第二十一話 宰相閣下に会った
案内されたのは豪華絢爛という言葉に相応しい部屋だった。昨夜の宿がみすぼらしく感じるくらいだ。
磨き上げられた見事な調度品の数々は手を触れるのも怖い。壊しでもしたら、弁償なんてとてもできそうにもないほど高価に違いないから。とりあえず、部屋の隅にでも大人しく立っていようと思っていたのに、
「主人はもうすぐ参ります。ソファに座ってお待ちください」
コールハース侯爵家の家令だと名乗った男性にソファへ座るように勧められてしまった。どうしようかと困って、一緒に来た団長を見上げる。
「アニカ、こっちへ座れ。一日馬で移動して疲れただろう?」
さっさとソファに座った団長が、隣の席を軽く叩いた。そんなことをして、銀糸をふんだんに使った織物が痛まないか心配になる。それでなくても、繊細な彫刻が施されている金色の手すりに肘をついていて、壊さないかひやひやしているのに。
「どうした? 私の隣に座るのが嫌なのか?」
ソファは三人がゆったり座れるほど広く、団長と密着するようなことはない。父親と同い年の団長には小さい時から可愛がってもらっていたから、たとえ団長と密着して座ることになっても拒否することはないのだけれど。
団長は辺境伯の次男として生まれたのに、十四歳の時、一般の騎士見習としてボンネフェルト騎士団に入団し、一時期独身寮に住んでいたらしい。その時同じく独身寮にいた父と親しくなって、母とも顔なじみなのだ。
「違います。私がここにいる意味がわからなくて」
コールハース侯爵家でお世話になると聞いていたけれど、使用人部屋をお借りして、下働きの手伝いをして過ごすのだとばかり思っていた。それが、なぜ団長と一緒に宰相閣下と会うことになっているのだろう。
「アニカは魔女の森で数日過ごした貴重な証言者だからな。宰相閣下に直接報告するのは当然のことだろう? とにかく座れ」
当然だと言われると、これ以上反論もできない。なるべくソファに触れないようにしながら浅く腰を掛けた。
ラルスが私の後ろに異動する。もちろん立ったままだ。
王宮騎士団へ向かう騎士たちと途中で別れたが、私を馬に乗せてくれているラルスだけがコールハース侯爵邸までついてきていた。
「ラルスは座らないの?」
後ろを向いて、直立不動で立っているラルスに訊く。
「ラルスはアニカの護衛だからな」
答えたのは半笑いの団長だった。
「えっ? まだ貴婦人設定のままですか?」
「無事ボンネフェルトへ着くまでが訓練だ。その手伝いだと思って受け入れてくれ」
日中は休憩を度々とってくれて、体調を常に気遣ってもらえる。夜は高級宿に泊まるという、もう二度と経験できないような快適な旅なので不満はないけれど、貴婦人のように扱われることは、ちょっといたたまれない。
そんなことを思っていると、コールハース侯爵が部屋に入ってきた。団長と同年代に見えるけれど、体型はかなり違っていて痩せて小柄だ。それなのに、威圧感がものすごい。睨んでいるわけでもなく、怒ってもいない。でも、目を合わすもの怖いと感じてしまう。
挨拶をしなければと思うけれど、声が出てこない。背中に汗が流れ落ちているのがわかる。
「ブラウエル卿、良くいらしてくださった。そちらが魔女に攫われたお嬢さんかな?」
ブラウエルというのが団長の名らしい。いつも団長と呼んでいるので知らなかった。
「宰相閣下、ご推察通り、この娘が魔女に攫われたアニカ。我が朋友でかつてボンネフェルトの狂犬と呼ばれたブレフトの末娘です。騎士ロンバウトが魔女の手から無事救い出しました」
お父さんがお母さんと結婚する前に騎士だったのは知っているけれど、『ボンネフェルトの狂犬』って何? 聞いたこともない。団長が私の緊張をほぐそうとして冗談を言ったのかも。
「ほう、あのボンネフェルトの狂犬か。会ったことはないが噂には聞いている。かつてこの国を護ってくれた英雄の娘さんが無事で本当に良かった」
お父さんは、宰相閣下にまで知られているの? 冗談か本気かわからないけれど、怖いと思っていた宰相の眼差しがとても柔らかくなった。
「ボンネフェルト騎士団独身寮で働いていますアニカです。宰相閣下、よろしくお願いいたします」
かなり緊張したけれど、何とか挨拶することができた。
「我々の不手際でアニカさんに苦労をかけてしまった。本当に申し訳ない」
驚くことに、宰相が平民の小娘に謝ってくれた。なんて返したらいいのか戸惑っていると、
「魔女について教えてくれないか?」
そう頼まれた。
森の中の小さな家で魔女と暮らした日々。真っ白い聖獣の仔ファビアンのこと。ロンバウトが助けに来てくれたこと。そして、ロンバウトが獣化した姿で一緒に帰ることを選んでくれたと、問われるままに答えていた。
「魔女が悪いのではないのです。聖獣たちは魔女の家族みたいなもので、白い毛皮が欲しいなんてくだらない理由でファビアンを狙った王太子妃殿下の責任です。だって、ファビアンの両親は殺されたのですよ。怒って当然ではないですか!」
宰相が優しく頷きながら私の話を聞いてくれていたから、つい調子に乗って王太子妃を責めるようなことを言ってしまっていた。
これはいくら何でも不敬に違いない。顔面からさっと血が引く音がしたような気がする。私の顔は真っ青になっているに違いない。
「お許しください。あの、申し訳ありませんでした」
謝っても今更遅いかもしれないけれど、とにかく許してもらわなければ。そんな思いでソファから飛び降りて、豪華な絨毯に膝と頭をつけた。
せっかくロンバウトが助けてくれたのに、こんなところで牢に入れられたり処刑されたりしたら、彼が悲しむに違いない。それに、私だって死にたくない。絶対に無事にボンネフェルトの町へ帰るんだ。
「君が謝ることはない。あの女が悪いのは周知の事実だ。私がもっと早くあのような愚かな女を排除していれば、こんなことは起こらなかった。娘が王太子殿下の婚約者候補の筆頭だったせいで、王太子殿下の結婚に反対するのは、娘を王太子妃にするためだと陰口を叩くやつがいてな。私は政に私情を挟むような男だと思われたくなかった。だから、強く反対できず、後手に回ってしまったのだ」
宰相の声には後悔が滲んでいるような気がした。
「そうだぞ。アニカは真実を口にしただけだ。気にすることは何もない。それにあの女はもう王太子妃ではないからな。不敬になるはずもない。私はアニカを無事にボンネフェルトへ連れ帰るとロンバウトに約束した。それは何がっても違えることはない」
団長が片手でひょいっと私の腹を抱えて持ち上げ、ソファに座らせてくれた。まるで子どものような扱いでちょっと恥ずかしい。
「団長、ありがとうございます」
でも、団長はとても頼りになるので礼は言っておいた。そんな私たちを見て、宰相が笑っている。
「アニカさん、貴重な情報をありがとう。とても参考になった。魔女に森への立ち入り禁止の強化について陛下に奏上しなければならないので、これからブラウエル卿と共に登城する。君はここでゆっくり過ごしてくれ」
不敬罪に問われることもなく、無事に乗り切ったらしい。




