第38話 琵琶の音
第38話 琵琶の音
「謙信なら私も安心して台湾に帰る事が出来ます」
直政殿が手を挙げて発言した。
すると他の幹部らもそれに続いた。
「私もおやじさんに賛成します。関係者との交渉ならまだしも、
私らでは学もなく、刺青者も多い。外部との交渉は難しく思います」
「上杉殿は確かに新参ですが、適任と思います。
いつもは吉富さんか直政あたりがその役目でしたが、
彼らは顧問と言っても外部組織だし、彼らにも仕事がある。
上杉殿ならば近くにいる事だし、良いのではないでしょうか」
「上杉は代々、井上会でも大事な仕事を引き受けてきた。昇進はあまりに遅過ぎます。
どうか今からでも、おやじさんが連れて歩くのに十分な役職をお与えください」
皆はおやじさんの提案に賛成だった。
「ありがとう皆、それでは謙信を会長秘書に…それでかまいませんか?」
「私が会長秘書…?」
井上会の幹部たちは返事の代わりに姿勢を正した。
「おやじさん、始めましょう」
「準備は出来ております」
「それでは始めますか…謙信や、会長秘書は会長の子がつく役目だよ。
今日から謙信は武田の子にして私の子、盃を交わしたい」
おやじさんが私を子にしてくださる…私を家族にしてくださる。
「おやじさん、ありがたき幸せ…謙信は嬉しくお受けいたしまする」
「それを聞けて私も嬉しいよ、謙信や…」
こうして私はおやじさんより盃を受けて、彼の子となった。
おめでとうと皆が祝福してくれる中、直政殿が若いのに命じた。
「謙信にお祝いを預かってるよ」
若いのが妙な形の大きなかばんを運んできた。
直政殿がそれを受け取って開けると、中から大層立派な一面の琵琶が出てきた。
「琵琶…」
「これ、いーさんから。昨日届いたの」
…あらかじめ用意してあったとは、まいった。
きっとこの昇進も吉富殿の口添えだったのだろう。
ひとりになった私が淋しくないように、おやじさんの許に遣わしてくださったのだろう。
「謙信や、名手と言うあなたの琵琶をまだ聞いていませんね」
「私の琵琶などつたないばかりで、恥ずかしゅうござりまする」
「かまいませんよ。ちょうど良い折だから、一曲、ほんのさわりだけでも」
「は…」
私は琵琶を手に取った、実に久しぶりである。
音色を調整して、それからようやく弾き始める。
春日山の城で使っていた物とはだいぶ違うが、この琵琶はそれ以上に良い品だ。
これもこの世の技術の粋なのだろうか。
「『竹生島詣』か…名手という噂は本当だったのだね。
まるで上杉謙信が今ここにいるような気がするよ」
おやじさんは目を閉じて、私の琵琶に聞き入ってくれた。
直政殿は一瞬はっとし、それからおやじさんと同じようにしていた。
井伊万千代直政と言うからには、琵琶は覚えがあるはずだ。
おやじさんの耳はごまかせても、直政殿の耳はごまかせない。
…まいった。
その翌日から、私は暇を見つけて琵琶を練習するようになった。
直政殿の事だ、きっとあちこちにしゃべってしまうに違いない。
いつ誰に求められても良いようにしておかねば…。
「…謙信、ちょっといい?」
仕事から帰って夕飯を待つ間、縁側で練習をしていると、
直政殿が私の隣にどかんと床を響かせて座った。
「俺、もうすぐ台湾に帰るけどさ…もし謙信が誰か後添いを欲しいなら世話するよ。
俺んとこの取引先が謙信を紹介してくれって言ってる」
「それは…縁談にござりますか」
「ソンシルは幸せだって言ってたよね」
「結構な事ではござりませぬか、幸せならば」
私は一度は置いた琵琶を再び取り寄せた。
「でも謙信は…! ソンシルの事を想って、わざわざ離縁までした謙信は?
そろそろ誰かを迎えて、幸せになってもいいんじゃないの?
でないとソンシルが安心できないよ」
「私は犠牲じゃないし、十分に幸せだよ…皆がいて、おやじさんも可愛がってくださる」
そう言って、琵琶を少しかき鳴らす。
その手を直政殿が止めた。
「…『想夫恋』だよね、その曲」
「直政殿の気持ちは嬉しく思う、でもまだしばらくはこのままでいたいのです。
しばらくはぺさんを思って、それでいつか忘れる日を静かに待ちたいのです」
静かにとは言ったものの、私の心は静寂とはかけ離れていた。
ぺさんの事を思うと、彼女があの男の腕の中にいる事を思うと、
身も心も燃えて燃えて仕方がない。
そんな時は仕事に打ち込むのが一番だった。
会社にいる時は会社の仕事があり、家ではソーシャルゲームの仕事があるのが幸いだった。
そんなある晩の合戦前の事だった。
連合「クラブLOVELY」のチャットに、連合員のひとりが重大な書き込みをした。
「甘粕に政宗、大変だ」
「どうした謙信」
政宗が私の端末を覗き込んだ。
「うっそだろ…よーじさん捕まったのかよ、これから大事な時だってのに」
「和田」さんという連合員が、同じく連合員の「よーじ」さんの逮捕を報じていた。
違法賭博の容疑だった。
「よーじ」さんは、「和田」さんとリアルでつながっている人で、
ソーシャルゲームの他に賭博の仕事もしているとの事だった。
甘粕が眉根に皺を寄せて言った。
「よーじさんと和田さんは井上会系の人じゃなくて、俺が上杉入る前にいた、
『斉藤一家』で一緒だった人でさ、組の解散までずいぶん世話になった」
「よーじさんも和田さんもヤクザだから、いつ捕まっても不思議じゃないけどさ、
人員補充どうすんだ? よーじさんの代わりが務まる人なんてそうはいないよ?
今から育てるのも難しいし…」
「よーじ」さんは前衛の中でも、大事な役どころと政宗は言う。
彼自身が特別大きな得点をあげる訳ではないが、支援プレイに特化しており、
彼のおかげで、得点源となる人らが大得点を獲得出来るのだ。
その彼が捕まった、これは連合にとって一大事である。




