12 いざ決戦へ
「結論から言うと、ルピナス殿。きみに、女装してもらいたい」
「……………………えっ」
* * *
ばーーーーん、と、擬音が被さりそうなほど堂々と、エスト公爵家当主のミュラーは言い切った。
うなじのリボンで束ねたくせ毛も、人の良さそうな明るい瞳も、彼を挟んで両隣に座るレナードやミュゼルと同じ色あいだ。
ただし、かなり恰幅がいい。
清潔感を欠くほどだらしないわけではないが、いわゆる中年太り体型だった。それが、いっそう輪をかけて彼を「親しみやすい紳士」たらしめているのだが。
ルピナスは耳を疑った。
(女装……。聞き違い?)
何でまた、と、素で訊き返すルピナスを咎めるものはいなかった。むしろ同情のまなざしを向ける幹部騎士は多い。
が、例外のように意地悪な笑みを湛えたレナードが、ことさら神妙に告げる。
立案したのは僕だ、と。
「聞いたよ。きみは、ずいぶんと腕が立つようだ。然るに、妹の守護を引き受けてもらえて本当に良かったと思っている」
「お兄様。口調に棘が」
「ミュゼルは黙ってて」
こほん、と咳払いをしたレナードは、再び正面のルピナスを見つめた。
「先方の売人たちは相当に用意周到なようだ。きみがもたらしてくれた、王都での奴らの情報は非常に有益だった。礼を言うよ。おかげで、港のギルドにも恩を売れたからね」
「お力になれたなら良かった。しかし、レナード殿。女装とは――」
「額、面、どおりの『騎士』がッ! 『女商人』に扮したミュゼルに付き添ったらおかしいだろう?? そのうえきみは滅多にない美男子だ。へたに男装なんかしてみろ。必ず浮く。浮きまくる。つまり、相手が警戒して作戦の成功率が下がるじゃないか。間違いない」
「ひどい言われような気がしますが」
「気のせいだよ、ルピナス殿」
に、と無邪気に笑みを深めたレナードは、姿勢を直してポンポン、と手を打った。
すると、たちまち数名のメイドが続きの間から流れてくる。
彼女らはルピナスを見ると一様に納得した表情を浮かべた。
――……まさか、と、ルピナスの背に戦慄が走る。
年嵩のメイドが一人進み出て、頭を垂れて恭しく膝を折った。
「若様。このかたを誂えればよろしいのですね」
「あぁ。地味めで頼むよ」
「畏まりました。さ、お客様。どうぞこちらへ」
「!!! ちょ、まっ……!? お待ちください、閣下。これは横暴ですっ!」
ルピナスの顔色は心持ち悪かったが、美貌は損なわれることはなかった。決定事項もまた、覆ることはない。
――すまないね、と、いかにも申し訳なさそうな公爵に見送られ、退室したルピナスが現れたのは約十分後。
ゆったりとした衣装を身に着け、特徴ある髪を隠した彼は、みごとな山岳地帯の美女だった。
(((……似合う……)))
((アリだな))※何が
サロンにいたものの大半は、それぞれの胸中で彼に賛辞を贈ったが、全員が全員、北公家子息殿の名誉を慮って価値ある沈黙を貫いた。
やり遂げたメイドたちはもちろん満足そうだったが、一人だけ、こっそり嘆いていたという。
曰く、『何の刷毛も使う必要がありませんでしたわ』と。
* * *
一時間後。
みっちり話し合いをしてから場は散会し、女商人に扮したミュゼルとルピナスは、打ち合わせどおりに港の手前で乗り合い馬車から降りた。
目の前に広がるのは、昼前の賑わいがここまで届く大エスティア港。右に視線を移せば、国旗を掲げた船が停泊する、海上騎士団の軍港がある。
「流石ね。もしも海に逃げられても、すぐに封じられるよう、船団までとっくに展開中なんて」
「海は、きみたちの庭だろう? そっちは心配ないけど。逆に陸地が心配かな。例の美容薬や白粉が出回るようになって、もう三ヶ月近く経つ。あちこちの街に拠点が出来ててもおかしくない」
「東都も?」
「東公領も。王都に続くどの領地も、必要なら一斉にあらためないと」
「……そうね」
きゅ、と唇を引き結んで左手を胸に当てる。
それから、ふと右手の人差し指に光る銀の指輪に視線を落とした。なんとなく力付けられる。――自分が行くと言い切ったものの、緊張がないわけではない。
すると、するりとその手を取られた。
「わっ。ルピナス?」
「手、繋いで行こうか。混んでるし、はぐれたら元も子もない」
「え、う、うん」
藍色の髪の代わりに、今日は布をふんだんに使った上衣と肩掛けが翻る。剣は目立つからと、ダガーを二本、帯に仕込んでいるらしい。
――相手も一人とは限らない。戦闘にならなければいいが。
(だめだめ、切り替えなきゃ、わたし!)
この高揚はそっち方面なんだと言い聞かせるように、頭を横に振った。
なるべく意識しないよう、相方の手を握り返す。
ちょっとだけ驚いた顔で見つめられた。
「行きましょ。あのひとたち、絶対とっ捕まえてやるんだから……!」
「おっと」
傍目には旅の若い商人。姉貴分の手を引く小さな妹分。
舞台裏に流れる緊迫感はさておき、そんな微笑ましい二人連れが、港までの舗装された坂道を下っていった。