44 捕りもの、ふたたび
サジェスはいったい、どうやって犯人をおびき寄せるつもりなのか。
気にはなるものの、ミュゼルにとっては、事件はすでに自分の手から離れてしまったように感じた。
出来ることなら最後まで関わり、きちんと解決したかった――そんな思いもありつつ、登城してからは国王陛下直々に兄とともに功を労われ。
「せっかくだから顔を見て行くといい」とのにこやかな勧めに従い、アイリスへの見舞いも終えた。
一階に降り、すっかり王太子付き近衛騎士の正装に戻ったルピナスに付き添われて絨毯敷きの通路を歩く。
すると。
「失礼、ミュゼル殿。いいだろうか」
「王太子殿下」
曲がり角から大股で現れた人物に、ふいに話しかけられた。
低く、よく通る声に自然と背筋が伸びる。ミュゼルは淑女の礼でそつなく応えた。
王太子サジェスは、謁見後は兄を伴って所用があるからと別件に向かっていたはずだ。アイリスとの会見が済めば先に邸に戻るように、とも言われている。
そんな長身の二人――国王とよく似た面差しと、自分と似た系統だがすらっとした顔の貴公子――の出現に、にわかに心配になった。緊急事態への予感がちりりと胸を焦がす。
「どうなさいましたか? もしや、東公家の報告内容や処置に不備が」
「いや、それはない。ちょっと付き合ってくれないだろうか。ルピナス、お前もだ」
「は」
胡乱なまなざしの未来の義弟を無視し、踵を返したサジェスは、上向けた掌の人差し指だけをくいくい、と動かす。
“付いて来い”との意図に大人しく従うと、ルピナスはサジェスに並び、何ごとか囁かれていた。
その背を追いながら、同じくあとに続くレナードにこっそり問う。
「なあに。どういうこと? そういえばお兄様、どちらに行ってらしたの」
「――検分に」
「え?」
まるで春のエスティアで過ごした夜会のように複雑な表情で鼻を覆い、レナードはぼそぼそと呟いた。
「僕の能力だよ。倒れた女官殿を見舞ってきた。あの夜に嗅いだ激臭と、まったく同じだった。時間が経っても呪いは消えてない。で、偶然なんだけど……ぜんぜん違う場所で、それと似た匂いがして」
「!? どこで? それってまさか」
「王族付き侍従詰め所。一人、様子がおかしい奴がいたんだ。残り香はそいつから」
「侍従」
呟き、ミュゼルはきょとんとした。
侍従は王族の生活に直接関わり、公式行事や日々の予定調整など多岐にわたる仕事をこなす要職。
ふつうは男性が勤めるため、化粧だの、美容薬だのを嗜むことは無いはずだが――?
足早に進む。
ドレスの裾が絡まぬよう、わずかに両手でもたげながらの随行。向かう先が、どうやら王族への面会を取りつけた要人らが待機する棟と気づき、ハッとした。
「お化粧じゃないってことは……『物忘れの香』!?」
「そういうこと」
今日、王族と面会予定があったのは自分たちだけのはず。そのため、辺りは閑散としてひと気が少ない。
見覚えのある控室の手前で、前を行く主従がぴたりと足を止める。
サジェスは(こっち)と、唇の形だけで告げ、一行をその隣室へと招き入れた。
――パタン。
殿のレナードが扉を閉めた。
カーテンが閉まって薄暗い小部屋を、紅髪の王太子はもの慣れた様子で歩く。中央壁際で立ち止まった彼に、ミュゼルとルピナスは名指しで呼ばれた。
(?)
手ぶりから察するに“見ろ”ということらしい。
それは楕円の鏡だった。
火の入っていない暖炉の横に掛かっており、大人一人が覗き込めば映った顔でいっぱいになる。
ちょっと気恥ずかしかったが、ルピナスと並んでそろりと視線を移すと、大いに驚いた。映るべき自分がいない。ルピナスも。そこに居たのは。
「!? うそっ、あのひと!」
うっかりと声に出してしまい、ミュゼルは慌ててみずからの口を塞いだ。ルピナスも驚愕の表情でサジェスを振り仰ぐ。
「殿下? これはどういう仕組みです。気づかれてはいないようですが――」
「古い魔法具だ。他言するなよ。こっちからは小窓だが、あっちからは鏡でしかない」
「ずいぶんと便利なんですね」
「ああ。で、どう思う? 『あれ』は。繋ぎを付けられた門衛と侍従が一人ずつ香にやられた。今は医務室でトールの薬を処方しているが」
「あれ、は」
ごく、とミュゼルは喉を鳴らした。
答えはルピナスが継いだ。
「間違いありません。東都でいちど、見えました。すっかりゼローナ人に化けていますが、シェーラです」




