40 嵐雲の予感
二頭立ての黒塗り馬車がやや速足で進む。カラカラと石畳の路を車輪が廻り、一対の令息令嬢を丘の上へと運ぶ。めざすは東都公邸。
先ほど、茶会を兼ねた報告会が始まったばかりのころの甘やかな気持ちはどこへやら。ミュゼルは落ち着かなげに両手を膝の上で組んだ。
「どういうことかしら。ガーランド領に、あのひとが現れなくなったのはわかるとして」
「――あのひと。メルビン殿から聞いた背格好と特徴を考えても一致する。あの女は十中八九、彼の姪のシェーラだね」
「ええ」
瞑目して腕を組んでいたルピナスが、すっと瞼をひらいた。夜色の瞳が今はきらりと鋭くきらめき、まだ夕刻には早い車窓からの陽光を受ける。
ミュゼルは、その視線をはっきりと受け止めた。
「シェーラ……さんの仕業なのよね。あちこちで、害のない『眠れる美女の魔法薬』が売りさばかれてるなんて」
「便乗した業者がいるとは考えづらいな。しかも、そうなると一体、奴の狙いは何なのか…………くそっ」
「ルピナス」
くしゃくしゃと藍色の前髪をかき混ぜ、ルピナスが悪態をつく。
咎めるように名を呼んだものの、ミュゼルもまた、むくむくと膨れる嵐雲のような予感にとらわれていた。
何か、当初に見越したよりもずっと、厄介なことを仕掛けられている気がする。
――いまや身元も明らかとなり、あとは行方を探して確保するだけとなった単独犯に!
「あ、着いた」
「うん」
やがて馬車がゆるやかに減速し、しずかに止まる。言葉少なにタラップを降りたミュゼルは、ふと気難しい表情のままの連れを振り返った。手をのばす。
「!?」
「っ、ごめんなさい。ぐしゃぐしゃだったから」
「あ。あぁ」
触れてしまったのは何気ない衝動。乱れたものを整えて気持ちを落ち着けたかったのか、自分でもよくわからない。
(彼から、急に髪に触れられたら信じられないくらい動転しちゃったのに。意外だわ。こっちからなら平気。というか、…………落ち着く?)
ニ度。三度。
撫でるように指で梳くだけで、癖のない彼の髪は予想通り、元通り。
再び完璧貴公子になったルピナスは、心なし眉間の険も取れた気がする。雰囲気が和らいだ。
ちょっと信じられないようなまなざしを注がれているのは不本意だが、ふんす、と胸を張り、満足げに彼を見上げる。
「これで良し。行きましょ、ルピナス」
「……」
「??」
「…………何だこれ。やば」
「? どうかして?」
「え、いや。その」
途端にまごまごと視線を揺らし、口元を手の甲で隠すとみるみるうちに目元と耳が染まる。
(――ふわっ!!?)
美形の恥じらいは、こうも破壊力に満ちているものかと、今度はミュゼルが呆ける番だった。
互いに謝りつつ、最終的にはルピナスが紳士的にミュゼルの背に手を添え、帰邸を促した。
迎えた執事も、案内されたサロンで待ち受けていた父と兄からも、二人が抱えた懸案事項はさておき、非常に調和の取れた一対に見えたのは言うまでもない。
よって、エスト公爵家当主をまじえての久しぶりの会議はじつに和やかに(※一部、兄を除く)始まった。
* * *
「なんと。それは由々しいね」
すでにレナードと一杯、飲み終えている。形式として相伴に預かる形のミュラーは、無意識に髭に手をやった。
最初からある意味、臨戦態勢のレナードがルピナスに質問の矛先を向ける。
「つまり、ガーランド領としては売り出すまでもなく、いったんは裕福な平民層に事業を展開する手間が省けたと。ここらに、王城の女官たちが昏睡状態になった事実は伝えられていない。やられたな」
「仰る通りです。レナード殿」
「ねぇ。そのこと、騎士団では話題になってなかったの?」
「そうだねミュゼル。彼らには『事件』となって初めて通報されるものだから」
「そうか……。んもう、後手で悔しいわ。無害なのか、それとも効果がまだ現れてないだけなのか。お父様?」
「うむ。ひとまず、東部ゼローナ全域に東公権限で布告を出そう。試作段階にも拘らず流出した品だ。全商品を回収すると」
「素直に集まるかしら」
「使用品も含めて買い取りにすれば良かろう」
「「なるほど」」
「!! 太っ腹……!」
しれっと金貨の力で迅速解決に舵取りをした当主に、二人の子どもたちは息ぴったりに学びの姿勢を見せる。
かたや、遠い北方の地を治める公爵家の令息は軽くおののいて見せた。
ところで、と、場の主導権を握ったミュラーが真面目な顔のままで告げる。
「儂は、王都までの公道整備なんかをざっと見る傍ら、ちらっと王都近郊まで商会の仕事も済ませて来たんだが」
「はあ」
「あっちは逆だな。ガーランド製ではなさそうなのに、ラベルが貼ってある商品を見かけた」
「「「えええっ!!!」」」
「複数箇所にな。公道沿いにばらばらと、しかも何種類も」
「「ッッ!?!?」」
「処置は? どうなさいました。王城へは?」
「もちろん配備した騎士団と各領主へ通達したとも。今ごろは回収にかかっておる。陛下にもすぐに報せを飛ばした」
「流石です閣下。感謝を」
「うむ」
話し終えてソファーにもたれたミュラーは、ぐるりと同席する三名の若者を見渡した。
無言。
ふだんは飄々としているが、こんなときは妙に気迫のある父である。
「レナード。ミュゼル。それにルピナス殿」
「は」
「何でしょう、父上」
きびきびと応えるルピナス。
気難しく眉根を寄せるレナード。
ミュゼルは視線だけで応じた。
――――来た。
おそらく、予感はこれだった。
「すまんが、儂は東都の留守を妻のカトレアに頼むとして、彼女が着くまでは残る必要がある。王城からの指示は今日明日にも届くだろう。三人とも、すぐに発てるよう、各々準備をしておいてほしい」




