第十三話 別れの時
「喋ることができるのも今日が最後よ。何か言いたいことがあれば伝えておくことね」
魔女にそう言われたロンバウトは、少し考えているようだった。そして、おもむろに私の方を向く。
「アニカ、本当にありがとう。ボンネフェルト騎士団独身寮に君たち家族がいてくれたから、獣化した姿であっても私は何も辛くなかった。毎日が楽しくて、本当に充実していた。これからも迷惑をかけると思うが、獣化した私のことをよろしく頼む」
ロンバウトの声は落ち着いた低音でとても素敵だ。もう聴くことができないと思うと悲しい。
「私もロンバウトさんと一緒にいるととても楽しいの。迷惑なんて一度もかけられたことないわ。一緒に帰ることができて、こんなに嬉しいことはない」
辛くないというのは嘘だと思う。貴族の家に生まれ、近衛騎士として華々しく活躍していたロンバウトが、平民の騎士として狭い独身寮に住むことになるなんて、私だって納得できないのだから、当の本人が受け入れることなどとてもできないはずだ。
それでも、彼は辛くないと笑っている。本当に強い人だと思う。
「アニカと一緒にボンネフェルトの町へ帰ることができるとは、私にとってこれ以上の喜びはない。魔女殿、感謝する」
ロンバウトに礼を言われた魔女は一瞬複雑な表情を見せた。しかし、すぐに私の方を見て笑顔になる。そして、姿を消し、いきなり私の近くに現れた。
「アニカ!」
驚いたロンバウトが剣に手をかけて走り出そうとする。
「ロンバウト! 落ち着きなさい。アニカにこれを渡そうと思っただけだから。これが四日間のお給金よ。ボンネフェルトの町まで帰るのには必要でしょう?」
そう言って魔女は私に革袋を差し出した。ロンバウトは立ち止まり怪訝そうな目を魔女に向けている。
革袋の中を確認すると、かなりの枚数の銀貨が入っていた。
「こんなにもらえません。たった四日家事をしただけなのに」
給金の良い騎士だって、これだけの銀貨を稼ぐためには一か月はかかりそうだ。家事だけでもらえる報酬ではない。
「慌てて出て来たので、私はお金を持っていない」
ロンバウトは申し訳なさそうにそんなことを呟いた。ここへ来るまでお金を一切使わなかったらしい。四日間どうしていたのだろう?
「誘拐の迷惑料込みだから、遠慮せずにもらっておきなさい」
呆れたようにロンバウトを見た魔女は、勝ち誇ったような笑顔をみせた。
本当は受け取れないと思ったけれど、ボンネフェルトまで帰ることを思うとお金は絶対に必要だ。ごみ捨ての途中でここに連れて来られたので、私もお金を持っていない。魔女に攫われたのでお金が必要になるのだから、迷惑料として受け取っても許させると自分に納得させる。
「ロンバウトの獣化と同時にここから一番近い町まで送り届けるわ。いきなり攻撃されるのは嫌だからね。アニカ、ファビアンに別れを言ってあげて。もう会うことはないと思うから」
腕の中のファビアンは少し寂しそうな顔をしているように感じる。
「ごめんね。ずっと傍にいてあげられなくて。ファビアン、さようなら。元気でね」
「クウィーン」
ファビアンの目が潤んだような気がした。温かい舌が頬に伸びてくる。たった四日間傍にいただけなのに、こんなにも別れが辛いなんて。ファビアンの温かさを忘れないようにぎゅっと抱きしめた。
「ロンバウト、あんな幼いファビアンに嫉妬してみっともないわよ」
まるであざ笑うような声がした。魔女が面白そうにロンバウトを見ている。
「わ、私は嫉妬などしていない!」
ロンバウトは完全な聖獣になりたいわけではないだろうから、ファビアンに嫉妬などする意味などない。それにしては少し焦っているように見える。
「どうだか。射殺しそうな目でファビアンを睨んでいたもの」
悔しそうなロンバウトに満足したのか、魔女は笑い声をあげた。
「さあ、ファビアン、こちらにおいで。ロンバウト、アニカの手を握ってあげて。転移先で離れてしまわないようにね」
魔女にファビアンを渡すと、軽くなった腕が頼りなく感じる。そんな手をロンバウトがしっかりと握ってくれた。
「アニカ、本当に済まない。こんなことに巻き込んでしまって。絶対にボンネフェルトの町まで無事に送り届けるから」
「気にしないで。休暇みたいだったもの」
そんな会話をしているうちに、ロンバウトの顔が苦痛に歪んだ。歯を食いしばっているが呻き声が漏れている。
「さようなら。楽しかったわ」
そんな魔女の声が聞こえた。そして、風景が消えた。