間(あわい) -first impression- ②
「ああ、いたいた」
入ってきたのは若い男だった。この店の香気にそぐわない、浮わつき浅はかな雰囲気を漂わせている。
「よかったー、もう辞めちゃったのかと思ってたよ。何度もここの前を通ったけど、姿が見えないからさ」
男はまっすぐにカウンターまでやってきたが、すぐ傍に掛けている自分の姿は見えていないらしい。言いながら無遠慮に彼女のまん前の席を陣取って話を続ける。
「で? そろそろその気になった? いい加減返事貰わないとさ、俺も何かと忙しいし」
低く仄暗いものを含ませた声に、彼女が唇を軽く噛み身構える。
「それは……もう三月も前にお答えしていたはずです」
「あっれー? そうだっけ」
「そうです。あなたとお付き合いするつもりはないと、はっきりお伝えしました」
手の震えを押さえながら発せられた言葉。それだけで、目の当たりにしているこの関係性が、一方的で身勝手な押し付けだということが理解できる。
「またまたぁ。俺がイケメンだからって、そんなに照れなくてもいいんだよ? 素直になりなよー」
「突然お店に来て居座って、私を出せと騒ぎ立てて、挙げ句店で暴れ……あなたの行いはすべてマスターから聞いています。そんな非常識な方と、親しいお付き合いをする気にはなれません。ほかのお客様にも迷惑ですし、お店も、私自身も迷惑です。どうぞお引き取りください」
丁寧にそしてきっぱりと断裁する。毅然とした態度に、肝が据わっているなと感心した。
「へぇ。そんなこと、言っていいと思ってるんだ」
途端男から不穏な空気が立ち上り、目の前にあった紙ナプキンが数枚抜かれる。
「この俺が付き合ってやるって言ってるんだよ? 昼でも夜でも、君にいい思いをさせてあげようって優しさが、なーんでわかんないかなー」
下劣で醜悪な投げかけと共にナプキンが破られる。
「可愛い顔して随分馬鹿にしてくれるじゃん。わがままもいい加減にしとかないとさぁ、どーなるか……」
無惨にちぎれたそれを放り出し、次いで手を伸ばした先にはシュガーポットがある。
他の客がいないのをいいことに、何をしようというのか。いずれどこまでも自分本位な言いように、怒りが勝って思わず立ち上がった。
「自分こそ、いい加減にしたらどうだ」
思わず低い声が出る。突然の割り込みに、男が睨み返してくる。
「あぁ?」
「彼女は『迷惑だ』『付き合う気はない』とはっきり言っている。結論は既に出ているんだから、縋る余地はないだろう」
あくまでも客観的に、冷静に、事実のみを正確に伝える。しかしそれがかえって癇に障ったのか、男は顔を歪めてスーツの衿を掴み拳を振り上げてきた。
「てめぇにゃ関係ねぇだろうが!」
その手首を掴んで防御しつつ返す。
「忠告しておくが、これ以上問題を起こさない方が身のためだぞ。振られた腹いせに女性に付き纏い、暴れた挙げ句、第三者にまで手を出したとなれば、それこそれっきとした犯罪だ」
「うるせぇ! 他人は引っ込んでやがれ!」
諭したところで引き下がる気はないらしい。どうしたものかと効果的な対応を考えつつ、一方でいかにもな往生際の悪さになおも怒りが込み上げて。そんな冷たくも熱い心境の中、ふと浮かんだ思いつきに、相手の手首を掴む手に力をこめた。
「他人じゃない」
「あぁ?」
「赤の他人の口出しが気に入らないというのなら教えてやろう。彼女は俺の婚約者だ」
突如飛び出た話に、男が猜疑をあらわにし、彼女の顔にも驚愕が浮く。
「そんなこと、あの子は」
「当然だ。迷惑をかけられている輩に、彼女がそんなプライベートなことを話すものか。どうだ、これで納得したか? なら俺の怒りも介入も理解できるだろう」
一息に続けながら顔を寄せる。
「このまま警察に連れていかれなれけば分からないと言うのなら、望み通りにしてやるぞ。経緯からすれば『規制法』の抵触事案としては充分だろうからな。幸い向こうには知り合いが多いし、今後の人生を積極的に棒に振りたいというのなら止めはしない」
男がひくりと反応する。何か後ろめたいことでもあるのか、やや青ざめた顔に手応えを得てにやりと笑った。
「宿に泊まるか、綺麗さっぱり彼女を諦めて二度と現れないか。さぁ、どうするかぐらいは自分で決めろ」
「そんなフカシ、誰が信じるかよ」
もはや強がりとわかる態度に、わざとらしく深いため息を返しつつ、おもむろに内ポケットから携帯を取り出すと耳に当てた。
「もしもし、生活安全課を。ああ、先日はどうも。実は課長さんにお話したいことがありましてね。いや、今ちょうど目の前で事案が発生しているもので、発見者の義務として通報しようと思ったんですよ。そうですね……色々とオプションが付けられそうなので誰か地域の事情に詳しい方を回して頂いても? もちろん私が立会の証言をしますし、おそらくはマエの照合も、さしたるお手間をかけさせずに済むのではないかと」
そこまで言ったところで、男は手を強く振りほどくと、「畜生!」と捨て台詞を残し、慌しく店を逃げ去っていった。




