第36話 チェリー
第36話 チェリー
直政殿の描いた『新井直政』の絵は、その後すぐ甘粕の手によってカード化された。
カードは有料ガチャの景品となり、まず私と政宗がガチャを経由して持つ事になった。
「やべえ、新井直政マジかっけえ」
問題の新カードの名前は「[爆走火狐]新井直政 SSR」、
意外にも智将としての登場だった。
「智将なら奥義とか、武将よりスキルを多く載せられるからな」
甘粕はそう説明してくれた。
政宗は嬉しそうにスクリーンショットを撮る。
彼だってもう30代半ばのいい歳なのに、どこか少年のように可愛らしい。
甘粕もそう思っているに違いない。
夜、彼が政宗をこっそり部屋に呼んでいるのを知っているんだから。
「これはまた強いカードだね、特にこの『白雪赤蛍』なる奥義は」
「一定時間、敵の攻撃を味方一人に集中させる奥義だ、
新井直政は色で徳川家中を駆け上がった人だからな…普段は地味ななりだが、
表着を脱ぐと、内側の赤い小袖と肌が相手の目に妖しく映り、
それはそれは強力に相手を惹き付けたらしい」
ガチャは相当絞ってあるとの事で、そのカードを所有しているのは、
私と政宗、それから初心者と無課金者、
そして活動の少ない者に限定されていた。
直政殿が取引先との会食でいない夜、甘粕は食後の果物を洗って、
部屋で持ち帰った書類仕事をしている私を訪ねた。
政宗も「ホストクラブ上杉」の仕事で出かけており、家には甘粕と二人だけだった。
「頂き物のさくらんぼ、今夜は政宗いないから特別だ」
「もうそんな季節か」
「…知ってるか謙信。さくらんぼは英語で『チェリー』と言って、童貞を意味するって」
甘粕はあぐらをかいて座る私の膝に手をついて、耳元で言った。
そんな夜は決まって、私に挑戦してくる。
「それは我らに当てはまらぬのではないかな…『チェリー』は厳密に言うと誰も知らぬ尻だ。
こないだネットで見たぞ、この世の道具はまこと便利だな」
「謙信はまだ俺を知らないし、俺はまだ謙信を知らない」
「私は尻などより、明日の天気や旨いしのぎを知りたいね」
冷たくかわすも甘粕がいっそう燃え上がるだけなのも、もういつもの事になっていた。
甘粕は私の内股に手を伸ばした。
「…甘粕、触れてどうしたい? 申してみよ」
「したい、して欲しい」
「政宗の何が不満か?」
「政宗は抱いて愛でるには可愛い、そう言ったはずだ。
でも抱かれたいと思ったのは謙信だけ…」
夜の商売で培った技術を駆使しているつもりらしい。
手は甘粕の頭になった。
「無駄だね…窓ガラスをごらん、甘粕とやら見苦しい男が映っているよ。
そんな男に誰が欲情する? 誰が応えて身体を開く?」
夜の窓ガラスに部屋の灯りが反射して、甘粕の徒労が映り込んでいる。
ほら泣き出した、泣き出したら私の前で手をつくんだよな。
どっちを向いてるの、そっちは誰もいないよ、私はここだよ。
最後は泣いて懇願しながら、最高に見苦しくなるんだよな。
「謙信、お前は冷たいな…」
「冷たくて結構。甘粕よ、そなたの惚れた男は男を忘れた男。
たったひとりの女を思い続ける男ぞ」
「ひどい…謙信はひどい。冷たくて、ひどくて…燃える」
私は畳の上に涙を落とす甘粕の後ろ姿に目をやった。
脚の間で手が動く、それが泣きながらする事か。
「甘粕、こっちを向いてごらん…その手が何をしているか見せてごらん」
「してくれるのか?」
甘粕は恐る恐る私の方を向いて、泣き笑いした。
「まさか、誰がすると申した」
そう言わないと甘粕は満足しない、それもいつもの事だ。
変わった好みを持つ男だ。
机の引き出しから拳銃を取り出し、それを頭に突きつけてやると、
甘粕はいっそう喜び、最高に燃え上がる。
もし私がぺさんと出会わなかったら、彼を愛しただろうか。
そんなぺさんが再婚したと、会社で安田から聞かされた。
彼女が新しい社長になった事はネットのニュースですでに知っていた。
「ほらさ、俺も在日じゃん? 在日の間じゃ武本家は超有名だから、
そういう話もいろいろ聞こえてくるんすよ 」
「…そうか」
「でも謙信、武本の会社はあんま経営良くないらしいす…特に姐さんの代になってから。
持っている飲食店も閉店が相次いでいるし、そろそろ危ないんじゃないかって噂す」
「まさか…あのぺさんが?」
ぺさんが上杉にいた頃の仕事ぶりは、私がこの目で直に見ている。
売り上げだって上がる事はあっても、下がる事はなかったのも帳簿で見ている。
「だんなが良くないんじゃないすかね…」
「…どんな人?」
「俺は直接会った事はないすけど、周りで会った事あるやつは結構いるっす。
なんかいいとこの坊ちゃんのくせして、俺ら本職のヤクザよかヤクザらしいす」
「それはつまりクズって事だな…安田よ」
外出から戻った山本が、私と安田を見つけて割り込んで来た。
「山本さん…!」
「姐さんを取り返しに行くなら俺は手伝うけど、どうする?」
「俺も手伝うっす」
「私は…」
私は一瞬戸惑った。
そんな私の肩を甘粕が力強くつかんで言った。
「行こう謙信」
「姐さんが幸せじゃないのなら、離れている理由はないす。
直政の兄さんも手伝って欲しい、いいでしょ?」
「もちろん。よし、ここは俺が日本にいる黒社会のやつらを集めて、どかーんと!」
政宗も直政殿も奪還に賛成し、勢いに押されてぺさんの奪還に向かう事となってしまった。
安田と宇佐美が下調べをしてくれ、直政殿が応援を井上会にまで頼んでくれ、
いざ武本の本社に乗り込んでみたものの、当のぺさん本人に鼻で笑われてしまった。
「アホかお前ら」
「いや、だって姐さん…」
安田がそう言うと、ぺさんは玄関の扉の向こうを見つめたまま言った。
「私が不幸だと思ったか? 親に強いられて再婚したと思ったか?」
「姐さん…俺も姐さんが幸せじゃないのなら、全力で奪還するつもりです。
謙信がどんな気持ちで姐さんを送り出したかと思うと…」
山本も彼女の背中に言葉を添えた。
「安心しろ、私はちゃんと幸せだから…この結婚も私が自分で決めた事。
今のだんなも私が自分で選んだ人なのだから」
そう言って振り返ったぺさんは嘘偽りのない笑顔だった。




