35 風雲急を告げる
本日、二話めです。
『なんと。貴女はエスト公爵のご息女でしたか。我が国の言葉にここまで精通しておられるとは。嬉しいことだ』
『もったいない仰せにございます。紅華石泉の長様』
『これはまた……、古い言い回しをご存知だ。メルビンで構わないよ』
『ありがとう存じます、メルビン様』
* * *
白亜の宴会場では、小宴がひらかれている。
あれから砂トカゲを呼び戻したキャラバンは、丸ごとジハークの戦士団に護られる形で隊列を組み直し、ディエルマよりも手前の位置にあったオアシス・ジハークへと進路を変えた。
夕方に辿り着いた隊商の人員は、砂トカゲの群れをオアシスの入り口に繋ぐことになった。通りの幅がそこまで広くなかったからだ。
町に完全な城郭はなく、天然の岩場がオアシス北側にそびえている。
都市と言うには小規模だが、泉から流れる川は底が見えるほど清らかで、砂まみれの一行にはじつにうるわしい景色に映った。
建物はどれも四角く、窓が小さい。昼間の熱を遮断するためだという。
豪邸と呼べそうな場所にはたいてい水が引かれ、門の向こうに木々が生い茂っていた。
――砂漠にあっては水と緑が何よりも富の象徴らしい。
案内を受けたメルビンの館は周囲の白茶けた石とは異なり、完全に真っ白な大理石の平屋建て。広い庭はあちこちに水路が巡らされ、蓮の花々で飾られている。
今は夜。
着いて早々に水浴びをさせてもらったミュゼルとルピナスのみが招かれていた。
宴会場は屋内だが周囲を開け放し、篝火が焚かれて開放的な雰囲気を醸している。
そこで、エキゾチックな楽人や踊り子らが続々と呼ばれ、芸を披露してくれていた。
――――――――
アデラ七氏族のなかでも、ジハークはとくに古い一族の一つだ。
ラベルに使用されていた呪い文字こそ知らなかったミュゼルだが、現在のアデラについてはそこそこ学んでいる。
案の定、古式ゆかしいオアシスの二つ名や“長”という固有尊称を用いられたメルビンは、見るからに機嫌が良かった。
交易については予め兄から折衝事案を託されていたため、それもとんとん拍子で受諾される。
従って、このあとはどうやって本件を切り出すべきか。
そう思案していたとき、うつくしく着飾った妾妃が彼の傍らに侍って酒壺を傾けるのが目についた。
ぼんやり眺めると、場違いなほど蠱惑的な笑みを向けられる。
(…………)
彼女と似た出で立ちの女性らもしどけなく横座りをしており、くすくすと笑っていた。『お可愛いこと』『赤ちゃんみたいだわ』などと聞こえたが無視。
――べつに、美女たちに面白がられるくらいはいい。
ミュゼルとて、砂漠の慣習が一夫多妻であることは承知。
そうではなくて。
『ふむ』
ふと、ミュゼルの気持ちを読んだようにメルビンが視線を流した。
『……ときに彼は、かの有名な北方将軍の子息でしたか。いや、我が娘たちにもてもてだ』
『ええ。そうですね』
声が憮然としてしまうのは仕方がない。
右隣のクッション席に座るルピナスは、両側を着飾った美姫に挟まれ、果物をすすめられたり、料理を取り分けられたりしていた。
本人はまったく普段と変わらず、朴念仁ここに極まれりといった風情なのだが。
はあ、と、ミュゼルは嘆息する。
はっきり言って、面白くはない。
(そりゃあ、出るとこ出てて、しまってるとこはスリムな美人のほうが、わたしだって見てて楽しいけどね!?)
ムカムカと剣呑になりがちな目元と口元を必死に押し止め、にこにこと振る舞っているのだ。
あとで、彼のほっぺたの一つや二つはつねってやろう――そう決心して、真摯にアデラの先代国主でもあった男性を見つめた。
メルビンは、年齢よりも朗らかな印象で微笑みを浮かべていた。
『何かな? ミュゼル殿』
『ええ、少しお待ちを。大切な話がありますので。「……ねぇルピナス。あれ、持ってきてるわよね。今が出しどきだと思うの。いい?」』
「了解」
簡潔に返事をしたルピナスが、ごそごそと懐を探る。
なかからは小袋。どうぞ、と中身を取りだし、ルピナスがメルビンに話しかけた。
「これに見覚えは?」
『メルビン様は、こちらをご存知ですか?』
適宣、言葉を柔らかくしてミュゼルが問う。
受け取ったメルビンは、たちまち眉を曇らせた。
『これは。我が氏族の技だな。裏方の。ルピナス殿、これをどこで』
「……ジハークのものだそうよ。これをどこで? って」
「ゼローナの都で。由々しいことに、東の港でも。その様子から察するに、これがどのような作用を引き起こすか、ご存知なのですね。使い手に心当たりは?」
通訳すると、メルビンは、さっと顔色を変えた。手を一振りして妃や芸人たちを下がらせ、楽人のみ残す。名残惜しそうな姫君たちも去り、宴会場は途端にがらん、とした。パチパチ、と篝火の薪が爆ぜる音が届く。
重々しい沈黙を破り、苦渋の表情でメルビンは口をひらいた。
『……死んでしまった弟の忘れ形見で。姪だ。裏家業の技に秀でた娘を母に持つ。名をシェーラ』
『シェーラ』
『そう。この呪い札は、あれの開発した術の失敗作だったはず。その咎めで断ぜられそうになったあいつを助ける交換条件に、俺は、国主の座をディエルマに渡した。最初の被害者はディエルマの長の妻だったから』
『!? お待ち下さい。彼女の罪は不問に? では、彼女はなぜゼローナで、これを』
メルビンが黙ってしまったため、手早くルピナスにも内容を伝える。
ルピナスもまた、真剣な顔で思案の姿勢になってしまった。やがて。
「……シェーラ、と言いましたか。ひょっとして長殿。あなたは、八年前にゼローナを訪れたことがおありか。姪御殿を連れて」
「!」
はっ、とする。
そういえば、先代までは国交も盛んでアデラの国主が直々に王城を訪れたことがあったと、どこかで聞いた。
そろりと反対側を向いて尋ねると、やはりというか。
天を仰いだメルビンが述懐した。
『ああ。連れて行った。あいつは十六歳で。王城では、いまの王太子殿下にも挨拶をさせていただいた。あとで知ったんだが』
続く言葉に、ミュゼルは絶句する。
もの問いたげなルピナスに、唾を飲んでから、かろうじて平素の声で通訳した。
曰く、そのとき。
まだ存命だった長の弟に、彼女は“お前なら、望めばゼローナの王妃にもなれるだろう。国主の血に連なる尊い娘なのだから”と、息を引き取る間際まで滾々と言い聞かされていたらしいと。
これにて第二章を終わります。
(誤字報告をありがとうございます!!)




