとって――?」
質問の意図が伝わらなかったのだろうか。
わずかだが体を離され、夜色の瞳にさらされる。瞬きした拍子に、彼の長い睫毛がこめかみを擽った。
(!! わっ)
顔はもう限界まで赤いと自覚する。口もとがわななく。
伏し目がちな黒瞳。
日焼けしてもきめ細かな肌に、下手に仰向けば触れてしまうに違いない、文句なくきれいなのに獰猛そうに見えて仕方がない唇。
――どうしよう。
もしも『そう』なったら、きっと、もう何も考えられなくなる。
あまりの近さに頭がクラクラするのに、背中を支えられているから倒れることもできない。
胸の内側を浸すのは軽い絶望に酩酊感だった。理性をめった打ちにする容赦のない多幸感に、自分の輪郭がひどくあやふやになった気がする。
それでも訊くべきことを口にしたわたしは偉いと思う。心の反作用がひどい。
だから、ものすごく、ものすごく声をひそめて囁いた。
「わっ、わたしの力が要るって。神殿側で何かあったって言ってたでしょう。あれは嘘? わざと、父と一芝居打ったの……?」
「ああ。それは本当」
「…………――へ?」
「ごめん。つい、私的な理由できみを連れ出したけど。祝典の魔法係に欠員が出て、制御力に長けた使い手が急遽必要になったんだ。風魔法の」
「!!!!」
そ れ を。
早く言いなさいよ、という台詞はえぐえぐと込み上げた涙と一緒に飲み込んだ。わたしのテンパリを返せ。
一つ、二つと深呼吸するわたしを、ルピナスは心配そうに見つめている。ああもう悔しい。
すっかり落ち着きを取り戻したわたしは、にっこり微笑んで小首を傾げ、仕返しに自分からも抱きついてみせた。
「っっ!!!!?!? あ、え……。その、ミュゼル?」
(あら)
驚いた。形勢逆転の大勝利だ。
とたんに紅潮し始める令息殿に、ほんの少し溜飲を下す。ややすっきりしたところで、跳ねる心臓はそのままに笑顔を添え、質問を変えた。
「教えて。わたしは、何をすればいいの?
国事なのはもちろん、大切なお友だちの結婚式なんですからね。うやむやになんか、絶対にさせないんですからね?」
「――――ハイ」
「よろしい」
ふんす、と満足げに頷いたとき、素早く額に唇を落とされてしまったが、バッと離れてそこに手を遣り、上目遣いで睨むのに止めておいた。
確信した。
油断も隙もないのは、彼のほうだ。
軽く諸手を挙げて降参の姿勢をとったルピナスが、肩をすくめて話したのは……。
* * *
わああぁ……と、潮騒のような歓声。鳴りやむことのない拍手に民の喜びの声。
つつがなく大神官様の介添えで主神の祝福を得て、神殿内での儀式を終えた二人が尖頭アーチの門をくぐる。
騎士たちによって厳重な規制を敷かれているものの、大神殿にはひと目王太子と麗しの王太子妃を見ようと、都の内外から人が押し寄せている。
そんな彼らに手を振り、幸せそうに微笑む王太子夫妻と、時を同じくして天上から舞い散る色あまたの花びらの雨に、場はより一層の興奮に包まれた。
水色の空に映える、光をまとう花吹雪は尽きることなく民と次代の王国の担い手たちに降り注ぎ、天からの祝福そのものを体現する。
――――はるか東。
ひらけた海のある彼方より心地よい風が吹き抜けて、どこからともなく花びらと光を降らせた。
花は、遠くエスティア産の薔薇が用いられていた。
大神殿のアーチ上方にあるバルコニーから、こっそり魔法で巧みにそれらを操るのはミュゼル・エスト。古の船を運ぶ風に愛されたという一族の公女だ。
民の誰もが熱狂で気づかないその場所には、彼女を守るように佇み、彼女が風にさらわれないように後ろから抱きとめている公子の姿もあった。
けれど、二人は、いまはつとめに懸命で。
それを終えれば、はたと気づくのだろう。
互いに顔を見合わせ、それこそ花がこぼれるように。
「……婚約は?」
「ばかね。もちろんよ」
「え?」
はちみつ色の瞳をすがめ、愛しそうに想い人の頬に顔を寄せるミュゼルに、藍色の髪のルピナスが夢のようにほほえむ。
ひときわ爽やかな風が吹き抜け、花びらはバルコニーと神殿の周囲一帯までを巻き込んだ。
王都を光はらむ東風で染め上げた幸せな瞬間は、これからもずっと。
きっと、二人だけの内緒の、魔法のように日々を彩って。
fin.
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