11 われら、扮装の姫と護衛騎士 ☆
二日後。ミュゼルは自室で再び変装用の服をまとい、嘆く侍女が渋々編んでくれた髪をきちんと束ね、帽子のなかに納めていた。後頭部に、それ専用の布のたわみがあるのだ。
用意しておいた帽子は、図案化された花模様の可愛らしいもの。布が顔の横まで垂れるタイプで、軽い素材のケープとは切り離されたフードのような造り。
さらに額の生え際も隠して――
そんなとき、扉を叩かれた。ぴたりと手を止める。
「はい?」
「ミュゼル、私だ。開けていい?」
「どうぞ」
鏡台に座らず、立っての仕上げだった。
入室した友人は侍女に軽く手を振り、着席を温和に断って、つかつかとこちらに歩み寄った。そのまま、びしっと人差し指を突きつける。
「ミュゼル。言っとくが、単独での接触は禁止。絶対だ。これは、レナード殿も閣下も同意見だよ」
今日の彼は、王都近衛騎士団の黒衣ではない。東公領騎士団の蒼いチュニックタイプの騎士服だ。髪型はいつもと同じ。それがやたらと似合って目にきらきらしいので、ミュゼルは束の間、雪辱を果たすための決戦前ということをすっかり忘れた。
まじまじと見つめ、おもむろに溢す。
「ルピナスって、本当に何を着ても似合うのね。どこからどう見ても東都の騎士様だわ。まさか、護衛に付いてきてくださるの? ありがたいこと」
「…………冗談じゃないからね? どうなってるの、ここの騎士団と来たら。みんな腑抜け過ぎじゃないか? どうして、誰一人私に勝てないんだ……!!?」
――どうしてでしょうねぇ、と相槌を打ちつつ、もそもそとフード型の帽子を被り終える。鏡でチェックし、よし、と頷いた。
くるりと振り返る。侍女から聞いた、昨日行われた、騎士団内でのいざこざを思い出す。どうやら本気で怒っているらしいルピナスに、若干、呆れの溜め息がもれた。
――――――――
売人を捕縛するための港内封鎖や、他所との連携といった采配は昨日の昼までに終わった。それで、空いた時間を使って『ミュゼル嬢の護衛騎士』なるものを募り、客人のルピナスを交えて騎士らが競い合った結果、なんと彼が残ったらしい。
ただの余興で親善試合のようなものと解釈していたミュゼルは、茶番だなぁと笑ったが。
その夜、兄のレナードから苦々しげに伝えられた内容を聞くに、ガチ勝負だったのだと認識を改めた。
よって、いまはエスティアの姫として、自領の騎士の面目を保つべく努力する。
ミュゼルは眉間を深め、すう、と息を吸った。
「貴方、それ本気で言ってる? 仮にも我が国最強とも謳われる北公領騎士団で、十四の歳から叩き上げで育ったんでしょう? そりゃあ強いわよ。おまけに、そこで剣技だけなら上位と言うし。みんな慄いてたわ。『綺麗な顔して鬼神か』って」
「誉め言葉かな。ありがとう」
「それに、うちは基本的に海戦が主なの。白兵戦はよっぽど切羽詰まったり……とにかく、ギリギリでないと滅多にやらないわ。賊の船は問答無用で魔法弾を込めた砲台で沈めますから。海の大型魔獣なんかもね」
「へえ」
ピュウ、と口笛を吹いたルピナスは、そこでようやく瞳を輝かせる。
「やるじゃないか。いいなそれ。北都で、地上戦に導入できないかな。火力凄そう」
「いやね、戦闘お馬鹿さん」
仕方ないなぁ、と肩をすくめると、遠回しに脳筋と皮肉ったにもかかわらず、流れるような仕草で手を差し出された。
(?)
エスコートの習慣から、つい右手を重ねる。すると。
「わっ」
「これ、着けといて。一度だけなら悪意ある者を遠ざけてくれる。護符だ」
「……護符……? 指輪にしか見えないけど」
掴まれ、引き寄せられた手はあっという間に放された。代わりに残る、温かな金属の重み。シンプルな銀の指輪が人差し指にはめられている。
表に返し、裏から見ても同じつるりとしたデザイン。しかし、わずかだが表面に刻印が彫ってあった。
不思議に思って角度を変えると、その窪みが変則的に光を弾く。
読めずにひたすら首を傾げていると、やや諦め口調のルピナスが両手を腰に当てていた。
なぜか一仕事終えたような、いわゆる『ふうやれやれ』といった風情だった。
「――まぁ、じっさい、かたちは指輪だから。私は『剣を扱うのに邪魔だから要らない』と言ったんだけど。馴染みの先輩騎士が、どうしてもと譲らなくて」
「ふううん」
物珍しげに目を細めるミュゼルに、ルピナスが居たたまれないように視線を逸らす。少し、頬が赤かった。
「その。ごめん。もし想う相手がいるなら嫌だろうけど。装飾品……ましてや、指輪なんか」
「え」
息が止まった。つられて、こちらまで顔が熱くなる。それを誤魔化すべく、ぶんぶんと両手を前で振った。
「だだだ大丈夫よ? わたし、浮いた噂一つないわ。言い寄るひとなんか、いないし。付き合い上、特に婚姻が必要な家もないし」
「そう? 昨日は、どの騎士からも凄い目で睨まれたけど。流石の人気だと思った」
「ないない。ルピナスが眩しかっただけよ。第一、貴方こそどうなの? その、ええと……懇意にしてるかたとか」
「ああ」
遠回しに『恋人は?』と尋ねたつもりだった。
今度は、ちゃんと通じたらしい。顔色の戻ったルピナスが艶やかに微笑む。
「いないよ。ずっと騎士業だの政務補佐だのと忙しかったし。王城づとめになってからは、姉のこともあって気が抜けなかった………………あっ」
「?」
「ご、ごめん。何でもない。行こうか。階下のサロンで、最終打ち合わせをするって、閣下たちが」
「?? うん」
侍女らに見送られ、少し大きくなったルピナスの背を見上げながら通路を歩く。瞬間、(あ)と思い当たったとき、迂闊にもミュゼルは赤面を抑えられなかった。
では、あれは。
――――彼にとっても『初めて』だったのだ。




