第十四話 ロンバウトは騎士なのに
目を開けると森が消えていた。辺りには草原が広がっている。森などどこにも見えなかった。
獣化しても爪が私の手に当たらないように気をつけていてくれたらしく、ロンバウトは私の手をしっかりと握ってくいたが痛みはなかった。その手が温かい。
見慣れない風景が続いているけれど、ロンバウトと一緒だと思うと怖いものは何もなかった。
そう思っていたのに、ロンバウトが崩れるように片膝をついてしまう。
「くぅ」
嘆いているような呻き声も聞こえてきた。
「何があったの? 怪我をした?」
魔女と戦闘になり、尖った氷柱や強い炎で攻撃されたので、傷を負ってしまったのかもしれない。
しかし、ロンバウトは悲しそうに首を振った。そして、割れてしまった木の板を見せてくる。それは父が作った石板の木枠だった。薄い石板自体は割れ落ちてしまったらしく一かけらも残っていない。木枠も真ん中から割れていて、もう使い物にならないだろう。木枠の横は小さな箱になっていて、蝋石と母が毛糸で編んだ四角いモチーフが入っていた。しかし、箱も壊れていて、蝋石とモチーフもなくなっている。
「石板が壊れたのね?」
涙目になりながらロンバウトは頷いた。
「大丈夫、お父さんがまた作ってくれるから。毛糸のモチーフなら私だって編めるわ。だから、早く帰りましょう」
そう言うと、落ち込んでいたロンバウトが急に元気になった。そんなところがなんだか可愛い。
「近くに町があるはずよね。お腹が空いているのではない?」
そう訊くと、ロンバウトは背中に背負っていた袋から何か取り出し、私に差し出してきた。よく見ると、それは紙のように圧縮されたパンだ。魔女との戦いで地を転がった時に圧し潰されたらしい。
「お兄ちゃんのパン? これを持ってきたのね。私は魔女のところで昼ご飯を食べたから、お腹は空いていないのよ。というか、これはもう食べ物ではないわよね」
受け取って捨てようかと思っていると、ロンバウトは薄くなったパンを巻いて口に入れてしまった。
「四日も前のものだし、潰れているし、食べても大丈夫?」
ロンバウトは笑顔で頷いているけれど、お腹を壊したりしないか心配になる。パンはそれが最後の一つだったらしく、ロンバウトが袋を逆さにしても、もう何も出てこなかった。
「お腹が空いているのよね? 魔女からもらったお金もあるから、ちょっと豪華なものが食べられると思うの。早く町に行きましょう」
そう言うと、ロンバウトは嬉しそうに何度も頷いた。
太陽の位置を確認した後、ロンバウトは迷うことなく歩き出した。しばらくすると、町の門が見えてくる。魔女は約束を守ってくれたらしい。
門番に銀貨を一枚渡すと、町にはすんなりと入ることができた。でも、最初に見つけた食堂では入店拒否されてしまう。
「そんな臭い獣を連れて入られたら困る。出て行ってくれ」
確かにロンバウトはちょっと薄汚れている。
彼は四日間も宿に泊まらず、兄の作ったパンを齧りながらひたすら走って魔女の森までやって来た。その上、魔女の放った炎に焼かれて所々焦げている。
でも、どんな姿になったとしても彼は人間だ。
「ロンバウトさんは獣ではないわ。ボンネフェルト騎士団の騎士なのよ」
「それでも、困るから」
食堂の店主は目の前でドアを閉めてしまった。
「失礼な店ね。二度と来ないからね。先に宿をとってお風呂に入りましょう。それから宿で夕食を頼めばいいのよ」
先に食堂に入ろうとしたのが間違いだったのだ。幸い、銀貨はたくさんある。お風呂がある宿に泊まるくらい余裕だ。
ロンバウトは申し訳なさそうに俯いているけれど、悪いのは彼じゃない。
「獣を泊めるのはちょっとね。他を当たってもらえるかい」
二軒の宿に宿泊を断られて、三軒目の宿にやって来たけれど、やはり女将は部屋を貸すのを渋っている。
「ロンバウトさんは獣ではありません! 彼は騎士で、ボンネフェルトの町から私を助けに来てくれたので、今はこんなに薄汚れていますが、お風呂に入るときれいになります。絶対に部屋を汚したりしません。お願いです、泊めてください。お金ならありますから」
「でも、そんな鋭い爪をしていると、ちょっと当たっただけでもマットレスが引き裂かれそうだしね」
「そんなことはありません! 騎士団の独身寮のベッドは壊れていませんから」
ロンバウトは寝相がいいから、マットレスも毛布も傷んだりしていない。見かけだけで判断しないでほしい。
女将にそんなことを訴えていると、ロンバウトがこちらの方を向き、私を指差して、その指を宿の中に移動させる。そして、指を自分に向けてから外に動かした。
「ロンバウトさんは出て行くから、私だけ宿に泊まれって言うの?」
意味が通じて嬉しかったのか、ロンバウトは何度も頷いている。
「駄目よ。一緒に泊めてくれるところを探しましょう。だって、一人では心細いもの」
彼は困ったように眉を寄せたが、私を一人にするのも不安だったのか、小さく頷いた。
四軒目の宿のも同じように断られた。小さな町なので、お風呂のある宿はもうないらしい。
とにかくロンバウトに風呂へ入ってもらわないと、食堂で食事もできない。ロンバウトは本当にお腹が空いているらしく、段々と元気がなくなってきた。
本当にどうしよう。
「誰か! その馬を捕まえてくれ!」
急に蹄の音が聞こえたかと思うと、そんな叫び声が聞こえてきた。
そちらの方を向くと暴れ馬が迫ってきている。ロンバウトが私を庇うように前に出た。
彼が蹴られてしまうと思った時、蹄の音はぴたっと止まった。
「どう、どう。怖がらなくてもいい。まさか、食われはしないと思うから」
叫んでいた男が追いついたらしく、手綱を持って馬の腹を軽く叩いていた。
何気にかなり失礼なことを言っている。思わず睨んでしまうと、男は私の方を見て笑った。
「嬢ちゃん、助かったよ。気性の荒い馬なんだが、そいつを怖がっておとなしくなった。嬢ちゃんはとんでもないものを飼っているんだな」