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はちみつ色の東風の姫〜公爵令嬢の恋事件簿〜  作者: 汐の音
本編 第三章 来たれ、集え、婚儀の祝典へ
46/84

45 捕獲


「噂は、二種類流したんだ」


「は?」



 尾ひれと言ったほうが正しいかな、ともサジェスは言った。




   *   *   *




 (いわ)く、あまり長々とアイリスを“休養中”とするのも宜しくない。あと一週間もすれば貴族たちが続々と祝いのために王都に押し寄せる。


 通常ならばこの時期、彼女は王太子の婚約者としてせっせと社交に励まねばならない。

 具体的には王妃セネレの名で茶会を催してもらい、各地の有力貴族の夫人や令嬢がたと面識を得たり、相手の心象を見極めたり――……。


 招かれるのは三公家と侯爵、伯爵家に絞られるものの、それでも連日の集まりが予想された。

 よって、三日目にして早々に目当ての人物が乗り込んできたのは「願ったり叶ったり」と。


 ミュゼルは大きく頷いた。



「そうですわよね。わたくし、微力ながら助太刀いたしますわ」


「恩に着るよ、ミュゼル殿」


「いいえ。アイリス様とはお友達ですもの。でも」


「でも?」



 魔法の鏡――こちらからは小窓に見える――のなかで、ゼローナ人に扮したシェーラはちょっとした富裕層の夫人のような、控えめながらも質の良いドレスをまとっていた。

 卓上には紅茶がある。

 手を付けた様子がないのは警戒しているのか。或いは()()()()習慣なのか。


 しげしげと鏡と王太子を交互に見つめたミュゼルは、こてん、と首を(かし)げた。



「もう片方はどんな噂を?」


「噂というか……ほぼ事実だな。姫が寝込んだのは、近ごろ王都に流行りつつある“眠り病”のせいではないかと。すでに、城では寝込んだ女官が数名いることも流させた」


「そのまんまですね!」



 仰天したルピナスが小さく叫ぶ。

 非難のまなざしを、サジェスは苦笑で受け止めた。



「効率重視と言ってくれないか。出どころは王太子(わたし)ではなく、王族に直接関わる高位侍従とした。じっさい、彼らのなかには今回の魔薬で倒れた妻や娘を持つ者もいる。名うての医師や神官長でも取り除けなかった症状だからな。『姫や女官がたを癒した者には望みの褒美が与えられるだろう』と」


「うわぁ」


「――それで、奴は適当な侍従に面会を申し出たのですね。ゴリ押しに『物忘れの香』まで焚いて。今は、しゃあしゃあと姉上の部屋まで案内を受ける直前といったところですか」


「そうなる」



 しずかな怒りに燃えるルピナスの脇で、ミュゼルはなるほど、と合点が行った。

 本来あってはならないことだが、外部の人間を侍従(クラス)の者が手引しやすいよう、あえてアイリスの近辺は守りを薄くされていたのだ。――だが。


 遅れて鏡を覗き込んだレナードが、心配そうに問う。



「殿下。しかし、()()は待たせすぎても怪しまれますよ。どうなさるおつもりで?」


「ああ、大丈夫。このまま警備兵らに踏み込ませ………………とでも言うと思ったか? ほら」


「???」



 サジェスは、小部屋の中央に備えてあったテーブルに被せられた布をばさりと剥ぎ取った。

 現れた、きちんと畳まれた衣類一式に一同が絶句する。「本気ですか」と小声で尋ねるレナードに、王太子は真顔で頷いた。



「当然だ。ミュゼル殿は……申し訳ないがあちらへ。衝立の向こうで待っていてくれ」


「えっ。あ、そんな。殿下」



 ミュゼルは慌てて背筋を正した。有無を言わせずどんどん近づかれる。


 表情だけは穏やかに、父王譲りのきりりとした紫の瞳が悪戯っぽく細められた。淑女(レディ)に野郎どもの着替えなんかを見せるわけにいかないからね、と。


 なんと、手ずからエスコートされた。




   *   *   *




(遅いな、取次が。まあ、国の中枢への面会待機ともなればこんなものか)


 シェーラは、湯気を収めつつある目の前の紅茶に触れようともせず、淡々と考えた。

 昔、一度だけ王城(ここ)に訪れた。

 そのときはアデラの民にふさわしい正装で、未来は洋と輝いていた。叔父上は立派な国主で。



「……」



 ふ、と苦い笑みが込み上げる。

 時折、自分は、本当は何をしたいのかがわからなくなる。

 出来の悪い姪を庇った叔父への義理立てか、アデラにおけるジハークの汚名返上か。もしくは彼の復位か、ディエルマへの復讐か。そのどれもが正しく、同時にどうでも良いことのように思えた。


(少なくとも、父の願いだった『わたしを大国の王妃にすること』は叶わない。――くだらない。分かりきったことだったのに)


 らしくない郷愁を覚えた。

 視線を落とし、溜め息をついたとき、ふいに扉をノックされた。応えるまでもなく扉がひらき、背の高い男が入室する。

 頭からすっぽりと被った聖布。装束からして高位の神官職も兼ねる侍従と知れる。


 シェーラは淑やかに立ち上がり会釈をした。

 相手は鷹揚に頷く。やがて出入り口を手のひらで示した。



「お待たせしました。話は伺っております。アイリス様のお部屋へは、この者たちが案内をいたします。どうぞ」


「ありがとうございます」

 


 通路には二名の侍従。

 一人は堂々たる長身。一人は中背。同様の布を被っている。

 しずしずと言葉少なく連れて行かれたのは隣の棟の二階だった。続きの間を経て奥が寝室。そよそよと風が入る窓辺に繊細なレースのカーテンが揺れ、微かに花の香りがした。


 横たわるのは一片の瑕疵もない、完璧なる美女。

 閉じられた長いまつげに白皙の肌。愛らしい唇。

 星の女神もかくやと言うべき命の輝き。広がる濃紺の髪は侵さざる結界のように彼女の枕辺を彩り、シェーラは無意識に眉をひそめた。



「いかがなさいました? ご夫人。正真正銘、このかたが王太子妃となられます、アイリス嬢ですが。診てはいただけないのでしょうか」


「……診る? 冗談だろう、わたしは――暗殺者だ。治すなんて専門外。仕留めるのみさ」


「!!! 待てっ! 何を!」



 にやりと笑み、懐から抜いた針状の武器を取り出す。 

 毒を使うまでもない。このままこいつらの前で心臓を一突きしてもいい。逃走路は窓から飛び降りて――



(!?)


 ガキンッ!


 硬質な音、いやな感触。

 不可視の壁に遮られた針が弾かれ、護りの魔法かと後ろを睨む。


 やはり、胡散臭い魔法使いどもの始末が先か。

 ドレスの裾をたくし上げ、太もものベルトに仕込んでおいた短剣を抜いた。すると。



「……何だ。なにが可笑しい、貴様」



 シェーラは更に怪訝顔となった。長身の侍従が呆れたように嘆息している。明らかに失笑された気配も感じ取り、柄にもなく頭に血がのぼった。


 男は、しゅるりと頭の被り布を取り払った。



『私をお忘れですか? シェーラ殿。いやまあ、随分とお転婆におなりだな、と。びっくりしてしまって』


『なっ……! 嘘だろう!!? 貴方は』



 場違いなほどの流暢なアデラ語が耳を撫でる。

 あでやかに波打つルビー色の髪。深い紫の瞳。

 記憶よりもずっと雄々しい。紛うことなく偉丈夫に成長した、あのときの王子――サジェスがいた。


 隙は、そこから生じた。



「動くな」


「ッ」



 白銀の刀身ほどに冷たく、ひやりと響く中性的な声。

 これもまた忘れようがない。()()()()()()()()()


 喉元に突きつけられる刃を感じ、これまでかと目を瞑った。あがくための手段をさまざまに講ずるが、どれも不首尾と終わる可能性が高い。かくなる上は。



 ぎり、と歯噛みした。奥歯に仕込んだ毒を使うべきか。

 情けないことに逡巡した。

 バタバタと続きの間から足音がした。

 最初に控室へやってきた、長身の侍従に付き添われた朱金色の髪の少女が、アデラ語で必死に叫んだからだ。



『だめよ。だめ! 自死は絶対にしないで。メルビン殿はそんなこと望んでない。もしも貴女に会えたらと、伝言を賜っています!!』


『――と、いうことだ。

 君がしでかした罪は洗いざらい認めてもらうが、それはそれ。悪いようにはしない。とにかく一旦は拘束させてもらおうか』


『! くっ』


 遠巻きに兵たちも続々と集まり、一触即発な空気を払うかのように一言。「連れて行け」との命に、居合わせたゼローナ人の誰もが(こうべ)を垂れ、従った。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ミュゼルを手ずからエスコートするサジェス。 そして、その背に殺気を飛ばすのはルピナスとレナード。 新・義兄弟コンビ結成の瞬間だった! 「「可愛いミュゼルに手を出す不埒者は死すべしッ!!」…
[一言] >あのときの女騎士だ。 あっ……(察し)。
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