31 洋々と、波乱。
「出航ーーッ!」
洋々とひらける海。明け時の光が真横から差し、快晴の空と甲板に立つ人びとを順に照らしてゆく。
白く塗られた船体と真珠色の六枚帆は暁に輝き、エスティア海上騎士団の最新式魔法船は、波間を滑るように進んで行った。――金色に昇る日に向けて。
自然の風のほかは人為的な風を船体の後ろから生じさせているため、素晴らしく速い。
向かうのは東北、ゼローナでは外つ国と称される、大小の国々がひしめく大陸。目的地アデラ首長連邦国にもっとも近いとされるハトラマティナ港。
乗船者は手練の騎士たち、船夫、それにミュゼルとルピナス。数名の随従たちだった。
――――――――
「あら?」
ミュゼルは、覗いていた遠眼鏡を怪訝そうに胸元まで下ろした。
そのまま、隣に佇んでいたルピナスに「はい」と手渡す。
「ん……」
対するは、億劫そうな声。
船室に居ても初めての船旅に酔いそうになっていたルピナスは、甲板のほうが幾らかマシと結論づけていた。じつに微妙な顔色で、首を傾げつつそれを受け取る。
しかし。
――背から朝日。右から風を受けて靡くミュゼルの赤みがかった金髪は、日に透けてきらきらと輝いていた。
本人は自覚がないようだが、目鼻立ちだって愛らしく、抱き心地もよろしく、何よりも佇まいが可愛い。
いろいろと眩しくて仕方なく、条件反射で胸がきゅっとした。思わず目をすがめてしまう。
(任務中なのに)
ドツボに嵌りそうな自己嫌悪。
どうしようもなかった。
* * *
出港して小一時間。あたり一面、見渡す限りの蒼海だった。
はたして、この目端の利くふっくらとした小柄な令嬢は、何を見つけたんだろう……と、ぼんやり考える。
残念ながら、遠眼鏡を覗いても注意力散漫で何も見当たらない。不甲斐なさに嘆息し、観念したように問う。
「ふつうの海に見えるけど……、ミュゼル?」
「えーとね。違うの。もっとあっち。日の出の方向よ。わかりづらいけど……
――――あっ、騎士様! 出ましたわ。サーペントです。かなりの距離がありますが、撃てます?」
「!!? サッ……?」
「は、もちろん、直ちに風穴を開けてやりましょう。さすがはエスト家の姫君。ご慧眼でいらっしゃる」
呼び止められた壮年の騎士は嬉しそうに口元をほころばせた。
ミュゼルは呆れたように肩をすくませる。
「大袈裟ねぇ。あと三十秒もすれば、物見係から連絡が来たと思いますけど」
「恐れ入ります。では」
口髭をたくわえた穏やかな面立ちの騎士は一礼し、素早く踵を返した。
やがて宣言通りにけたたましい鐘が打ち鳴らされ、魔法部隊は次々に召集される。船上の雰囲気は、急にものものしくなった。
(……)
正直、海での戦いはルピナスは素人でしかない。不調なこともあり、しばらく大人しく様子を見ていたが、鐘が止んだのをきっかけに、長年染み付いた習慣として淡々とこぼした。
「……さっきの。正式名称は“シーサーペント”だね。有名な、海の大型一級魔獣。一般的には迂回が推奨される。竜頭の大蛇で、目はそんなに良くないが性格は獰猛。胴回りは漁船並。接近すればマストをへし折れられて船体はバラバラだと……。大丈夫なのか?」
「あら」
ミュゼルは、ちらりと勝ち気そうな笑みを見せた。場に似つかわしくない、蠱惑的な色が漂う。
「東公領騎士団は、白兵戦はからきしだけど遠距離は得意だって言ったでしょ? それはそうと、貴方、船酔いがひどそうだわ。いちど船室に戻ったほうが」
「冗談」
ルピナスは即断した。
――しょうがないなぁ、と眉を下げたミュゼルに遠慮がちに腕を引かれ、ばくん! と、心臓が跳ねるが、意地でも顔には出さない。
もちろん船酔いもだ。(※ありったけの気合い)
それを頑固と受け取ったミュゼルは、するりと甲板中央へと移動した。
「あのね。大物がいるってことは、小物の魔鳥もうろついてるかもしれないの。騎士たちに護衛の手間をかけさせないように、わたしたちは二階の操舵室にでも行ってましょ」
「…………それこそ邪魔にならないか? 海の魔鳥くらいなら、斬り伏せられるが」
「こらこら」
出たな、北公軍の戦闘狂め、とばかりに優しい微笑は苦笑へ。
客分の令息を振り返り、おもむろに顔を寄せて囁く。
その近さに、またしても呼吸が止まった。
「うちの魔砲のこと、知りたがってたでしょう? いまなら実演込みで、親切な船長か参謀官殿に、じっくり解説してもらえるはずよ」
* * *
(……)
(………)
まっっったく色気のいの字もない会話ではあったが、これらのやり取りを柱の影から覗き見る者があった。
ミュゼルの父ミュラーの意を受けた侍女コレットと、レナードから私的に監視の命を受けた護衛の青年ウィリアムだ。
傍目には少々滑稽に映るが、当人たちは監視対象にさえ見つからねばそれでよかった。こちらも負けじと、ひそひそと声を交わす。
「どうご覧になります? あれ。絶対、お嬢様はあの若君を好いていらっしゃると思うのですけど」
「ううう……そうは言われましても。俺は、そちらの若君に正式に雇われてまして。どちらかといえば、お二人の接近をこそ妨げるよう言われてるんですが」
「! まあぁ。レナード様ったら。無駄なことを」
――――などなど。
柱の影の二人はミュゼルとルピナスが近づくと、ぴたりと会話をやめて気配を殺した。
扉を開けて階段を登る彼らの側に控えるべく、急いであとを追う。
その姿は、やはりほのぼのとして可笑しい。
渡航初日。
船は大禍なくシーサーペントを撃破し、その他魔鳥の群れも蹴散らし、悠々と海を渡った。




