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十三段目

 ここの住人だろうか。わたしが部外者だと気づいたら、通報されるに違いない。


 管理人に怒られるのは間違いないだろうけれど、最悪の場合、警察に迷惑をかけるなんてこともあるかもしれない。


 見た感じわたしと同じくらいの年齢だろうが、見た目で判断なんて確実性のないものでは安心できない。


 目的がばれるなんてことはないだろうが、面倒なことに変わりはない。


 通勤ラッシュの電車のようにあたまを思考でいっぱいにしても、ろくな解決案は降りてきそうになかった。


 もう一度、男の子をよく観察しよう。男の子は、犬の尻尾のように腕を振りながらこちらへ向かってくる。


 その人懐っこそうな行動が、なんだか自分の決意を茶化しているように思えて無性に腹が立った。


 そもそも、彼はここで何をしているのだろう。何をしに来たのだろう。立ち入りが禁止なのは、お互い様のはずだ。


 こうしてわたしに声をかけるということは、やましい何かをしに来たというわけではないのだろうか。


 彼を、見た目ではなく雰囲気に注視して観察してみる。


 こちらへと向かってくる彼の足取りは、一歩一歩がふうわりと軽く、その足が突如中空を踏みしめても、ほとんど違和感がない気がする。


 ふと、妙な感覚がわたしの中に充満した。なぜだかわからないけれど、彼はわたしと似ている。


 その感覚は、彼がこちらにふうわりと近づくほど、濃くなっていく。


 どうやら、彼の目がそう感じさせるらしい。彼のまとう雰囲気はとても綺麗だと思うし、見た目だけでも、かなり美形の部類に入るのだろう。


 けれど、瞳の中だけがなにも発していない。そして、おそらくなにも受け止めない。まるで、そこだけ無機物のよう。


 顔に張り付いている柔和な感情が、瞳の中にだけ行き届いていないような。


 彼はきっと、真っ黒な瞳のせいで孤独を感じさせられることもあるだろう。そう思うと、親近感が湧いた。ひよこの羽毛の量程度だけれど。


 とうとう彼が、わたしの前まで来た。


「はじめまして、僕は秋介。君はだれ?」


「私は、葉月紗英」


「紗英か。よろしくね」


 あまりにも自然に名乗られてしまったので、弾かれたように名乗り返してしまう。彼には、人に警戒させない何かがある。


 彼の纏う空気が、圧倒的に少ないからかもしれない。


 人間なら誰でも必ず持っている、自尊や自虐、あるいは自衛といったものが限りなく少ない。そう感じられる。


 見た目に無頓着なのではない。言うなれば、お婆ちゃんの頭を撫でてくれる手のような。受け入れることに、何の抵抗も覚えない。


 誰にどう思われるか、本当の意味で気にしていないのだろうか。少なすぎて、警戒のしようがない。


 近づいてきても、秋介の印象に変化はなく、希薄で軽く見えた。


 その軽さは、他人に不快感を与えるものではない。強いていうならば、『何も感じさせない軽さ』だろうか。


 空気ほど存在感が無いわけではない。けれど、人間が誰しも持っている存在という重みが、少ない。


「いいところだよね。ここらで一番背が高いから、視界にほとんど何も入らない」


 人懐っこくどこか幼い声で、秋介はつぶやき、視線を外へと投げた。


「そうだね。なんだか、心がすっきりする」


 わたしはもう一度、周りの景色に目を向けた。深呼吸するたびに、新しい風が入ってきて、わたしの中の古いものを押し出してくれる。


「スッキリするか。じゃあもう、死ぬ必要ないんじゃないかな」


 あまりにも自然に、するりと放たれた言葉。わたしの心は、通り過ぎそうになった言葉へと慌てて手を伸ばしキャッチした。


 表情が固定される。行動のすべてを鷲掴みにされた感覚。


 落ち着け、落ち着けという考えが、余計にわたしの頭の中を混乱させる。


「死ぬって、なんのことかな」


 やっとのことで絞り出した声は、動揺をまったく隠せていない。


 声だけが震えるのではなく、わたし自身が震えているから、出る声も震えてしまうのだろう。


 秋介がぽつりと落とした言葉は、彼自身を表すように、ふうわりと宙へ飛んでいった。


 けれど、わたしにぶつかった部分は、莫大なダメージを与えて通り過ぎたのだ。


「あれ、自殺しに来たんだよね。違ったかな」


 頭の中で、ハンバーグの種を作っているようだ。ぐちゃぐちゃと考えが混ぜ合わさり、粘り気をもって張り付く。


 張り付いたそれらが、ゆっくりと考えることの邪魔をする。


 ここに来ることも、ここで何をするかなんて、誰にも言っていない。


 ここにいない別の人間がわたしの現在地を知っていたとしても、わたしの目的が何かまで、わかるはずがない。


 お父さんと喧嘩して、お父さんについて考えて、その結果思い立って、誰に相談するもなくここにやって来たのだから。


 ここに着くまでに、知り合いには一人も会っていない。


 無意識に誰かに連絡を取っていたなんていうこともないだろう。携帯だって置いてきた。


 わたしの行動から、わたしが自殺するであろうという仮設をたてたのだろうか。いや、不可能だ。


 親と喧嘩して、携帯を持たず、制服のままノーメイクで出てきたから自殺するだろう。なんていう乱暴な考えが思い浮かばれるほど、日頃暗い人間ではない。


 そもそも、お父さんしかわたしの動向を知らない。


 仮に秋介がお父さんの知人だとして、わたしがここに来ることを予測して先回りすることなど出来るだろうか。


 では、どうして秋介は知っているのだ。


 わたしの頭では、どう頑張っても答えにたどり着けそうにない。

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