33 砂漠のトラブル
海の旅は順調だった。
懸念された魔獣による一方的な襲撃はなく、遭遇は最初のシーサーペントと魔鳥だけ。髑髏十字や逆さ女神の旗をかざす不埒な海賊船もなくはなかったが、どの無法者たちもエスティア騎士団が操る魔法帆船に追いつくことはできなかった。
いくつもの言語が飛び交うハトラマティナ港は椰子の葉が茂り、どことなく香辛料の匂いがする。
ゼローナ特有の白色人種も多く見られたが、大抵のひとの肌の色は濃い。
赤銅色、大地の色――風に翻る色とりどりの衣装も、踏みしめた石畳の砂っぽさも。
渡航経験は初めてのミュゼルやルピナスにとっては、強く『異国』を感じさせる景色だった。
とはいえ、港からアデラまでは三日間、砂トカゲに乗らなければならない。
騎乗経験に乏しいミュゼルや侍女のコレットは元より、さすがにルピナスも箱型のトカゲ車に押し込められた。
これにはルピナスも憮然と「甘やかさなくていい」と抗議していたが、世話役にあたるエスト商会支部長にしてみれば、彼はいかにも男装の麗人と見紛う令息。且つ商会の主賓。
メインの荷であるミュゼル同様、ひとすじの傷もつけられぬと、大いに気負われた感があった。
* * *
「暇だ……」
「ぼやかないの、ルピナス。だって、しょうがないわ。砂漠の旅はいろいろと勝手が違うのよ。もっとのんびりしても良かったなら、駱駝に乗るのも手だったけれど。砂地は砂トカゲが一番速いらしいわ。ね?」
比喩ではなく、窓の外は流れるように景色が過ぎてゆく。
似たりよったりの大砂丘がえんえんと続く黄砂の海。
砂トカゲは熱に強く、砂漠を泳ぐように移動する。
取り付けられた車は、完全な砂地となってからは車輪を外し、ソリのようなものに付け換えられた。以来、振動もなくするすると進む。
昼間の移動は乾燥と暑さがきついが、日除けの下ならばまずまず耐えられた。
郷に入っては郷に従え。
すっかりアデラ風の紫の衣装をまとったミュゼルは、薄布の扇子で顔をあおぎながら小首を傾げた。
「手はず通り、明後日は現国主であるディエルマの長に面会を申し込むわ。それからジハーク・オアシスへの訪問を願い出るのが筋だと、五年もここで鍛え上げられた兄が言っていたから」
「それは心強いね……、っと」
「きゃっ!?」
ガタン!
外の砂トカゲたちが一斉に鳴き始め、ぴたりと固まった。
想定外の急停止に、進行方向を向いていたミュゼルはそのまま、車中に投げ出されてしまう。
正面に座っていたルピナスは中腰でこれを受け止め、傍目には抱きつく形となったミュゼルは、みるみるうちに赤面した。
「ごっ、ごめんなさい。ありがとう」
「…………大丈夫。怪我はない? ぶつけた場所は」
「ないわ、でも」
――いったい何が。
問おうとすると、今度は砂トカゲで横を並走していたはずのウィリアムが勢いよく扉を開けた。
「失礼、お二方、あの――」
「「……」」
沈 黙。
いわく、言いようのない気まずさの漂うなか、ミュゼルだけが過敏に反応する。
「! はっ。ちょっと待って。ちがう、違うからっ。わたしが放り出されたのを受け止めてもらっただけなのよ!!?」
「えっ、ああ、ハイ」
口ごもり、視線を逸らして見るからに『お邪魔しました』と言わんばかりの青年に、ミュゼルは必死に誤解を解こうとした。
が、きゅっと肩と腰に手を回したままのルピナスは表面上は動じず、レナードから付けられた護衛の青年を見つめる。
「ひょっとして魔獣? 砂漠の野盗?」
「ま、魔獣です。ワイバーンが三頭。こっちに向かってます。やつら、砂トカゲが大好物だそうで」
「…………うん?」
思わず訊き返したルピナスを、ウィリアムは申し訳なさそうに見上げた。
「すみません。隊商のリーダーが、今すぐトカゲ車から降りたほうがいいと。戦闘が始まったら、こいつら、パニック状態になって逃げ出すそうです」
* * *
そういうのは、もっとさっさと言って欲しいな、と告げたルピナスの行動は早かった。
素早くミュゼルを横抱きにし、声を上げさせる間もなく飛び降りる。
砂を散らして危うげなく着地し、隊商の指示に従って防衛の円陣を組んだ戦闘員たちの中央に、そっと降ろした。
後続車に乗っていた侍女のコレットもすでに待機中で「あらあら」と、緊迫感の欠片もなく頬を染めている。
ミュゼルは、色々と言いたいこともあったが、とりあえず大人しく守られることにした。
砂トカゲたちは、あのあとすぐに逃げ出してしまった。
専用の笛で呼び戻せると聞いて、とりあえず胸を撫で下ろす。
あとは、戦闘がすみやかに済むのを祈りながら待つだけだが――
(ワイバーン。ゼローナでも、北方には稀に出ると聞くわ。竜の亜種。獰猛で、鋭い爪と牙には毒があるって。――大丈夫なのかしら。ルピナス)
祈るように組んだ手が触れる、胸が、動悸で忙しい。
すると。
ギャアァァォォッ
「!??」
黒っぽい竜体に、突如火柱が立った。
次いで、ざくざくと刺さる投擲の槍。秩序だった攻撃に目を白黒させる。
攻撃をしたのは、隊商ではない。と、すると。
「あれは……砂漠の民だ。相当の手練だが、どこの」
呟く誰かの声に、先制攻撃をかけた勇猛な民の怒号が重なる。
(! あの言葉。あれはたしか)
ミュゼルは目を瞬いた。
砂地での戦闘に特化した、鍛え抜かれた駱駝部隊。
とぎれとぎれだが聞き取れる。
聞き違いでなければ、それはアデラにあっても特殊な抑揚を持つ言語。
専らオアシス・ジハークの民が用いるアデラ古語だった。




