23 ふたりの逢瀬未遂
「ようこそいらっしゃいました、ミュゼル様」
「ごきげんよう、ガーランド夫人。お世話になります」
馬車が止まったのは町の中心地。広場をやや過ぎた場所にある邸宅の庭だった。
家屋敷の規模としては、やや裕福な商人層。家庭的ですらあるクリーム色の外壁に赤茶色の三角屋根。出迎えた男爵夫人は飾り気のない女性で、社交は苦手だと娘から評されるのも頷ける、言葉数の少ないおっとりとした口ぶりだった。
東都を発ち、休憩を挟みながら馬車で揺られたのは三時間程度だったが、ソラシアと二人きりで過ごした車内はそれなりに気を張ったらしい。ミュゼルは、ほっと肩の力を抜いた。
それを旅疲れととった夫人は「あら」と呟き、もの思わしげに頬に手を当てる。ミュゼルの傍らに控える娘に、いかにも母親らしい視線を流した。
「ソラシア。ミュゼル様や騎士様がたには、ひとまず休んでいただかなければ。あなた、早々で悪いのだけど厨房に行ってくれる?」
「わかったわ。――ではミュゼル様。のちほど」
「ええ」
瞳とおそろいの水色のワンピースの裾をお淑やかにつまみ、一礼したソラシアは邸の裏側へと回った。勝手知ったる風情にガーランド夫人が安心したように一行に向き合う。
「……ええと、御者殿はあちらへ。厩と車庫がございますので、馬車をお入れください。ミュゼル様と騎士様はこちらへ。客間へご案内しましょう」
口調はゆっくりだが、てきぱきと指示をこなす彼女に礼を述べ、四名はそのまま邸のエントランスから二階へ。小ざっぱりと気持ちの良い三室に割り振られた。
* * *
「母は、あまりひとを雇うのが好きではなくて。できる限りの家のことは自分でやってしまうんですよ。ここだけの話、庭の剪定まで」
「まあ。ずいぶんと本格的なのね」
ちょうど昼下がりだったこともあり、簡単な荷を運び入れた四名は一階の応接室へと招かれた。
ホストである夫人は、みずから腕をふるっての夕食の支度があるからと下がってしまい、専らソラシアが一行をもてなしている。
淹れられた紅茶を口にし、ミュゼルはちょっと驚いた。
それに恥ずかしそうに頬を染めたソラシアが、ちらりとルピナスを伺う。
「ところで。あの日、ルピナス様がこの辺りの地図や旅行記をご覧になっていたのは、妃殿下からのお達しだったのですね。いかがです? じっさいに訪れてみて、我が領は」
「そうですね。長閑でとても良いところだと感じました。道中、花だけを摘んでいた草園がありましたが、目的は?」
「うふふ。あれは、香袋の原料にするのです。町の名にもなった『エレッサ』という薔薇ですの。いまは取れるだけの花弁を摘みますが、時期を終えれば根を残して刈り取ります。なんでも、去年外つ国から来たという客人に、他の薬効を教えてもらったからと」
「!」
「ひょっとして、アデラの?」
思わぬところで、もう怪しさ満点だった。
ミュゼルが口を挟むと、ソラシアは気を害した様子もなく「そうですわ」と頷く。自身も飲み終えた茶器を受け皿に置くと、不思議そうに首を傾げた。
「なぜアデラとお分かりに?」
「えっ、あ、あの」
「――まぁ、それはいいとして。私もアデラの薬学には興味がありました。我が国とは違うルーツがある。機会があれば彼の国との交流を深め、それらの知識を得たいものだと王太子殿下も仰っていましたから」
「! すごいわ。そうなのですか」
嘘か真か、機転を利かせたルピナスにソラシアの意識があっという間に移る。
(ううぅ……)
ミュゼルは内心悶絶した。
まただ。また、焦ってしまった。
もし、例の売人の女がここに潜んでいるとすれば、先の港の大捕物の件については、うかつに漏らすべきではない。もちろん『眠れる美女の魔法薬』についても。
しゅん、と大人しくなったミュゼルにルピナスが気遣わしげな視線を送る。
その場は、彼が終始話題の主導権を握り、つつがなく終えた。
* * *
夜。
寝付けずにミュゼルが寝台で転がっていると、コンコン、と扉が鳴った。びっくりして誰何すると、小声で申し訳無さそうな声がする――ルピナスだった。
ぱっと肩にショールを掛けて訪問者を招き入れる。
淑女としては良くないことだが、隠密捜査のさなかで相手は相棒の彼だ。拒む道理もない。
すると、彼自身もじつに複雑そうな顔で溜め息をついた。パタン、と後ろ側で扉が閉まる。
扉を背にするのがミュゼル。
招かれたルピナスは向かい合い、若干、落ち着かなさそうに右手で左手を押さえた。
「ごめん。こんな夜に」
「いいえ? 寝付けなかったし、話したいとも思ってたわ。その……昼間はごめんなさい。ソラシア様の気を逸らしてもらえて助かったわ」
「ん。いや、それはいいんだ。落ち込むことじゃないって、それも伝えたくて――……。あそこできみが『アデラ』の名を出したから、さっさと確認できたことだし」
「え。そう?」
「うん」
一転、嬉しそうに顔を輝かせたミュゼルに、ルピナスも微笑む。
「明日の工房視察のほうが本番だし、きみに頼らざるを得ない。護衛騎士で男の私が化粧品に興味津々になるわけにいかないから。がんばって」
「そうね。わかった」
ぽかぽかと嬉しい気持ちが満ちて、そっと扉への道を譲る。キィ、とわずかに軋んでひらいた隙間から身を滑らせ、ルピナスは退室した。
おやすみ、と挨拶を交わして短い作戦会議が終了する。
――が、その現場を目撃してしまった人物がいたのを、ルピナスは気付けなかった。
それも仕方のないことだった。
彼女はこの館について知り尽くしており、かつ、彼女なりの一大決心をもとにこっそりとやって来て、手前の曲がり角で息を整えていたところだったので。
「(え? ……なぜ? ミュゼル様のお部屋から、彼が……?)」
ソラシアだった。




