46 事件に次ぐ大事件
シェーラは死罪を免れた。
どころか、魔法による行動の制限付きであれば限られた区域でのみ、そこそこの自由を保証された。
ミュゼルはその事実を三日後、さっそく王妃の名でひらかれた茶会席でアイリスから聞かされた。
* * *
「そう……だったのね。良かったわ」
「ごめんなさいね。知らせるのが遅くなってしまって」
「いいえ。いいんです」
ほっとして肩の力が抜ける。
無意識に、自分はずっと彼女を案じていたのだとわかった。
正直、東都にいたときから甚大な迷惑を被っていた。身の危険もあった。おそろしく手を焼かされた相手なのにどうしてだろう――?
ガーデンパーティーの体をなす緑の木漏れ日のなか、庭園に設えられた白木のベンチに隣り合い、風が渡るたびに鳴る葉擦れの音に紛れるように内緒話をしている。
各地の侯爵家に連なるほかの令嬢たちは、王妃の提案で近くの温室へと連れて行かれた。
多様なバラと珍しい植物を集めた花園は圧巻の一言に尽きるので、すでに見物済みの自分たちは、しばらく水入らずで過ごせるだろう。こっそりとウィンクを寄越して去った王妃・セネレの粋なはからいだった。
「――殿下の取り調べには私も同席した。信じられるか……? あいつ、私を女だと思ってたんだ。『貴国にもお転婆はいるだろう』って」
「お転婆? ああ、エスティア港の大立ち回りね。仕方ないわ。貴方、あのときは女装だったもの」
「いや、それにしたって二回目は侍従服だったろう。取り調べはいつもの近衛服だったし」
「うーん……、男装に見えたとか」
「!!? そんな!?」
「まぁまぁ、お二人とも」
姉にいさめられ、同じく居残り組となったルピナスは嘆息混じりに腕を組む。
未来の王太子妃の護衛として側に立つ彼は、未来の北公将軍としても近衛騎士としても抜きん出た輝きを放っていた。
アイリスとルピナスは、傍目にはただただ美々しい一対の双子だ。
おだやかな風景に溶け込む藍色の髪や凛とした顔は殊更うつくしく、見るものの心に豊かな喜びをもたらしてくれるものなんだなぁ……と、ミュゼルはしみじみ噛みしめる。
そんな視線に気づいたルピナスは数度瞬き、ほんのりと口元を緩めた。
「まあ、結果としては良かったよ。あいつがアイリスを手にかけようとしたときは、さすがに障壁を四重に張ってるとわかっていても動揺したけど」
「わたしだって! 殿下の作戦を聞いたときは気が気じゃなかったわ。アイリス様ったら、妙なところで将軍家のお姫様なんだから」
「あ……、ありがとう存じます」
照れたようにはにかむ美女に、場はなし崩しに和らいだ。
* * *
「それで? 彼女、これからどうなるのかしら。身柄はどちらで」
「トール殿下預かりとなるそうですわ。住まいも、監視を兼ねてあのかたの研究室…………いえ、居住棟に。殿下ったら、いちいち収監所から通わせるのは手間だと仰って」
「! では、いよいよ解呪の方法を?」
「ええ」
どうやら、取り調べ初日からサジェスに駆り出されたトールは、シェーラに厳重な拘束魔法を施す段階で、あっという間に彼女のなかにあった“何か”をへし折ってしまったらしい。――つまり自負心とか、職業暗殺者としてのプライドと呼ばれるたぐいの。
(((……トール殿下、容赦ないからなぁ……)))
※三名の心の声
第二王子トールはゼローナの魔法技術を体現する卓越した能力保持者だが、本質はかなり偏った植物学者だ。人間にはあまり興味がない。
ミュゼルが気付け薬の礼を伝えに行ったときも、『ああうん。無事で良かったね』の一言でけろりと済まされた。
ちなみに、たいていの相手は根こそぎ初見で騙される天使じみた美貌の持ち主でもある。ルピナス曰く「詐欺的に清らか」なのだとか。
結果、大変複雑そうではあったもののシェーラ本人が観念したことにより、アデラへの通達は保留。
内々にジハーク・オアシスの長メルビンにのみ知らせを送るという。
メルビンは姪に、罪を償ったあとはいつでも自分のところに戻るよう伝言を託していた。
贖いが足りぬときは必ず自分が助けるから、と。
同時に祖父母らの組織とは縁を切るように、とも強く念押ししていた。
――――それが、幾ばくか彼女の背を押してくれたのだと信じたい。
茶会を終えての帰路。
馬車まで送るよ、と言ってくれたルピナスの厚意に素直に預かる。
しずしずと光の差す回廊を歩きながら、隣を歩く近衛騎士殿は、以前にも増して存在がまぶしかった。
心に灼けつく。消えない影を残すように。
(初恋か……。儚かったな。ルピナスもこうだったのかしら? 『あの子』を好きになったとき)
あの子。
名は、ヨルナ・カリスト。
身分は自分たちと同等の南公家の息女で、今年十四歳のはず。出会いは二年前で今日のような晴れた日だった。国中の未婚の令嬢を集めた、盛大な茶会が催されたのだ。
そこで、姉の身代わりとして参加していた彼はヨルナに恋をしたし、彼女はすでに第三王子アストラッドに恋をしていた。稀有なことに王子そのひとも。
残念ながら、始まりからしてどうにもならなかった。
現在は王家からの打診があるわけでもなく、外交面で表立って揉めている国もない。公爵家に属する自分たちは恋愛感情で結婚相手を決めても良い、とされるくらいに国内は落ち着いて平和だ。
だからこそ、とてつもなく苦かったのではないか。
(失恋かぁ……やだわ。一生独身で気ままに過ごすって、決めてたのに)
じわ、と瞳に滲むものを感じて、慌ててぱちぱちと瞬く。
困った。事件が解決したとたんに気が緩んでしまった。
悟られないように。
平常心、平常心――
そうして、縦に長く切り取られた外の景色が見えるころ、ふいに立ち止まられた。
(?)
驚いて隣の顔を見上げる。
すると、何かものすごく決意を込めた夜色のまなざしに気圧された。おずおずと問う。
「ルピナス? どうかし……」
「ミュゼル。話があるんだけど」
「は、はい?」
「本当はミュラー殿が王都に着かれてから正式に願い出ようと思ってた。でも、きみに先に言うべきな気がする」
「? 何を、かしら」
よっぽど言いづらいことなんだろうか。懸命に言葉を探る気配がする。
幸い、周囲は疎らな人影だけ。それでも通路の真ん中に陣取って話し込むのは躊躇われた。
いっそ、日をあらためて邸に招こうか……そう誘うべく首を傾げたときだった。
おもむろに告げられてしまった。
「私、ルピナス・ジェイドは東の公女、ミュゼル・エストに婚約を申し込みたいと願っている。――本気だ。どうか、前向きに考えてみてほしい」




