49 見つけた! ☆
――今日は、精いっぱいおめかしをした。
空気をはらむストロベリーブロンドは丁寧に内側へと巻き、こめかみから胸下へ流す。残りは左右に分けて耳の後ろに結い上げ、ゆったりとまとめた。
臙脂色の細いリボンはドレスの胸飾りやチョーカーとお揃いで、舶来の繊細な白レースを施したそれは自分の肌色によく映えるはず。かつ子どもっぼくならない選択で、どぎつくもない。
葵色の絹のドレスは灰色がかった淡い紫で、菫よりも深い光沢がある。肩や袖にはふんだんにレースが使われ、透け感を演出しているので涼しげでもある。イヤリングには、ごく小さな涙型のピンクサファイアをあしらって。
カラカラ……と、車輪が王都郊外の轍をゆく。車窓は次々と初めての光景を映し出す。
ミュゼルはそれらを一瞥したあと、改めてたっぷりとした袖を返し見て、自身の装いを確かめた。
(大丈夫。これなら乗り込めるわ)
――語弊がある。
特段、どこかに奇襲をかけるわけではない。
たまたま兄が王城に出かけたあと、父から最新の知らせが届いた。『レナードかミュゼルか、どちらでもいい。午前のうちに南公の元へ赴いてほしい。会議前に三公で解決した事件のあらましを共有をしておきたいから』ということだった。
『北公邸は通り道にあるから儂が行く』とも。
要約すると、これから先もしも北公領や南公領で“眠れる美女の魔法薬”が見つかった際の取り決めと、諸侯への通達を国内で統一するための根回しだった。
知らせを受けたミュゼルは、さすがは三公一の交渉上手、ミュラー・エストだな……と、妙に感心した。
同時に別方面でかなり動揺した。
『南公』ということは。
「――ご息女のヨルナ様。きっと、ものすごくお綺麗になっておいでね。結局、お会いできたのは二年前の数ヶ月間だけだったもの」
いやべつに、彼女がルピナスの初恋の相手だからこんなにやきもきしているわけではない。
先手を打って家令にお願いして来たが、もしも万が一、彼が形式上の婚約打診のために王都別邸を訪ねて来ることがあったとして、うっかり自分を追いかけて彼女と鉢合わせたりしたら耐えられないだなんて大仰な想像はしておらず。(※しました)
成り行きとはいえ、父から大役を命ぜられたから落ち着かないだけで。
「――さま。……ミュゼルお嬢様?」
「! はっ? あ、ごめんなさい。着いた?」
「ええ、とっくに。さあどうぞ、お降りください」
「………………コホン。ありがとう」
取り出した、白っぽい香木の扇子でそこはかとなく口元を隠す。
そこからは真・令嬢仕様に切り替えた。
* * *
古式ゆかしい石積みの壁を、年季の入った蔦植物がところどころ覆っている。
それでもこの南公邸――小城――が厳しく見えないのは、ひとえに優れた立地と建築様式によるだろう。
王都から馬車で数十分で到着するここは、ピクニックに最適なうつくしい湖畔だ。
周囲は明るい森に囲まれ、縦長にいくつもの尖塔を備えた外観は澄んだ湖に写し取られ、白鳥めいた印象を与える。
重厚感あふれる応接室に通されたミュゼルは、つつがなく南公ゼオン・カリストへの挨拶と会談を済ませ、こっそりと安堵の溜め息をついた。
すると、控えめに扉が鳴らされて執事らしい男性が入室し、恭しく一礼した。すでに初老の域にあるゼオンがことさら目尻の皺を深くする。開けられた扉の向こうからは、さやさやと衣擦れの音と落ち着いた靴音。
内心、最大の懸案事項だった少女と再び相まみえたのは、そのときだった。
「お久しぶりです、ミュゼル様。ごきげんよう」
「こんにちは、ミュゼル嬢」
「! ごきげんよう、ヨルナ様。それに……アストラッド殿下でいらっしゃいますか? お久しぶりでございます。お二人とも、ご健勝そうで何よりですわ」
「ありがとう存じます。貴女も」
「ありがとう」
――――光が。
部屋の照明が霞むかのような清しい光輝。
幼さの残る美貌には初々しく無垢な笑顔。小柄で華奢な体躯に波打つ豊かな銀の髪。すばらしい翠玉の瞳。総じて、妖精の姫君のような美少女がいた。
間違いない、ヨルナだ。
ミュゼルも即座に椅子から立ち上がり、淑やかに礼を交わす。
ヨルナの隣に立つのは、彼女の婚約者でもあるこの国の第三王子。
王妃譲りの秀でた容姿で、襟足にややかぶる程度の短い金の髪、青紫の瞳。傍らのヨルナを心の底から愛しんでいるのがわかる、柔らかな微笑をたたえている。
彼はヨルナの成人を待ってやがて婚姻を結び、ゆくゆくは南西にある王妃の生国リスピアを治める大公になるだろうと目されていた。
リスピアへは南公領が最も近い。そのため、諸々の国情などを学ぶためにもここ二年間、ずっとカリスト領に滞在していたと聞く。
それはもちろん、本当はただのひとときも婚約者と離れたくなかったからでは……? と、思われるほど。
彼らの仲睦まじさは遠く風の噂に聞いていたものの、こうして目の当たりにすると美男美女の放つ極限の輝かしさもあって、ぽかんとしてしまうほどだ。
ミュゼルは、まじまじと二人を眺めた。
(……お似合いすぎてぐうの音も出ないわ。いったい、どうしてこうも報われない方向に気持ちが動いちゃうのかしらね? ルピナスもわたしも)
つい、しんみりとした微苦笑になってしまう。
友人の変化を目ざとく見つけたヨルナは、心配そうに小首を傾げた。
「ミュゼル様。お加減が?」
「いいえ、平気ですわ」
ふるふると頭を振ってにっこりすると、華やかに笑み返される。
優しげでうつくしく、美貌を鼻にかけず、何より謙虚。
北公息女アイリスと並んで当代一の美少女と謳われるのも無理からぬことだった。ミュゼルも彼女が好きだ。心根の素直さと繊細さを知っている。だからこそ。
(口ではどう言っても、こんな素敵な子を忘れるわけがないのよね。やっぱり)
――――彼には。
ルピナスの求婚への『答え』は。
何らかの責任を覚えてくれたようで、ずるい自分は嬉しかったし、もっとずるい自分は、それは嫌だと全霊で叫んだ。声なく叫んだ。
できれば、これからも友だちでいてほしい。
つきん、と胸が痛む結論を得て椅子には掛けず、そのまま退出を願い出ようかとゼオンに向き合った。
すると千客万来。
やや騒々しい気配が通路から届く。お待ちを、ただいま当主に伝えますので……など、困りきった使用人らしき人々の声。
間を置かず「失礼」と述べて、現れた公爵子息殿にミュゼルは顎が落ちるんじゃないかと危ぶんだ。声が震えてしまうのは抑えようもなかった。
「なぜ? どうしてわかったの」
「どうして、は、こっちの台詞だよミュゼル。やっと見つけた……!!!」
心なし肩で息をしている。
星もかくやと煌めく藍色の髪を乱し、焦りを含む夜色の瞳で、真っ直ぐにこちらを射抜くルピナスがいた。




