第三話 食って寝て走る
夕食が済んで、ロンバウトを部屋まで案内していた兄がほっとしたような顔で戻ってきた。
「狭いと文句を言われると思ったけど、喜んでくれたみたいで助かったよ」
「えっ? 喜んだの? 部屋の半分はベッドで、小さな机とチェストがあるだけの狭い部屋なのに」
独身寮は本当に狭い部屋なので、大きめのベッドを入れると空間は殆ど残っていない。独身の騎士たちは早く結婚してここを出て行きたいと願っているのに、貴族だったロンバウトは本当にあの部屋で満足しているのだろうか?
「ロンバウトは食うことと寝ること、それに走ることくらいにしか興味がないのではないか。あんな部屋だって、眠るだけなら十分だからな」
兄はそんなことを言う。かなり失礼だけど、ちょっとそうかもしれないと思ってしまった。
昼寝から目覚めた後も、ロンバウトは凄い速度で屋外訓練場を何周も走っていたから、絶対にお腹が空いただろうと思って、夕食の皿は溢れるほど盛ってあげたのだった。すると、彼は本当に嬉しそうにしていた。その笑顔が可愛くて、明日の朝食も大盛りにしてあげようと思ってしまう。
「何にしろ、ここの暮らしに納得してもらえたようで良かったな。貴族なんて迎え入れたことがなかったから不安だったが、元々気にしない質だったのか、獣化してそうなったのか知らないが、偉ぶる感じもなくて助かる。風呂には俺が一緒に入ってあの尻尾を洗ってやるか。足も随分と汚れているだろうしな」
父はロンバウトと一緒に風呂へ入るつもりらしい。あのふさふさの尻尾やぷくんとした肉球を洗うのかと思うと、少し父が羨ましい。
「それじゃ、クンラートたちはもう帰っていいぞ」
クンラートとは兄の名前。まだ新婚なので町に義姉と二人で住んでいる。そんな兄夫婦は朝食後にこの寮にやって来て、夕食後に仲良く帰っていく。兄は独身の時からパンを焼く担当で、一日中パンを焼き続けている。兄のパンはとても好評で、食べ放題の上に夜食にしたいと部屋に持ち帰る騎士もいるので、かなり大量に作らなければならない。大変な仕事だと思うけれど、兄はこの仕事が好きらしく、毎日楽しそうにしている。同じ職場に大好きな義姉がいるせいかもしれないけれどね。
「フェリーネ、それでは俺たちも帰るか」
そう言ったのは姉の旦那様。この騎士団に勤める騎士で、出勤時に姉をここまで送って来て、退勤時に迎えに来るのだ。そして一緒に夕食をとって町へと帰っていく。
姉夫婦もとても仲が良く、義兄が独身寮へやってくると姉の顔が嬉しそうに綻ぶ。それを見た義兄は少しはにかんだような笑顔を見せるのだ。
そうして、父と母と私だけが残された。兄も姉も幸せそうで喜ばしいことだけど、ちょっと寂しい気分になる。
「アニカ、さっさと風呂へ入って寝ようか」
私の気持ちを察したのか、母が風呂へと誘ってきた。
朝の早い私と母はいつも一番風呂を使わせてもらっている。独身寮の風呂は何と温泉なので、本当に気持ちがいいのだ。私たちの後には騎士たちの入浴が控えているので、あまりゆっくりできないのが残念だけど、一日の疲れが吹き飛びそうな気がした。
こうして私の忙しい一日が終わる。皆の笑顔がたくさん見られたことに満足な一日だった。
次の日もロンバウトは元気いっぱいだった。大盛りの朝食を軽く平らげた後、屋外運動場を疲れも知らず走っている。洗濯物を干しながらそんな彼の様子を見ていると、私まで元気になるような気がした。
そして昼。ロンバウトが列に並んだのは三回目である。二食分では足りなかったらしい。かなりの運動量をこなしているから仕方がないと思うけれど。
鳥肉の料理とサラダを載せたトレイを渡すと、嬉しそうにしながら受け取ってテーブルの方へ歩いていく。パンはあまり好きではないらしく、パンを置いている棚には近寄らない。
獣化してしまっているので、彼の食の好みも獣に近くなっているのかもしれない。
とにかく、幸せそうに食事をしているロンバウトから目を離せないでいた。
「アニカ! 何を見ている」
列が途絶えたと思って油断していると、不機嫌そうなデニスに声をかけられた。彼は午前中の門番担当だったので、昼食をとるのが遅くなったようだ。
「何でもないわよ」
私は慌てて皿に鳥肉料理を盛り付けた。
「まあ、珍しいのはわかるけど。あんな姿なのは世界中であいつだけだからな。しかも、食って、走って、昼寝をしているだけ。本当にただの獣だな。あれではとても騎士とは言えない。なぜ、団長はあんな役立たずをここに置いているのか、理解に苦しむ」
デニスはこんな嫌味な言い方をするような人じゃなかったのに。食事が遅れて機嫌が悪いらしい。
「そんな言い方、酷いじゃない。ロンバウトさんは昨日来たばかりだから、役に立つかどうかなんでまだわからないわよ。以前は優秀な近衛騎士だったのでしょう?」
とにかく早く食事をとってもらわないと、これ以上デニスの機嫌が悪くなっても面倒だ。そう思って、慌ててトレイをデニスの前に置いた。
「同情か? それとも、あんな獣じみた男でも、貴族なら魅力的だと言うのか?」
しかし、デニスは立ち去ろうとはしなかった。
「馬鹿なことを言っていないで、さっさと食べてしまって。皿を片付けなければならないから」
そう言うと、デニスは納得していないようだったけれど、ようやくトレイを持ってパンの棚に向かった。
自分のことではなかったけれど、ロンバウトは食べることと眠ること、それに走ることだけしかしていないと兄やデニスに言われたことが悔しくて、反論できる材料がないかと、それからロンバウトをもっと注意して見るようになった。
それから五日ほど経ったけれど、嬉しそうに食事をとり、楽しそうに訓練場を走り、気持ち良さそうに木の下で昼寝をすることで彼の一日は終わっていた。偶に風に揺れる木の葉とじゃれ合っている時があるが、その様子はとても可愛い。
こんなに可愛いのなら、もうそれでいいのではないかと思ってしまう。彼の存在意義は十分だ。
今日もロンバウトは木の下で昼寝をしていた。相変わらず肉球は可愛く、尻尾はふさふさだ。
ほんのちょっとくらいなら触ってもいいのではないかと思って近寄ってみると、彼が目を覚ましてしまう。ちょっと残念。
上半身を起こして、少し首を傾けながらつぶらな瞳で私を見ている彼も、やはり可愛かった。
「少し話をしたいと思って」
だから、彼の傍にいたくて思わずそう言ってしまっていた。
すると、ロンバウトは騎士服の上着を脱ぎ始める。毛深くて爪が尖った手で器用にボタンを外している様子も何だか可愛い。
そう思って見つめていると、彼は上着を地面に置いてぽんぽんと軽く叩いた。その上に座れと言っているようだ。こんなところは本当に騎士らしい。お言葉に甘えて座らせてもらうことにする。
「ねえ、ここの暮らしは嫌じゃない? 王都に比べると退屈でしょう?」
そう訊くと、ロンバウトは盛大に首を振る。そして、尖った爪を地面に突き刺した。
『ここは大好きだ。とても楽しい』
彼の手は器用に動いて、そんな文字が現われた。
ロンバウトはやはり獣ではなかった。ちゃんと理性のある人だったのだ。そして、ここを気に入ってくれたことがとても嬉しかった。