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第34話 井伊直政と上杉謙信

第34話 井伊直政と上杉謙信


「あ…」

「ちょっと探してみない? 誰が来ていて、どんな暮らしをしているか」


確かにここに上杉謙信がいて、井伊直政がいるという事は、

他にも戦国から来た者がいても何らおかしくはない。


「戦国から来た者なら、まず正当な手段では戸籍を得られないはず。

戸籍がないという事は、良い仕事にも就けないはずだよ。

つまり、俺らみたいに裏社会に生きている可能性が高いと思うんだよ」

「うーん…仮にそういった者がいても、見分けがつかないのでは?

私たちがこの世に馴染んでしまったように」


戦国…と言えば、私が最初に収容されたあの病院を思い出す。


「直政殿、病院はいかがでしょう? 私も最初は行き倒れて病院に収容されました。

そこでたまたま『上杉謙信』と命名されたのですが、

あの病院ならそういった者が収容される可能性は高いと思います」

「病院?」

「精神科の単科病院なのですが、信玄殿…うちの武田がそこに潜入していたので、

彼なら私などよりずっと詳しいはず、話を聞いてみましょう」


私は信玄殿に電話をし、翌日会社で会う約束を取り付けた。



「…ああ、あの病院」


翌日、会社の会長室で信玄殿は背中を丸めお茶をすすりながら言った。


「八徳会病院ね…あそこは前に上杉がでかい医療ミスを握って以来の付き合いだね」

「信玄殿、私のような行き倒れがほとんどと、前におっしゃっておられた」

「うん、そうだね。行き倒れを保護して入院させ、福祉を申し込ませて、

国から支払われる金を頂戴する…それが仕事だから」

「その行き倒れです、彼らはどういった事情で行き倒れるのですか?」

「そりゃもちろん」


信玄殿はもう一口お茶をすすった。


「いろいろさ…でも彼らに共通しているのは働けない、仕事がないって事。

身体を壊して働けなくなり、家も家族も失った結果だったり、

もともと持病があったり、犯罪歴があったりして仕事に就けなかったり…」

「それじゃ武田さん、外国人もそこに入りますよね?」


椅子に収まり切れず、床に直接座り込んでお菓子を頬張る直政殿が言った。


「いや…外国人、それから混血らしき者は、あの病院には収容しないよ。

福祉を申し込むのに何かと面倒が多いから…でもどうして?」

「信玄殿、直政殿が誰か人材を探しておられる。

それであの病院ならどうかと思って…」

「そうなんです、うちも謙信みたいな人材が欲しくて」

「いやあ…謙信みたいなのは本当に奇跡だから、あの病院じゃまず難しいねえ」


私と直政殿は出任せを言ったが、結局手がかりはつかめなかった。


「…そういや、『新井直政』の新井家はその後どうなったのですか?

吉富殿の一代限りとか? 誰か養子を迎えたとか?」


信玄殿が「甲陽軍鑑」に記入を終えて帰った後、私はふと直政殿に聞いてみた。


「あ、新井家は今もあるよ」

「えっ、まことですか?」

「ほんとほんと。でも新井家は跡目選びに選挙制を導入して、領民からも選んだって言うし、

いわゆる『民主主義はじまりの家』みたいなもんだから、血縁はもうないと思うよ」

「ふうん…つまりは養子みたいなものですね」


直政殿は服の物入れ袋からスマホを取り出し、太い指でそれを操作した。


「…近くだから行って見る? 『新井博物館』、今日は営業してるよ」



直政殿の言う「新井博物館」は、会社のほど近くの「皇居」なる、

天皇の住まいとはほんの目と鼻の先にあった。

博物館はビル群の間に、まるで飛び地のようにそこだけ飛び出していた。

「桜田門」と呼ばれる門の前を通る道も、博物館を迂回するように作られてある。


「直政殿、どうしてここだけ飛び出しているのですか?」

「たぶん建物が歴史的価値とかなんとかで、国の宝に指定されてるんだよ。

後からビルを造るのに、壊すに壊せなくて困っただろうね」


博物館には直政殿が事前に電話をしていてくれ、私たちは道路に面した庭に入り、

そのまま玄関の引き戸をがらりと開けて中に入って行った。


「…これはまるで一般の住宅のような」

「今は一般の住宅だよ、今でも新井家の人たちがここに住んでるんだから…。

あっ、こんにちはあ! 先ほどお電話した者です」


玄関には受付があり、そこには私より少し下…40代半ばと思われる男が座っていた。

服の上からでもわかるほどの筋肉に、無精ひげのずいぶんといかつい男だった。


「あっ…こいはおじゃったもんせ」


男は私たちに気付くと、帳面と硯を差し出した。


「入場料は1500円にないもす、そいとここに記帳ばたのんあげもす」


直政殿が入場料をまとめて支払ってくれ、それから例の丸々と太った手で記帳した。

「井伊万千代直政」…容姿にそぐわぬ達筆だ、さすが戦国の武将だった男。

筆は私にも回され、直政殿の隣に氏名と住所、電話番号を記入した。

…「上杉謙信」と。


「えっ、井伊直政? 上杉謙信? まこてけ?」

「うん、ほんとほんと、超ほんと」


直政殿が服の物入れ袋から、「旅券」なる一冊の帳面を取り出して提示した。

どうやら身分証明らしい、私も財布から「健康保険証」なる札を出して提示した。


「わっぜかあ! まこち井伊直政と上杉謙信じゃっど…!

ちょっ、おやっど! おやっど! 見やんせ、井伊直政と上杉謙信ちおきゃっさあが…」


男は驚き、そして奥に声をかけた。

やっぱり井伊直政と上杉謙信では、笑いの種でしかないのか。


「しもた…おやっどは仕事じゃったか、残念。

あ、おいは新井悠ち言うて、ここん子…今帰省中で手伝うちょっ。

おきゃっさあはおまんさらだけじゃっど、おいが案内すっど」


悠(はるか)と名乗る新井家の息子は受付から出て来ると、私たちを奥へと通した。

しかしこの男、ひどいお国訛りだ…。


「新井さんはここの子って言うけど…なら、東京生まれの東京育ちですよね?」

「よう言われっ…じゃどん、こん訛りはおいがおっかんが言葉、『おっかん語』じゃっど」


悠さんは障子を開け放した居間を通り越し、隣の部屋の障子を開けた。

そこには古い武器や防具が展示されてあった。


「…おきゃっさあ『井伊直政』ち言っとなら、知っちょっもんもあっとやなかけ?」

「えっ…」


悠さんの言葉に直政殿はたじろいだ。


「新井ん家にゃ井伊からんもんもおっ、井伊んもんじゃったもんもあっ」


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