37 美姫よりも(前)
「まあ。では、明日にでもお帰りに?」
「ええ。そう」
宴を終えて、部屋でのひととき。
侍女のコレットにアデラ風の衣装を脱がせてもらいながら、ミュゼルは一思案した。
どことなく拍子抜けしたようなコレットの言い分もわかる。
本来ならば、今ごろは城郭都市ディエルマへ入城し、商会の所用も済ませつつ数日かけてジハークへの伝手を得るつもりだった。
できれば暗殺と呪術を生業とする裏組織にも、と。
が、ここに来ての大番狂わせ。
良きにつけ悪しきにつけ、ジハークの長とばったり出会ったことにより、砂漠の旅は初日にして予想以上の核心へと辿り着いてしまった。
また、小型竜はゼローナ大陸でしか使えないため、早々の帰国が最善手だった。
入手した情報は、一刻も早く持ち帰らねばならない。
メルビンとの会談で、奇しくも一連の事件は個人によるものと判明したが、前科があることもわかった。
こう言ってはなんだが、国としてのアデラは脆弱で甘い。単独で『あんなこと』をしでかすような人間を野放しにした責任は、これから先、みっちり国家間で問われるべきだろう。
――でもそれは、現アデラ国主であるディエルマの長にあるのか。はたまた管理不行き届きとしてジハークが咎められるのか?
(心象としては両方よね)
ミュゼルは、そっと口角を下げた。
オアシス・ジハークの姫だった『シェーラ』は、ディエルマにとって、いわば国主の座を掠め取る口実を与えてくれた美味しい相手。
ひょっとして夫人は捨て駒だったのでは……と、つい穿って考えてしまう。
でなければ、ふつうに入念な調査をした上で裁かれるべき案件だった。
アデラではそれぞれの氏族によるオアシス自治が認められている。代わりに、ややこしい紛争を回避するためにも、他領で罪を犯した者は、被害を受けた側の氏族が裁く、とも。
「それを言うと、今回だって断罪権はゼローナにあるのよね……。陛下はこのこと、どれくらい想定していらっしゃるのかしら」
「お嬢様?」
「あ、ううん。なんでもないわ。ありがとう」
「いえいえ」
垂らした髪を持ち上げられ、するり、と通された袖は着慣れたゼローナ風のワンピース。まだ寝間着ではない。宴が予定より早くに終わったためでもあるが、このあとは――
ミュゼルは室内履きのままで扉に向かい、続きの客間へと向かった。
その背を、にまにまとコレットが見つめている。
ミュゼルは振り返り、はた、と立ち止まった。げんなりと眉をひそめる。
「なぁに、コレット」
「いいえ? 何も。いってらっしゃいませ、お嬢様。どうぞごゆっくり」
「ゆっくりも何も。ただ、ルピナスに今後の相談をしに行くだけよ? 扉だって開けておくし、場所だって、ここのすぐ隣なんですからね??」
「うふふっ。はいはい、存じ上げておりますわ」
ぞんざいな口ぶりはさておき、淑やかに頭を下げる佇まいは実に優秀そうだった。たしかに身の回りの世話や度胸なんかは一級品なのだが。
「コレット。あなた、帰国してからあることないこと、お父様に報告しないわよね……?」
「もちろんでございます」
(どうだか)
視線を戻したミュゼルは嘆息まじりに薄紫の裾をふわりとさばき、なるべく自然に映るように心がけて扉をひらいた。
マナーとして、ほんの少し隙間を開けて。
* * *
「おつかれ、ミュゼル」
「あなたもね。おつかれ様、ルピナス。ずいぶんとたくさん注がれてたみたいだけど大丈夫? ほら、両脇から」
「ああ、あれ」
「……」
暗に、砂漠の美姫を二人も侍らせていた点について遠慮がちに刺してみたというのに、何だその言い草は!? と、突っ込みたくなるような涼しい表情。きょとん、とした態度だった。
(……そういえば、彼自身もっと美形だし、そっくり同じ顔の姉君を見慣れてるのだっけ)
思い出したミュゼルは苦笑する。
ルピナスは肩をすくめて見せた。
「酒に関しては、北都で悪い先輩がたにさんざん付き合わされてたからね。いちおう、潰されないようには気を付けてた。ミュゼルこそ平気? メルビン殿は宴が始まってすぐ、その……やに下がってたし」
「え」
ほんのりと染まった頬で視線を逸らされ、不覚にも釘付けになった。
――いやいやいやいや、それはずるい。
まるで、焼きもちを焼かれたみたいな気分になる。
ふわふわと浮き立つ気持ちに大慌てで蓋をし、ミュゼルは「やだ、交易の話しかしてなかったわ」と、のんびり言い添えた。
それでも可笑しくて、くすくすと笑う。
くすぐったそうに口元を綻ばせたルピナスは、ふと席を立った。
応接室の体をなす客間は籐製のソファーが二脚にローテーブルが一つ。ほか、長椅子や織敷物。どれも豪勢な調度品だが素材からして異国情緒にあふれ、生活様式のみをゼローナ風にしてあるのだとわかる。
すっとミュゼルに近づき、顔を覗き込む。こめかみから顎の線で、さらりと藍色の髪が揺れた。
「よかったら、あっちの長椅子に座ろうか。窓から、空が見える」
「え? ええ、はい」
ちらっと背後を気にするミュゼルに、ルピナスは微笑んで顔を寄せた。こそこそと囁く。
「(今から話したいことは、それなりに外交問題っぽいから。随伴たちには悪いけど、気を利かせてもらおう)…………だめ?」
「!!」
――――なんなの。何なんだ、この破壊力。(※語彙)
ミュゼルはくらくらとした。
もちろん、それって任務のためですよね、と重々心に言い聞かせ、あくまでもおっとりと頷く。
ここでよろめいた素振りなど、断じて見せられない。
「いいわよ。『ルピナス様』」
にこりと笑った。




