22 乙女心と馬車の旅
のんびりとした田舎路を二頭立ての馬車がゆく。左右と後方を一名ずつ見目よい騎士に護られており、ものものしさはないが独特の華やかさがある。
見渡す限りの平地は草原。さまざまな花が揺れ、それらを摘んでは籠に入れる作業中の女性たちの姿が見られた。
ここは海からやや離れた山あいにある、細長い所領。その大半がこういった花園やブドウ園になっているという。
道はゆるやかな曲線を描き、遠目にのぞむ町へと続く。
やがて、左を並走する騎士は黒塗りの車体に馬を寄せ、目線の高さにある小窓を軽くノックした。
すぐに内側で小さな反応があり、なかからストロベリーブロンドの巻毛の令嬢が顔を覗かせる。カチャリと施錠をひらき、屈託なく微笑んだ。
「何かしら? ルピナス様」
「もうすぐ目的地です。降車の心づもりをお願いします、ミュゼル嬢」
「わかりましたわ」
こくりと頷き、にこやかに窓を閉める。その所作も表情も完膚なきまで年若い上級貴族の令嬢――ミュゼル・エストは現在、表向きの公務の真っ只中にあった。
ルピナスの部屋で行われた内々の会議からは十日経っている。その間、公邸は上を下へと忙しかった。文書官は王城への報告書や助っ人を寄越してくれたことへの礼状を何通も作成し、助っ人であるルピナス自身もサジェス王子とトール王子、それぞれへの手紙を認めている。
こうして膨大な量の書簡を携えた小型竜が数頭放たれたのち、今度は適量の文書が届いた。内容は――
「……驚きましたわ、ミュゼル様。我が領地の試験的な産業を、もうご存知だったなんて」
「ソラシア様」
「しかも、王城では王妃様みずから、当方のハーブ園に関心を示してくださったなんて。嬉しゅうございます」
はにかむように対面の座席で笑うのは黒髪を一本の三編みに結わえ、肩の前に楚々と垂らしたソラシア・ガーランド嬢。
ミュゼルは、困ったように微笑んだ。
「妃殿下はとくに、園芸にお詳しいから。ご自身もお城の温室で、たくさんの薔薇を育てていらっしゃるの。もっぱらジャムやお茶にお菓子、鑑賞用になさってたようだけど、王都で評判になった美容薬に興味を持たれたのね。そういった方向でも活かしたいと思われたみたい」
「何にせよ、おかげさまでこのような名代視察として栄えある東公家より貴女様を遣わしていただけるなんて。光栄ですわ――……亡き父や祖父が見れば、どんなにか喜んだことでしょう」
「まあ」
空色の花が朝露にしっとりと花弁を濡らすように、みるみるうちに目の前の美女の面が、ほんのりと色香を含む哀切に染まる。
(えええ……やだ眼福。………………じゃなくって!?)
はっ、と居住まいを正したミュゼルは、こほん、と窓に向かって咳払いをした。
「ごめんなさいね。もっと早く、うちからも支援できれば良かったのだけど」
「そんな。いいえ、ミュゼル様。お気持ちだけでもありがたいことです。母は残念ながら、あの通り社交が苦手ですし。父が遺したハーブ畑の大半を景観として愛でるような、呑気なひとですか、ら……っ?」
それに、と続けようとしたのだろう。その時だった。
おもむろに車窓が外から開けられ、騎士装束のルピナスが顔を見せる。
ソラシアは固まり、びくっと肩を揺らした。
ルピナスは異常がないか車内を確認したあと、さらりとミュゼルだけに視線を合わせた。
「失礼、咳払いが聞こえて。お呼びかと」
「まさか。王太子殿下は、あなたにそんなふうな呼び方を?」
「時々」
「…………大変ね。でも大丈夫。ちょっと喉を整えただけですわ」
「そう、でしたか。すみません。変なことを言って。――では」
「はっ、はい!」
麗々しい若騎士そのもののルピナスに会釈され、ソラシアはどぎまぎと頷いた。握った手を胸元に寄せている。
その様子に、気づかぬミュゼルではない。(やっぱり)と確信を深める。
――――どうしようかなあ。
当面の『表』の公務は、園芸好きな王妃様よりガーランド男爵領の視察の任を賜ったということ。
けれど、その内実は、ここで育てられている薬効植物のすべてが件の品の原料に合致した、という事実に起因する。もろもろの状況を鑑みての調査だった。
(そもそも、褐色肌のアデラの民に白粉は必要ないし。ラベルの呪いことばに皆、踊らされすぎちゃったのよね。トール王子もおひとが悪いわ。おわかりなら、もっと早くに教えてくださっても良かったのに……)
はあ、と溢した溜め息は右側へ。
ソラシアが見つめる左の車窓とは反対に流した。
必要以上に派手な『視察』にすべきではないと判断したルピナスは、身分を偽ったまま。
それはそれで新たな事案に繋がるのでは……と、はちみつ色の瞳の令嬢が憂える。
表裏の公務に合わせ、気付きたくない私事のもやもやまで抱え込んだ馬車は外見上、おだやかな風景に溶け込んでいった。




