16 襲撃、逃走☆
効き目がいいから、と、焦げ茶っぽい目を細める女からは、何の良心の呵責も認められない。もしや、彼女たちはこれらの品の副作用を知らされず、ただ売り捌くように言われているのかと息を飲む。
が、隣のルピナスからは、ゆらりと殺気じみた気配がのぼった。
――ゼローナの王族で女性といえば、まずは王妃。それに王女。
加えて、あと少しで王太子妃となる、彼の大切な姉姫・アイリスが対象で……
(いけないっ)
相棒の怒りの気炎が女の元まで漏れぬよう、ミュゼルは、すっと両者の間に割って入った。用意しておいた革袋を広げ、先ほどの小袋をすべて放り込む。重たげな金属音は、またたく間に女の耳目をとらえた。
ほっ、と息を吐く。
「はい、これ。さっき、わたしが数えてるの見てたでしょ? 取りに来て」
「…………いいわよ」
ミュゼルの持つ金貨と、一瞬だけ不穏な空気を漂わせたルピナス。それらをちらちらと見比べた女は注意深く、足音を立てずに近寄る。
そのときだった。
あまりの素早さに対応しきれず、何がなんだかわからなかったミュゼルはたたらを踏んだ。
気づくと後ろ手をルピナスに掴まれ、彼の背中側へと引き込まれている。代わりに、さっきまで自分が立っていた場所には。
(えっ、……鞭!?? なんでそんなものが)
金貨を抱えた少女をまるごと逃し、空気をぴしりと鳴らした武器は、たちまち女の元へと戻っていった。
右手が柄。左手に手ぶらで帰ってきた先端部分を握り、女がチッと舌打ちする。
「やっぱりね。おかしいと思ったのよ。あんた、役人か女騎士でしょ。わざわざこんな素人娘を使って。上司から言われて囮捜査? ご苦労様」
「うるさい。大人しくここで捕まってもらおうか。――ミュゼル、笛を」
「! はっ、はい」
「させないわよ」
ごそごそと胸元から紐をたぐり寄せるミュゼルに反応し、今度は女が袂から一本の筒を取り出す。それを見るや否や。
「待てっ! この、吹き矢なんか……!」
どんっ、と突き飛ばされたミュゼルの胸元でペンダントの形状の笛が揺れる。
一瞬、きらりと光る金属が目の前を通り過ぎ、自身の帯に仕込んでおいたダガーを抜いたルピナスが身を翻した。「走れ、ミュゼル!」
「でも」
「いいからっ。こいつ、やばい。私が取り押さえるまで、できるだけここから離れて」
「…………っ!」
躊躇する暇はなかった。倒れた拍子に背を木箱でしたたか打ち付けてしまったが、慌てて立ち上がる。
逃げ道は狭かったが、木箱とレンガ壁の間を体を横にし、すり抜けるように駆けた。
こんなとき、自分のふくよかな体型がいやになるが仕方がない。何とか、向こう側の小路まであと少し。
すると。
「!!! あっ、こら!!」
(?)
珍しく、ルピナスの焦り声が届いた。
気になって振り向くと、そこに女はいなかった。
代わりに頭上に張り出す屋根の上で、ダダダッと豪快に足音が鳴る。瓦が軋む。近づく。ミュゼルは、ひゅっと息を吸い込んだ。
「ここまで。来なさい。あんたは人質、に……――っ!?」
「きゃああぁっ!!!」
跳躍で屋根の上まで飛び乗ったらしい女は駆け抜け、軒下へと飛び降りた。先回りされてしまったのだ。
懐まで飛び込まれ、防御の姿勢で突き出した腕をとられそうになる。その瞬間。
カッ、と眩しい光がミュゼルの手――正確にはルピナスからもらった護符の指輪から放たれた。
とんでもない魔力の磁場が生じる。
「ミュゼル!」
「ルピ……」
「! ぐっ……。これだから、ゼローナの魔法使いは」
濃い密度の風圧に弾き飛ばされたように、女が小路の向こう、なんと屋根の上で転がっている。
それでもすぐに体勢を立て直し、さっと屋根伝いに走り去る姿を、ミュゼルは呆然と眺めた。
時間にすればわずか数秒だったはず。
が、「貸して」とルピナスに胸元の笛を取られ、至近距離で高い高い音を吹き鳴らされたあとも。
駆けつけた騎士たちも。
口惜しいことに、その日は誰も、彼女を見つけることはできなかった。
時系列的には、このあとが「14 【閑話】兄の胸中」です。
次話、おそらくレナードをまじえた東公陣営からスタートすると思います(*´人`*)
よろしくお願いします〜。