28 ひそむ女、一手を打つ公子
(……星闇鉱が、かなり取られてる)
その夜。
ちゃぷん、ちゃぷんと波が寄せる満潮の岩場で、夜目の利く女はじっくりと根城にしていた洞窟の点検を始めた。
ゼローナ王国東部エスト地方。
エスティアにほど近い断崖絶壁が連なる海岸線には、地元人ですら知らぬ、小舟でようやく入れる亀裂から空洞ができている。
女は、代々暗殺と呪術を生業とするアデラのオアシス・ジハークの民だ。うさんくさい“転移魔法”などと称し、世界中どこにでも翔べる節操なしな異国の王族と違い、先祖から脈々と受け継いだ、幾百にのぼる地道な知恵がある。
それはここ、鄙びたガーランド男爵領の天然の潜入経路についても言えることだった。
洞窟は蟻の巣を連想させる構造で、海からの出入り口は、ひと一人でなければ抜けられない狭さだったはず。
なのに、『そこ』からして派手に砕かれ、削られている。
膝を突かねばくぐれなかった穴が、立って悠々と通れる横穴に。続く縦穴はご丁寧に登りやすいよう杭が打ち付けられ、女は苦もなく上の層へと出られた。
――自分がいない間、何者かが来ても痕跡を辿られぬよう気は配っている。
つまり、手付かずの洞穴だと思わせるため、縦穴はすべて自力で登っていた。跳躍でだいたいの層には手を掛けられたのだ。
しかし、こうも懇ろに調査痕が残され、仮のねぐらに定めていた横穴までこじ開けられたということは。
「……エスティアの海上騎士団……ちっ。連中、鈍くさい奴らばかりだと思ってたのに。この間の女騎士からこっち、ついてないね。やるじゃないの」
念のため、あのときは無事逃げおおせたあとも、ここを単なる中継地とし、そのまま近隣の町まで足を伸ばした。
地図上では横に細長いガーランド男爵領は、すなわち南北の他領へと出やすい。
女にとっては別荘の庭に等しい森を抜ければすぐ、べつの貴族が治める宿場町だ。ゼローナは東部全域が活発な交易圏ということもあり、ちょっとくらい浮いた風貌の人間はざらにいる。連中の呼ぶ『外つ国』にあたる、アデラはじめ諸外国からの商人は、決して珍しいものではなかった。
だから、女はあえてアデラの装束を改めたりせずに過ごしていたのだが――
「考えを改めたほうが良さそうね。さて」
ゼローナ各所に置き荷をしている、みずからが呪いをかけた品々。
あれらはさっさと香を使って売りさばき、次に移るか、と算段をまとめた。
* * *
「何だと。そんな場所に」
「ええ、父上。近くに軍港があるからと過信していたのは否めません。今回はボートを大量に艦に積んで、人海戦術で当たらせましたから。
しかも、『そこ』に似た亀裂はいくつもあったんですよ。まさか、洞窟だったとは」
エスト公爵邸では主賓・ルピナスをまじえた晩餐がひらかれ、優雅なひとときが…………とは、残念ながらゆかず、食事をしつつも互いの報告が先立つ。なかば戦略会議と化していた。
食前酒と前菜では、ミュゼルとルピナスが交互にエレッサ視察の報をふるまい、メインディッシュの鱒の香草焼きの段階ではレナードが会話の主導権を握っている。
公爵ミュラーは、そのつど相槌を打ったり、短い質問をしたり。穏やかに子どもたちによる情報交換を促していた。
(さすがだな)
その様子に内心、ルピナスは舌を巻く。
なぜエスト公爵家の血筋が代々抜け目なく、近海や領地、王都までの街道沿いを中心に一大勢力を維持しているのかがわかった気がした。
――とにかく、忌憚ない。
父だから、兄だからと上位を笠に着ることなく、安全を確保できた状況であればミュゼルを除け者にしたりもしない。むしろ積極的に意見を出させている。
実利優先、手と口は同時に動かせ。
まるで商いの大家であるような雰囲気に、ルピナスは生家の北公家とは異なる気概を見た。それにかなりの新鮮な驚きを感じつつ。
フォークを置いたミュラーから話を振られ、はっとした。急いで姿勢を正す。
「ルピナス殿?」
「っ、はい」
「きみを王太子殿下の名代とすることで、我々はようやく捜査を進められた。はっきり言って手詰まりで危機だったとき、たしかな方針を示してくれたことに、改めて感謝を。
レナードが採取した『星闇鉱』と、ミュゼルが持ち帰った各種材料は明日の朝一番に王城へ送るが……。きみならどうする? このあとは。近隣の町を虱潰しかね」
「――――このあと。そうですね、私なら」
いったん、白ワインで口を滑らかにし、ルピナスは即座に考えをまとめた。
コツ、とグラスを卓に置く。
「私があのとき逃げた売人の立場なら、ひとまず母国に戻ります。でも、女は密出国すらできないでしょう。外洋船が入れるのはエスティアだけ。絶対に見つかり、止められてしまう…………ですよね? レナード殿」
「当然だ」
暗に王太子からの圧のように感じたレナードが、きっぱりと頷く。
東公領騎士団の働きはもちろん、一部闇商人らへの牽制もエスト公爵家の管轄にある。これ以上の失態は見せられなかった。
結構、とか、サジェス殿下なら言うんだろうな……とわずかに口の端を上げたルピナスは、そつなく謝意を述べた。
ふ、とミュゼルに視線を移す。
(!?)
急に見つめられ、ぱちぱちと目を瞬いたミュゼルは、口を拭いていたナプキンを離した。
ルピナスは、少しだけ緊張を乗せた声で告げた。
「アデラ側の真意を確かめる必要があります。女はいったい、どんな意図で『ゼローナ王族の女性』を害したかったのか。
……ところでミュゼル。きみ、外つ国の言葉は喋れる?」
「え」
「おや」
「なッッ!? 何を!!!」
ぽかん、と口を開けるミュゼル。
愉快そうに片眉を上げたミュラー。
ばん! とテーブルを叩いて立ち上がったレナードが静かに見守るなか。
ミュゼルは、もちろん喋れるわ、と答えた。




