42 ちいさな提案
光がこぼれ、たおやかな宝石の化身を前にしたかのような錯覚。
北公息女アイリスは、ルピナスと顔のパーツこそ同じだが印象はことごとく違った。
初めて彼女と会ったのは二年前。
あのときはまだ虚弱さゆえの儚さが勝っていたが、今はかなり健康体になりつつあるようだ。
色白の面はほんのりと血色が良く、唇は花びらのよう。凛とした黒い瞳は大きく切れ長で、目じりに睫毛の影が濃い。
楚々とした鼻と眉。内面の繊細さと芯の強さが現れた表情は輝くばかりで、彼女をいっそう美女たらしめている。
――その上、さらりと星を宿して華奢な肩に垂れる、腰のあたりまでをも彩る藍色の髪の見事さときたら!
(眼福……ああ、神様ありがとう)
うつくしいものに目がないと自負するミュゼルは、すっと膝を折って目を伏せ、王族への礼を入室した二人へと送った。
「ご機嫌うるわしゅう。お久しぶりにございます、王太子殿下。アイリス様。式典を前にお会いできたこと、光栄に存じます。来たるご成婚の儀に、心よりお祝いを」
「ありがとう」
「ありがとうございます、ミュゼル様。……あぁ、お立ちになられたままで恐縮ですわ。殿下、お話はエスト公爵の館で?」
「ん、そうだな。レナード、構わないか?」
「勿論です。どうぞ」
しばらく呆然としていたレナードが立ち直り、無駄のない所作で上座を空ける。
まだ紅茶を配膳されていなかったこともあり、合わせて五名はつつがなく一つのテーブルを囲んで着席した。
* * *
「そうか。街道沿いも」
「では、王都も?」
「ああ。じつは陛下も頭を悩ませてる。なまじ慶事で民の経済活動も活性化していて。ふだんより嗜好品や奢侈の品が好まれやすい。働きぶりも上がってるから、それは別にいいんだが」
「例の化粧品は? やっぱり出回ってるんですか」
適宣、供された果物のコンポートをパイ皮で包んで焼いたものなどを口に運びつつ、ルピナスが問う。
食事中でもお行儀よく、きびきびと会話できるのがいつも凄いな……などとミュゼルは見入った。
ちなみにパイはバターを塗ってこんがりと焼き目が付いており、見た目を裏切らない美味で、向かい合ったアイリスとミュゼルは互いに紅潮した頬を緩めた。
――甘いものは正義なので仕方がない。耳だけは真剣に澄ませておく。
茶器を卓上に戻しながら、サジェスはゆっくりと頭を振った。
「業者もさすがに慎重になってる。見つけるそばから迅速摘発を旨に、騎士団も頑張ってくれている。だから流通までは行かないんだが、はっきり言って公務の邪魔だ。他のことが手薄になる」
「でしょうね……」
ごくり、と紅茶を嚥下したルピナスがおもねる。
それに、顎に手を添えて思案していたレナードが質問を加えた。
「売人の女は、当方で把握する限り単独犯です。妹とルピナス殿がアデラまで赴き、情報も押さえました。いっそ指名手配なされては」
「それな」
(そう! それ!!!)
息ぴったりに――そういえば、兄はサジェス殿下と同い年だったと思い出したミュゼルは――ぴしりとレナードを指す紅髪の王子に、全力で頷いた。ここぞとばかりに援護射撃に徹する。
「名はシェーラ。アデラ連邦首長国の前国主にしてジハーク・オアシスの長、メルビン殿の実弟の娘です。長殿から言質はいただいております。身柄受け渡しに関する証書などは保留にさせていただきましたが」
「ええ。彼は言っていました。『姪に関しては貴国に判断を委ねる』と。ミュゼル殿が通訳をしてくださったので私は観察に徹せられましたが、彼個人は愛情深く、父代わりのように見受けられました」
(!)
アイリスと似て非なる、涼やかな黒瞳がちらりと流され、ミュゼルは不覚にも息を飲んだ。思わずどぎまぎと両手でカップを支える。
ふーん……と、思考に沈んだらしい斜め正面の王太子の顔に慌てて意識を向ける。
――ちょ、ちくちく隣から見つめないでください貴方の仕える未来の主君はあっちです(※混乱、そして懇願)
「…………いや、だめだ。俺もそうしたいのは山々だが」
「殿下?」
ふと顔を上げ、紫のまなざしに苦渋の色を乗せたサジェスは嘆息した。
一人掛けのソファーに座るレナードが気遣わしげに問う。
サジェス曰く、アデラは国家として一枚岩と言い難く、現国主はメルビンとは正反対の外交指針で鎖国気味。今回の慶事をきっかけにようやく使節を派遣してくるまでに至ったらしい。
「聞けば、ディエルマの長は夫人を一人と侍女を害されている。真偽の程はわからんが、これを盾にメルビン殿は国主の位を明け渡された。立派な謀略だよ。シェーラ……殿はたしか、俺も会ったことがある。おそらく嵌められたんだろう」
「では! 尚更!」
「だからこそだ。アデラの現政権は、彼女を都合のいい駒としか見なさない。ゼローナとしては、罪に問うのはもちろん、まだ本調子に戻れない女官も多数いる。――なんとか本人に呪いを解かせたい。そのためにも、『身柄を寄越せ・寄越さない』なんて無駄な摩耗は避けたいんだ」
「呪いを、解く。できるんですか?」
「弟の見立てではな」
「トール殿下が」
サジェスと兄、それにルピナスのやり取りに、ミュゼルは静かに呟いた。
たしかにトール王子ならば、未知の領域である“呪い”も、使い手のシェーラからの協力を引き出すことで前進に繋げられるかもしれない。この、どん詰まりから。
おそらく、シェーラは――もとは、サジェスを。
「あの」
そのとき、ふと鈴ふる声音が響いた。
室内の視線がいっせいに集まる。声の主の佳人へと。
遠慮がちに前おいて、アイリスは恐ろしく大胆なことを言ってのけた。
「……件のかたの狙いは、ひょっとして、わたくしが倒れることではないかしら。王妃様も、王女様も対象から少しずれている気がします。ですから」
「えーと、姉上?」
まさにそう。
いや、まさに正鵠なのだが、何を口走ってくれるんだこのひとは、と、そっくり同じ顔が如実に語った。
アイリスは、さらりと告げた。
「倒れてみましょう。幸い、式典までまだ日にちがあります。そうすればそのかた、噂を確かめるためにも王都までいらっしゃるんじゃないかしら」




