第十五話 その姿の意味
その男性は馬専門の獣医をしているクンラートと名乗った。傷を負ったり病気にかかったりした馬を預かり治療しているらしい。主な依頼主はこの町の騎士団。だから、騎士には親しみを感じているとのこと。
「君は魔女に獣化の呪いをかけられてしまった騎士なのか。そりゃ、苦労したな。獣なんて言って悪かった。馬を止めてくれたお礼もしたいし、うちに来ないか? うちには温泉を引いているんで、湯は豊富に使える。その汚れた体をきれいさっぱり洗えるぞ。食い物も何かあるだろう。今、嫁さんが妊娠していて実家に帰っているんで、たいしたものは出せないけどね」
そう言って、クンラートさんは人の好さそうな笑顔を見せた。
クンラートさんの申し出はとても有難い。いつも大食漢のロンバウトなのに、ここ数日、ろくなものを口にしていないはずだ。少しでも早く彼におなか一杯に食事をとってもらいたい。
「食事は私が作ります。だから、台所を貸してもらえませんでしょうか?」
「おお、それなら、息子の分も作ってくれないかな? 今、息子と二人暮らしでな。慣れない炊事でちょっと困っているんだ」
「勿論です。両親は騎士団独身寮の管理人をしていて、私もその仕事を手伝っているのですよ。だから、お手伝いできることがあると思います。それで、今晩だけ泊めていただけないでしょうか? もちろん宿泊代はお支払いします」
出産を控えた奥さんが実家へ帰っているらしいので、泊まる場所はあるのではないかと、少し厚かましいとは思いながらクンラートさんに頼んでみた。いくつもの宿屋に宿泊を断られたので必死だった。疲れているだろうロンバウトを早く休ませてあげたい。
「礼など気にしなくてもいいぞ。そっちの騎士殿はこいつを止めてくれた恩人だし、嬢ちゃんはまともな食い物を作ってくれるんだろう? 俺の方が有難いくらいだ。部屋は空いているし、一晩とは言わずに、しばらく泊まってくれても構わないからな」
「ありがとうございます!」
そう言ってくれたクンラートさんの手を思わず握りしめてしまった。ロンバウトはそんな私を見て安心したように微笑んでいる。
「うちの牧場は町外れにある。ちょっと遠いが歩けるか? こいつは蹄を痛めているので嬢ちゃんを乗せてやるわけにはいかないんだ」
クンラートさんはすっかり大人しくなった馬の腹をポンポンと軽く叩いた。その馬は怯えたようにロンバウトを見ていて、ちょっと可哀そうだ。ロンバウトは馬を怖がらせるのを申し訳なく思っているらしく、私たちから少し距離をとっている。
「私は大丈夫だけど、ロンバウトさんは歩くことができそう?」
おそらく碌に休憩もとらずに魔女の森まで走ってきて、すぐに魔女と激しく戦ったのだから、ロンバウトはとても疲れていると思う。そのうえ、かなりの空腹らしいから。
心配したけれど、ロンバウトは笑顔で頷いている。
「それじゃ、出発だ」
クンラートさんは馬の手綱を引きながら元気よく歩き出す。私もその後に続いた。ロンバウトは少し距離をとりながらついてくる。
途中に大きな市場があったので食材を買うことにした。クンラートさんはお金を出すと言ってくれたけれど、それだけは断り、魔女から貰ったお金で大量の食材を購入した。これで日持ちする料理を作り置き、泊めてもらったお礼にしよう思う。
でも、荷物が重すぎて買いすぎたかなと後悔していると、ロンバウトがさっとやってきて、荷物を軽々と持ってくれた。
「ありがとう」
お礼を言うと、ロンバウトが微笑んでくれた。その様子はやっぱり洗練されている。王宮の近衛騎士だったのだから当然だけど。
町に入った門とは反対の方へかなりの距離を歩くと、遠くに岩肌がむき出しになった山が見えてきた。その麓にクンラートさんの牧場がある。
「父ちゃん! その馬、捕まえることができたんだね。良かった!」
木で作られたアーチ状の門のところで、十歳くらいの少年が待っていた。嬉しそうにこちらに駆けてくる様子がとても可愛らしい。
「ああ。あのロンバウト殿が止めてくれたから、大事に至らなかった。馬も無事だったし、人に怪我を負わせたり物を壊したりしなかったぞ」
クンラートさんがそう言うと、少年が少し離れて立っていたロンバウトの方を向いて驚いている。
「見たこともない獣だ! 珍しい。そんなの、どこにいたの?」
「違うわ! ロンバウトさんはれっきとした人で、ボンネフェルト騎士団の騎士なのよ」
少年がロンバウトを指さしたので、思わず反論してしまった。小さな子ども相手に声を荒立てて怖がらせたかと思ったけれど、ロンバウトのことを誤解されたくはない。
「でも、大きな尻尾があるし、耳だって獣のようだ。それに、鼻は黒っぽくて丸いし、唇だってとても薄い。牙だってあるじゃないか。やっぱり獣だよね?」
悪意のない子どもらしい疑問だと思う。だからこそ、とても辛かった。
魔女の森で観た人の姿のロンバウトは、鼻筋がすっと通り、涼やかな目と整った唇をしたとても美しい人だった。貴族の生まれで王宮の近衛騎士。誰もが羨むような存在だったに違いないのに、私を魔女の森から連れ帰るために、獣化した姿を選んでしまったのだ。
ロンバウトと初めて会った時はもう獣化していたので、私は彼がこの姿を選んだことの意味を本当に理解していなかった。獣化した姿に違和感がなかったから、ボンネフェルトの町に帰れば、普通に騎士として生きていけると思っていた。
でも、そんなはずない。私は本当に馬鹿だった。