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第十話 魔女の森へ

 地面から浮き上がった黒衣の女性は、難なく塀を乗り越えて私の近くに着地した。そして、驚きすぎて動くことができないでいる私を腕一本で抱えたのだ。彼女は私とさして変わらない体格なのに、抵抗しても腕は緩むこともなく私の足が地から離れた。


 気がつくと、女性に抱えられたまま私は宙に浮いていた。遥か下に地面が見えるけれど、あまりに現実感がなさ過ぎて、悲鳴を上げることもできないでいた。


 ぼんやりと下を見つめていると、砂煙を上げてもの凄い速さで何かが近づいてくる。そして、それが勢いをつけて跳び上がった。


 手が届きそうな程に近づいてきたのは、何とロンバウトだった。信じられない程の跳躍力だ。彼は眉間に皺を寄せて、牙をむき出しにして唸り声を上げている。私も手を伸ばすが、女性が横に移動しため彼には届かなかった。

 無常にもロンバウトは落下していき、激突の衝撃を緩和するためか、地面を何度か転がるようにして停止した。そして、再び跳び上がろうとしている。


「ロンバウト! お久しぶりね。貴方を魔女の森へご招待するわ。場所は知っているでしょう? 別に断ってもいいのだけれど、彼女は永遠にここには帰ることができないわよ。それじゃ、楽しみに待っているわ。熱いひとときを過ごしましょうね」

 女性はそう言うと、私を両腕で抱え込んだ。

「しばらく目をつぶっていてね」

 逆らうことなどでとてもできない。私は素直に目を閉じた。




 私を拘束していた腕の感触がなくなったので、ゆっくりと目を開けてみると、そこは室内に変わっていた。時間は殆ど経っていないと思ったのに、ここはボンネフェルト騎士団の基地や独身寮内ではありえない。

 女性はロンバウトに魔女の森へ来いと言った。それでは、ここは魔女の森で、彼女は魔女なのだろうか?


「ファビアン、ただいま。お客様を招待したのよ。しばらくここで過ごしてもらうから仲良くしてね」

 魔女が話しかけたのは、真っ白くて小さな獣だった。

「クゥーン」

 小さく鳴いて、とことこと魔女の足元へ歩いて行く様子がとても可愛い。足の形はロンバウトと似ているけれど、肉球の色は薄くて桃色をしている。

「相変わらず可愛いわね」

 魔女はファビアンを大切そうに抱き上げた。魔女の頬を舐める様子がまた可愛い。揺れるふさふさの尻尾も堪らない。


「あら、羨ましそうね。抱いてみる?」

「えっ、いいのですか?」

 思わず食いついてしまったけれど、私って、どう考えてもロンバウトを(おび)き寄せるための人質よね。こんなに慣れ合っていて良いものだろうか?

 疑問に思ったけれど、ファビアンの可愛らしさには(あらが)い難かった。

「少しだけよ」

 そう言って、魔女は私の腕にファビアンを乗せてくれた。思った以上に温かい。白い毛並みが美しくて、そっと触るととても気持ちが良かった。きょとんと私を見上げているつぶらな目が本当に可愛い。


「ファビアンの親は王宮の騎士に殺されたの。王太子妃がファビアンの毛皮を欲しがったせいよ」

「何ということを! こんな可愛い子の毛皮を欲しがるなんて!」

 魔女の言葉は、とても信じられなかった。なぜ生きている獣の毛皮を欲しがるのだろうか?

「最近は不可侵の条約を守ろうとせず、ずかずかとこの森に入って来る狩人が増えたわ。そんな者たちの間で純白の聖獣がいると噂になっていたらしいの。あの女はそれを聞きつけて、王宮の騎士に狩ってこいと命じたのよ。だから、報復に王城まで行ってやった。あの女を聖獣の姿にしてやろうと思ってね」

 魔女の気持ちはわからないでもない。私だって王太子妃を許せないと思う。


「王城では、私の力を恐れて近衛騎士さえも逃げて行った。たった一人、ロンバウトを除いてね。彼は私の呪いを受けながらも、私に反撃してきたの。獣化の途中はとても苦しく理性など手放すはずなのに。だから、油断していた。私は彼の剣で傷つけられて、魔女の森へ帰るしかなかった」

 魔女はその時のことを思い出しているのか、悔しそうに首を振った。

「クォーン」

 そんな魔女を慰めようと、ファビアンが小さく鳴く。魔女は笑顔になって私からファビアンを受け取った。 


「ロンバウトさんをここに呼び出して、報復しようとしているのですか? 彼はあんな姿になって、家からも勘当され、平民の騎士として生きるしかないのよ。とても苦しんでいると思うわ。だから、彼には手を出さないでください。お願いです。私にできることなら何でもしますから。独身寮で働いていたので、掃除も洗濯も、料理だってできます」

 そう言って頼むと、魔女はふっと笑った。


「それは有難いわね。じゃあ、家事全般をお願いするわ。でも、ロンバウトがここに来なかったら、貴女は一生ここで暮らすことになるのよ。それでもいいの?」

 家族の顔が浮かんでくる。そして、独身寮に暮らす多くの騎士たちの顔も。皆私のことを心配してくれるはず。

 結婚もしたかったし、子どもを産みたかった。


 でも、ロンバウトには生きてもらいたい。彼は懸命に生きている。獣化の呪いの逆らいながら、騎士として生きようとしているのだ。

「ここにいます。だから、ロンバウトをそっとしておいて」


「ロンバウトがもしここにやって来たら、彼にも選ばせてあげましょう。もし、貴女をあの町へ帰してほしいと願っても、彼を殺したりしないわ。安心して。中途半端な獣化の呪いを完結させて、聖獣としてこの森に住んでもらうだけ」

「ロンバウトさんは人間だもの」

 私はそれしか言えなかった。

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