第十二話 決戦
「アニカもことの顛末を知りたいでしょうから、一緒に外へ行きましょう。貴女に結界を張るから、激しい戦いになっても怪我をすることはないわ。だから、ファビアンを抱きしめていてね」
魔女がそう言うので、不安そうに唸り声を上げているファビアンを抱き上げると、私の腕から抜け出そうと前足をもがくように動かしていたけれど、しばらくすると観念したのかおとなしくなった。
「行くわよ」
そんなファビアンを確認して、魔女はゆっくりと玄関のドアを開けた。家の前には木がなくて、芝が生えた広場のようになっている。
ドアから一歩外に出ると、まず目に入ってきたのはロンバウトだった。騎士服もマントも埃だらけで、かなりくたびれているように感じた。そんな姿になるほど急いで走ってきたのだろう。いくら獣化しているからといって、馬の半分ほどの日数でここまでやって来るなんて信じられない。
彼はちゃんと眠っていたのだろうか? 食事はとっていた?
不眠不休で走っていたのではないかと心配になる。だけど、会うことができて嬉しかった。
「ぐるるぅ」
ロンバウトは唸りながら魔女を睨みつけている。
「ロンバウト! 会いたかったわ。あの時の決着をつけたいと思っていたのよ。だって、油断していたとはいえ、私が逃げ帰ったような形になったのだもの。今度は負けないわよ。心配しなくても、アニカには結界を張っているから傷つけることはないわ。それでは、いくわよ」
そう言うや否や、魔女が浮き上がりながら腕を前に出すと、何本もの氷柱がロンバウトに向かって飛んで行く。
「ロンバウトさん、危ない!」
思わず叫んでしまったけれど、彼は地を転がりながら余裕で氷柱を避けた。そして、素早く立ち上がり剣を抜き、そのまま跳躍する。相変わらず呆れるくらいの跳躍力だ。
ロンバウトは勢いのまま空中の魔女に切りかかるが、彼女は笑みを浮かべながら横に移動して難なく彼の剣を避ける。
空中で回転したロンバウトは私に向かって落ちてきた。驚いていると、すぐ近くに着地した彼は私の方へ手を伸ばす。しかし、まるで壁が存在するように途中で阻まれてしまった。
「無駄よ。アニカには結界を張っていると言ったでしょう。さあ。もっと遊びましょう」
魔女は腕を振ると、慌てて私の近くから離れたロンバウトを今度は炎が襲う。
「キャー!」
彼が燃え上がったと思い、大きな悲鳴を上げてしまったが、燃えたのはマントだけだったらしく、ロンバウトは素早くマントを外して大きく振った。すると、彼の姿が煙に隠れてしまう。
いきなりロンバウトが姿を現した。それは魔女のすぐ近くだ。ロンバウトの剣が魔女に迫る。今度は完全には避けることができず、魔女の長い黒髪が何本か宙に舞った。そのまま魔女はゆっくりと着地する。
「さすがね。獣化した体を完全に使いこなしているわ。あの時より数倍早いわね。それでは、これではどうかしら?」
魔女が手を伸ばしても何も起こらない。
「ぐっ!」
しかし、ロンバウトがいきなり苦しみだした。立っているのか辛いのか、剣を地面につけ体を支えるようしている。呼吸はとても荒くて早い。
「ロンバウトさんに何をしたの?」
「獣化の呪いを解いただけよ。このままでも負けるとは思わないけれど、これ以上髪を切られるのも嫌だから。人の姿になれば身体能力は格段に落ちるわよ。どうするかしら?」
「そんな! こんな場面で卑怯だわ」
ロンバウトの尻尾と獣のような耳がなくなっている。そして、靴を履いていないので裸足だった。それだけで屋外で戦うのには不利になりそうだ。
「あら、獣化を解いてあげたのに?」
魔女が悠然と笑っている。確かにロンバウトは元に戻っている。
「魔女よ! お願いだ。アニカをボンネフェルトの町へ戻してほしい」
獣化が完全に解けたらしく、ロンバウトが魔女に向かって叫んだ。
「ロンバウトさん、このまま逃げて。私なら大丈夫。ここで魔女の世話をして過ごすから」
今なら彼は普通の人の姿だ。牙や鋭い爪もない。このまま王都へ行けばミュルデルス伯爵だって再び息子として認めてくれるのではないだろうか?
「アニカ、本当に済まない。私がボンネフェルト騎士団へ入団したから、君をこんなことに巻き込んでしまった。魔女殿、お願いだ。アニカを解放してくれ。私はどうなっても構わない。どうぜ、この姿では勝負にならないのだから、無駄な抵抗はしない」
ロンバウトは覚悟したように剣を鞘に収めた。
「駄目よ! 私なら大丈夫だから。だって、魔女の胃袋を掴んでいるのよ。ねえ、私がここに残れば、ロンバウトさんをこのまま帰してくれるわよね?」
「そうね。アニカが残るのなら、あの日のことは忘れてもいいわ。ロンバウトに斬られた傷を治すのに一か月以上もかかったけれど、不問にしてあげる」
魔女は私の質問に頷いてくれた。ここでの四日間、料理や掃除、洗濯を精一杯頑張った甲斐があったというものだ。本当に良かった。
ここにはファビアンもいるから寂しくはない。だから、私なら大丈夫。
「アニカ! 何を言っている。君の家族は皆帰りを待っているのだぞ。君は絶対に帰らなくてはならない。私なら大丈夫だ。魔女が復讐に来るかもしれないと覚悟していた。辺境伯殿が獣化した私を哀れに思い、精鋭の騎士が集っているボンネフェルト騎士団に誘ってくださったが、町の人たちを巻き込む危険を考えると断るべきだったのだ。でも、私はボンネフェルトの町が好きだ。騎士団に入団できて本当に楽しかった。だからこそ、騎士団や君の家族に嫌われたくない。君を犠牲にして自分だけ助かろうなどとは思わない」
父や母、それに兄にも姉にも会いたい。私だってボンネフェルトの町が大好き。
でも、私だってロンバウトを犠牲にして自分だけ帰ろうなんて思わない。
「嫌よ! 私はここにいるの。ロンバウトさんは早く王都へ帰って」
元の婚約者は王太子殿下と結婚してしまうけれど、人の姿に戻ったロンバウトは凄く素敵だから、すぐに相手は見つかるはずだ。
でも、ここにいるとそんなことを気に病むこともない。心安らかに毎日を過ごせそうだ。
「魔女殿。お願いだ。私を殺すなり完全に獣化させるなり好きにしろ。その代わりアニカを早くボンネフェルトの町に帰してくれ」
「ロンバウト、選びなさい。アニカを残してこのままこの地を去るか? さっきまでのように中途半端な獣化の姿でアニカと一緒にボンネフェルトの町へ帰るか?」
ロンバウトと私が一歩も譲らないので焦れたのか、魔女がそんな選択を提示した。
「私を許してくれるのか?」
「中途半端な獣化の姿で一生を終えるのよ。罰としてはかなり重いと思うわ。もちろん、完全な聖獣となりここに残る選択もありだけどね」
あの獣化した姿でこれからも過ごす。それは、彼にとって辛いことに違いない。
「私はアニカと一緒にボンネフェルトへ帰りたい」
ロンバウトは切なそうに私を見た。本当は人の姿のまま彼を王都へ帰してあげたい。そして、貴族としての生活を取り戻してもらいたいと思う。でも、彼はそんなことを絶対に望まない。
「私もロンバウトさんと一緒に帰りたい」
そう言うしかなかった。でも、これからもロンバウトがボンネフェルト騎士団にいると思うと嬉しい。
彼の字が好きだ。笑顔や食べっぷりも好ましい。ありえない程の速さで走る彼の姿を見ていたいと思う。