第二話 彼はとても可愛かった
父が団長に呼ばれてから十日余りが経っていた。忙しくて獣化した騎士のことを忘れそうになっていたけど、ついにその騎士がこの町にやって来た。
独身寮内には大きな食堂があり、朝晩は寮に住む独身騎士専用だけど、昼は全ての騎士が利用する。だから、昼の時間は目が回るほどに忙しい。そんな昼時に騎士団長が若い騎士を食堂に連れてきたのだ。
食事をとっていた騎士たちもフォークを持つ手を休めて、新しく赴任してきた騎士を見つめていた。
きょとんとしながら食堂内を見回しているその騎士の頭には、ぴんと立った獣の耳がついていた。それに大きなふさふさの尻尾が見え隠れしている。皆と同じ騎士服を着ているが、尻尾が外に出せるような仕様になっているらしい。靴を履いていないので剥き出しになっている足は毛に覆われていた。
「本日付で我がボンネフェルト騎士団に配属されたロンバウトだ。年齢は二十一歳。伯爵家の三男だったが既に貴族籍から外れているので、ここでは平民の騎士と同じ扱いとなる。見ての通り、このような姿になっており、言葉も発することができないが、これからは皆の仲間となるのだ。どうか、仲良くしてやってくれ」
団長がそう挨拶すると、ロンバウトは邪気のない笑顔を皆に向けた。
「団長、貴族籍を外れたとはどういうことですか?」
一人の騎士が立ち上がって団長に質問をする。他の騎士も疑問に思っているのか、何人もの騎士が頷いていた。
「詳しいことは聞いていないが、こんな姿になったので勘当されたのではないか。とにかく、ロンバウト自身に何の責任もない。彼は身を挺して王太子ご夫妻を護ったのだ。それなのに王宮騎士団の奴らときたら」
団長は悔しそうに言葉を切った。それを見ていたロンバウトは小さく首を横に振ったけれど、すぐに質問した騎士の前に置かれた昼食に釘付けになっていた。
尻尾が左右に激しく振られている。
それにしても団長に悔しさがわかるような気がした。罪を犯したわけでもなく、王族を護るという近衛騎士としての職務を全うしただけなのに、獣化したからと貴族から外されて平民にされてしまうなんて、本当に酷い仕打ちだと思う。絶対に納得できない。
王都を追われてここで生きていく以外ないのならば、少しでも彼が快適に過ごせるように努力したいと思ってしまう。
貴族の家族がロンバウトを捨てたのなら、私たちが新しい家族になるのだ。呪いは解いてあげられないけれど、心に負った傷を少しでも癒すことができればと私はぼんやり考えていた。
「今日は私もここで食べることにする。ロンバウト、あの列に並ぶぞ。ブレフトの料理は絶品だからな。絶対気に入るはずだ」
ブレフトとは父の名である。昼と夜は父が料理を作っていて、娘の私が言うのも何だけど、本当に美味しいと思う。騎士の皆さんにも大人気で、毎日食器を返却する時に美味しかったと声をかけてくれる。私はそれを誇らしく思っていた。
ちなみに朝食は母と私が作っている。それも好評だ。母は幼い頃からここの手伝いをしているので当然かもしれない。
いつもは執務室で昼食をとっている団長だが、食事は他の騎士と同じものを運んでいるので、父の料理をいつも食べている。団長は辺境伯の弟で貴族なのに、とても気さくないい人なのだ。
「ほら、この列に並ぶんだ。順番がきたらアニカからトレイを受け取れ。今日は肉料理だな。いい匂いだ。あの棚に焼き立てのパンが置いてあるから、好きなだけ取って行っていいんだぞ」
そんな説明をしている団長に続いて私の前にやって来たロンバウトは、にこにこと笑顔で肉料理とサラダが載ったトレイを受け取った。その手には毛がびっしりと生えていて爪が鋭く尖っているけれど、足と違って形は人と同じだ。近くて見る足は丸くて獣の足に近い。それがとても可愛いと思ってしまった。
ようやく忙しい昼時が済んで、私たちも遅い昼をとることができた。それから洗濯物を取り込もうと外に出ると、隣の屋外訓練場でロンバウトがありえない程の速さで走っているのが見えた。
訓練場はとても広くて、短い芝が植えられている。その上を軽快に走るロンバウトがあまりに速いので、走っている他の騎士はまるで止まっているように感じる。そんな騎士たちを器用に避けながらロンバウトは飽きもせずに走り続けていた。
あっけに取られてそんな訓練風景を見ていると、急に強い風が吹いた。すると、太陽の光を避けるためにかぶっていた麦わら帽子が風にあおられて訓練場の方へと飛んでいく。
慌てて帽子を追いかけたけど高く舞い上がって手が届かない。
ロンバウトがその帽子に気づいたらしく、突然それまでよりもっと加速した。今まで全速力で走っていなかったことに驚いてしまう。
あっという間に帽子に追いついたロンバウトは、信じられない程の跳躍を見せて帽子を手でつかみ取った。そして、私の方へ走ってくる。と思っているともう目の前に来ていた。
尻尾を振り振りしながら帽子を差し出すロンバウト。顔には満面の笑みを浮かべている。
「ありがとう。本当に助かったわ」
帽子を受け取りながら礼を言うと、彼の顔は誇らしそうな笑顔になった。
グー! 突然彼の腹から異音が轟く。
「お腹が空いたの?」
そう訊くとロンバウトは素直に頷いた。
「わかった。食堂へ行く? お昼の残りならあると思うの」
取り込んだ洗濯物を入れた籠を持ち上げようとしたら、ロンバウトがさっと持ってくれた。こういうところは騎士なんだなと思う。他の騎士は訓練をさぼって手伝ってくれたりしないけどね。
ロンバウトは他の騎士の数倍な運動していたと思うので、少し休憩しても許されるような気がする。
かなりの重たさだと感じていた籠を、ロンバウトは軽々と運んでくれた。とりあえず籠はリネン室へ運んでもらって、二人で食堂へ向かう。
調理室では父が夕食の仕込みに入っていた。
「お父さん、お昼の残りはまだある? ロンバウトさんがおなかが空いたって」
「ああ。残っているぞ。好きなだけ食わしてやれ」
父の許可が出たので、少し大きめの皿に昼の残りを入れて食堂へ持って行くと、ロンバウトは椅子に座っておとなしく待っていた。
彼の目の前に皿とフォークを揃えて置くと、彼は嬉しそうに食べ始める。さすが貴族出身だけあって食べ方はとても美しい。でも、かなりの速度で料理は彼の口に消えていく。
私も前の椅子に座って、そんな彼をじっと見ていた。彼が口を開けると鋭い牙が生えているのがわかる。時折長い舌で口についたソースを舐め取っていた。尻尾はゆらゆらと常に揺れている。
そんな子どもじみた動作も可愛く思えてしまう。
しばらくすると完食したしたロンバウトが満足げな笑顔を見せていた。
「昼食時は利用する騎士が多くて、個別の注文に応えることができないけれど、再度列に並ぶことは可能よ。そうすれば、もう一度昼食を渡せるわ。朝食と夕食は大盛りにしておくからね」
そう伝えると、ロンバウトは何度も頷きながら盛大に尻尾を振った。本当に嬉しかったらしい。
食堂を出て行くロンバウトを見送ってから洗ったタオルを片付けた。騎士服やシーツは洗濯業者に任しているが、日々使うタオルなどは私たちが洗濯するのだ。ただし、騎士たちの下着は自分で洗って部屋の窓のところで干しておく決まりになっている。
タオルの片づけが終わったので、小さな畑の水やりをするために外へ出ると、木の陰でロンバウトが気持ち良さそうに眠っていた。
彼の足の裏が私の方を向いていたので近寄ってみると、黒い肉球が見えた。人より丸い足の中央に大きな肉球が一つ。爪の元に四つの小さな肉球がある。何だかとっても可愛い。時折動くふさふさの尻尾はとても気持ち良さそうだ。触ってみたい気がするが、相手は成人した男性。不用意に触れてはいけないと思う。
でも、可愛いすぎる姿を無防備に晒しているロンバウトが悪いような気もする。吸い寄せられるように近づいてみると、彼の目がゆっくりと開いた。
「あの、もうすぐ顔に日の光が当たりそうだったから、隠してあげようと思って」
思わず言い訳を口にしたが、それは嘘ではない。日は随分と傾きもうすぐ彼の顔に直接光が当たりそうになっていた。
ロンバウトは私の言葉を素直に信じたらしく、嬉しそうに笑った。