24 見え隠れする思惑
ガーランド男爵領の町・エレッサの主産業は、元々は町の名を冠した固有種の薔薇を使用した香袋や、細々とした葡萄酒しかなかった。地図上では極端に細長い形をしており、左端がエスティアの軍港部分からはほど近い。他の沿岸部へは峠や河を挟んでおり、漁業は無きに等しい。ふつうの穀物も育てづらい。
唯一の河口付近も非常に入り組んだ地形で、浜というよりは切り立った崖。ゆえに運搬業にも適さないという見方だった。
「――それが、違ったということですか?」
「はい、ミュゼル様」
翌日、朝食の席に現れたソラシアはなぜか萎れた花のようで、元気がなく忍びなかった。
ミュゼルとしては、そういう人物は放っておけない。
多少の思うところはあっても彼女自身は好ましいひとであるため、朝食後、視察のための移動中は積極的に話を振った。内容はもちろんガーランド領のこと。仕事の話だ。
すると、根がまじめなソラシアは、やがてはきはきと答えだした。
大図書館でも良い働きぶりを見せていたことから、仕事熱心なのは血筋かと思われる。
今日も移動手段は馬車だが、公爵家の馬車は悪目立ちしそうだと案じたミュゼルの要望により、急きょ男爵家の馬車を借り受けている。
完全な箱馬車だった前者に比べ、後者は、座席部分は背もたれと屋根があるだけの開放的な造り。
車輪の音や蹄の音は直接的で揺れも相応だったが、気を利かせた御者がゆっくりと進んだため話せないほどでもない。
おかげで、周囲の護衛騎士らにも会話の端々が聞こえる微笑ましさだった。
「いまから行く工房は、その新事業の拠点でもあります。去年の秋頃、ふらっと領内に来たアデラの女性が崖の石をいくらか削って。ほかにも、単なる野生種だと思っていた草花を抱えて『売って欲しい』と言ってきて」
「母上に?」
こてん、と首を傾げて問うと、ソラシアも困ったように笑う。
「ええ。でも母はあの通りのひとですから」
「…………まさか。代金を取ろうとも、理由を尋ねることもなさらなかったの?」
「その通りです」
「なんてこと」
身のうちに流れる商人の血が騒ぎ、状況も忘れてミュゼルは天を仰いだ。
さすがにこれには、周囲の騎士もひそかに頬を緩めた。
ソラシアの説明によると、あまりに欲のなさすぎる女領主に戸惑ったアデラ人は、実際にそれらの原料から優れた白粉を作り出し、エレッサの薔薇の茎を煎じれば美容効果の高いエキスも作れると明言した。
――親切な外つ国びともいたものです、と締めくくったソラシアに、ミュゼルはひそかに眉をひそめる。
(親切。本当に? どんな理由があるにせよ、使用者が昏睡してしまうような呪いをかける民が……?)
白粉。美容薬。
どちらも、ある程度裕福な女性なら金を惜しまず手に入れるだろう。
しかもこの場合、益を被るのは誰なのか。
件の品を生産したと見なされれば、ガーランド領は必ず咎めを受けるだろう。突然現れたアデラ人や製品に対する、調査不十分の罪科で。
かたや、ラベルにしっかり呪い文字を使われたアデラ連合首長国の立場は?
もし、かの首脳陣が、はっきりと麻薬のような意図をもって『眠れる美女の魔法薬』を流通させたのだとしたら。
――――――
一歩間違えば、大変なことになる。
(今更だけど。これ、すごく責任重大なんじゃない……?)
深く考えるときの癖で、取り出した扇子を口元にあてがう。油断すると表情に出てしまいそうだった。震える。いま、こうする間もいやな予感に耐え難く、背筋がぞわぞわとするのだ。
「あ。見えて参りましたわ、ミュゼル様。あれです」
明るい声音のソラシアに促され、目をすがめた。
彼女が、ぴん、と伸ばした腕で指差す先には、どう見ても寂れた地方神殿があった。
* * *
ゼローナでは創世神話にもとづく多神を崇めているが、最も信仰の対象となっているのが主神ゼアロだった。万能を司り、慈愛の象徴とされ、ヒトに似た絵姿もない。ただ白い光として表される。だからこそ、どの神殿も屋根の上や入り口に光を象ったエンブレムを大きく掲げているわけで。
「……工房と仰いましたが、ソラシア様。ここは」
「はい。ご覧の通り神殿も兼ねています。ですが、この辺りではここしか設備の整った場所がなくて。最初は施薬院の調薬室を間借りしましたが、すぐに近辺の民が押し寄せて働き口を求めて来たのですわ。
結局はこちらの神官様の許しを得て、そのまま時間帯を分けての工房となりました。――さ、どうぞ。よろしければ騎士様がたも」
「ありがとうございます」
「……」
ほんの少し、ルピナスを見つめるソラシアがもの問いたげな表情をした。
視察の結果、工房内は効率よく白粉の主原料となる鉱物からきめ細やかな粉を錬精できるようになっており、混ぜものとしての植物由来の粉も衛生的に量産できるようになっていた。
指にとり、手の甲に乗せれば吸い付くようにむらなく伸び、納得の仕上がりだった。
なるほど、これなら嗜好品に目のない王城の女官がたや貴族の奥方が放っておくはずもない。
納得したミュゼルは念のため、現場の中年女性たちにいくつかのことを尋ねた。
彼女たちは快く、いくらでも質問に答えてくれた。曰く。
「――ええ、お嬢様。『これ』はまだ試作だけどねぇ。ときどき、アデラのひとが出来がいいのを取りに来るんだ。……おっと、もちろん無料じゃないよ?
気前のいいことに、まだ商品にもなっちゃあいないってのにさ。たんまり、あたしらにお駄賃を弾んでくれるんだ」