第七話 兄がやって来る
それから何度かロンバウトと一緒に町へ行った。彼の姿を見かけると、子どもたちが集まってくるくらいに人気者になっている。肩からかけた石板は彼の特徴として広く知られることになった。
ロンバウトはしゃべることはできないが、美しい文字で意思を伝えることができる心優しい騎士だと町の人たちは認識してくれたのだ。
そして、ロンバウトは町の見回りの任務もこなすようになる。
「やっぱりロンバウトは凄いよな。暴れ馬を一瞬でおとなしくさせたからな。子どもが蹴られそうになっていたが、無事に救出できて本当に良かったよ」
夕食を受け取る列に並んでいた騎士が、感心したようにロンバウトを話題にしていた。今日一緒に町の見回りをしていた騎士らしい。
「馬があいつを怖がっておとなしくなっただけだろう? 馬に恐れられるって、騎士としてどうなんだ? 馬にも乗れないんだぞ」
デニスはやっぱりロンバウトに厳しい。
「でも、ロンバウトは馬よりも速く走れるから、問題はないと思うけどな。しかも疲れ知らずだしな」
別な騎士がロンバウトを庇った。確かにロンバウトは馬よりも速く走ることができそうだ。
「俺と一緒の時も、道路を補修している現場で、積んでいた石が崩れそうになっているところに出くわしたことがあって、ロンバウトが素早く駆け寄って重い石を軽々と止めていたな。あのままなら作業員が下敷きになったかもしれない」
「先日の嵐の時、増水した川の氾濫を止めるために土嚢を積んだんだが、ロンバウトは人の五倍くらい土嚢を運んでいた。お陰で氾濫を食い止めることができたんだ」
他の騎士たちもロンバウトの活躍を口にしていた。
「あいつの身体能力が凄いのは、俺もわかっているけど。ここの食事が少し豪華になったのもあいつのお陰らしいし」
ちょっと拗ねたように、デニスは夕食を美味しそうに食べているロンバウトを見た。彼なりにロンバウトを認めているらしい。
そんなある日の午後、団長が父を訪ねてきた。夕飯の仕込み中だった父は食堂で話を聞くことにしたらしい。たまたま私も父を手伝っていたので、同席することになった。
「ロンバウトの兄である、ミュルデルス伯爵の次男ラウレンス殿がボンネフェルトに来ることになった。私の家に宿泊することになっているが、ロンバウトが生活をしているところを見たいらしいので、この寮に案内する予定だ。騒がしくなるかもしれないが、よろしく頼む」
「団長。あんな状態のロンバウトを勘当しておいて、今更何の用なのでしょうか?」
父が不快そうに訊いた。私もそう思う。貴族には様々な制約があるのかもしれないけれど、家族として本当に酷い仕打ちだと思う。
「私にもラウレンス殿の目的がわからないのだ」
団長も訳を知らないらしく、軽く首を振る。
「ロンバウトさんをこんな狭いところに住まわせていることが知られると、ラウレンス様に文句を言われるのではないでしょうか? 勘当したとしても、弟には違いないでしょうし」
伯爵が勘当を決めたけれど、お兄さんは納得していないので、わざわざこんなところまで会いに来るのかもしれない。
「それはない。安心しろ。ロンバウトをここに住まわせることを決めたのは閣下だからな。伯爵の次男ごときが批判できるはずはない」
団長は辺境伯のことを閣下と呼んでいる。実の弟だけど、職務上けじめは必要だと感じているらしい。
辺境伯はとても身分が高いので、伯爵家の次男だろうと恐れることはないのかもしれない。
それでも、ロンバウトが辛い思いをするのではないかと、私は不安になっていた。
それから十日ほどして、ロンバウトの兄が団長と一緒にやって来た。三歳上だというラウレンスは、ロンバウトによく似ていた。かなり小柄で肌の色も白いが、髪の色が一緒だ。
ロンバウトの部屋を見に行っていたラウレンスは、皆と一緒の夕食を食堂でとると言い出した。緊張しながら団長とロンバウトと一緒に座っているテーブルへと夕食を運ぶ。
「アニカ、忙しいのに料理を運ばせて悪かったな」
団長は相変わらず気配りができる人だ。
「いいえ、もうほとんどの騎士は食べ終わりましたから」
最盛期は過ぎて、食堂に残っている騎士もまばらになっている。私は空いたテーブルをふきんで拭くことにした。
「食事はそれなりのようですが、部屋はまるで動物の飼育小屋のようではありませんか。もう少しましなところはないのですか?」
静かな食堂なので、ラウレンスの声がはっきりと聞こえてきた。ロンバウトは激しく首を横に振っている。
「独身寮をあまり快適なところにしてしまって、居着いてしまう騎士が出ても困るからな。優秀な騎士には早く結婚して子どもをたくさん作ってもらわないと。早く嫁を探して出て行きたいと思わせるくらいがちょうどいいんだ」
団長が冗談のように言っているけれど、それは本音だと思う。騎士は辺境伯領の宝だと団長はいつも言っている。そして、それは辺境伯の考えでもあるらしい。
「それは普通の騎士の場合でしょう。このような姿になったロンバウトは望んでも結婚など無理でしょうから、一生こんなところに住まわせるつもりですか?」
兄として弟を心配しているのは理解できる。でも、ラウレンスは何気に酷いことを言っていると思った。
「ロンバウトは私の部下だ。家族として見捨てた貴方に貶められる謂れはない。彼はとても優秀な騎士だからな。夫にしたいと思う女性もたくさんいるはずだ。ロンバウトはこの町で幸せに暮らす。心配は無用だ」
団長もラウレンスの言葉が気に入らなかったようで、責めるような口調になっていた。
ロンバウトが石板をテーブルに置き、何かを書き始めた。文字は見えないので、何を書いたかわからないけれど、ラウレンスはそれ以降黙ってしまう。そして、三人は黙々と食べ始めた。一番大盛りにしたロンバウトは早々に食べ終わり、切なそうに私を見ている。
そんな目に弱い私は、お代わりを届けることにした。すると、トレイの横に置かれた石板が目に入る。
『ここが好きだ。私はここで幸せになる』
石板にはそんな文字が書かれていた。