13 商談、ふたたび
「前、その女と会ったときは、相手は一人だった?」
「ええ」
こく、と、ミュゼルは頷いた。
足元からは、関所を兼ねるトンネルの手前で列をなす馬車たちの騒々しさがダイレクトに伝わる。しぜん、普通の声量での会話となった。
東都エスティアは、急勾配の立地を海に向けて整えられている。
公邸こそ陸側の大門付近にある高台に建てられているものの、本質的な意味合いでの『街の中心地』はここだ。ルピナスのきりりとした問い掛けに、ミュゼルの気も引き締まる。
馬車の通る上街道から続く、緩く曲線を描いた坂の先に手摺を備えた石階段がある。その真ん中を手を繋いだままで歩く。
すれ違う通行人をすいすいと避けながら、商人に身をやつした公爵令嬢は、注意深く雪辱の三日前を思い出した。
「最初にあのひとを見つけたのは、ここよ。中段広場」
「中段?」
「そう。階段を降りてすぐの円形広場。
で、見える? あそこの黒い角柱。いくつも凝った外灯が付いてる」
「ああ、うん」
「あの下で兄を待ってる間に、アデラ風の帯を付けたひとを見つけて。その前から『怪しいのはアデラ国じゃないか』って話してたの。それで、手がかりが欲しくて」
「――単身追いかけた?」
「うっ」
痛いところを突かれたミュゼルは、とっさに言葉に詰まった。すでに家族からはさんざん叱られた部分だ。ちらりと隣の麗人を見上げる。
真剣。目が合った。
真面目そのものだった。
吟遊詩人ならば神秘の色と歌いあげそうな黒曜石のまなざしに、けぶる睫毛の長い影が濃い。頬の線は綺麗な鋭角で、およそ甘やかさの欠片もなかった。瞳はやや険しい。
が、ただ非難されているわけではなく、純粋な心配をまじえての確認なのだと感じた。そのことに改めてほっとする。
ちなみに騎士服であればもう少し凄みがあったかもしれないが、これも兄の嫌がらせ効果――もとい作戦だろうか。ちゃんと雰囲気が和らぎ、女性っぽく見える。
総合的には、メイドたちが選んだ衣服は動きやすく中性的なデザインで、男女どちらともとれる顔立ちの彼には、じつによく似合っていた。
(これも、言ったら藪蛇かしら。言えないなぁ……)
広場から幾本も伸びる脇道。その一本に足を踏み入れ、ごちゃごちゃと入り組む細道からさらに横へと逸れる。すると、とたんに目の前が赤レンガ一色の壁に変わった。
ルピナスが、はっと息を飲む。
「ここは」
「そ。私が倒れてたのはもう一本向こう側だけど。念のため、今日は違う筋から入るわ。あっちの仲間が前の出入り口を見張ってて、先にお金だけ取られるわけに行かないし」
「……なるほど。準備さえあれば、ぎりぎり見上げた用心深さだね。騎士団がこの区画に入らずに周りを固めてるのは、袋の口を縛るためっていうか……倉庫群全体を警戒するため?」
さすがに、ひそひそ声で尋ねられる。
ちょっぴり苦笑したミュゼルは、ぽん、とみずからの胸元を叩いた。
服の下には、小さいが相当大きな音を鳴らせる笛を忍ばせてある。首から下げてあるこれを、有事の際にはすかさず吹くこと。救援が来るまでの警護や、相手の足止めがルピナスに期待されていること。それらを仕草一つで再確認したつもりだった。案の定、ルピナスも口の端を上げた。
「つくづく無茶だなあ。私もきみも、本来は潜入捜査なんか、すべきじゃないのに」
「それは否めないけど」
と、そのとき。
ジャリ、とわずかに砂を踏む音がした。角を折れた先の辺り――まさに、一昨日商談をした場所に誰かいる。
思わず足を止めた二人に、予想違わず猫のような身ごなしで女が現れる。「あら」と驚いた口ぶりではあったが、余裕を崩さない態度だった。
右側の壁にもたれ、口布がめくれないよう手で押さえながら小首を傾げる。
「身内を連れてきたの? 悪い子。約束は守れる?」
「約束」
どき、どきと脈打つ緊張に声がうわずらないよう、ミュゼルはいったん言葉を止めた。
記憶をなくしたままのフリ。
できる。
その状態での『約束』とは、すなわち。
すう、と、ミュゼルは息を吸い、「もちろんよ」と笑った。
「ちゃんと全部売りさばいたわ。五十万フルール、用意できた。そっちこそどうなの? 見合うだけの品は用意できた? 前と同じ、白粉かしら」
「薬瓶と白粉が半々ね。こっちへ来て。渡すから」
ゆらり。
女が立ち去ったあとに以前も嗅いだ、甘ったるい匂いが立ちのぼった。




