第30話 ひとり寝の夜
第30話 ひとり寝の夜
「そんなの見た目だけだよ、謙信」
政宗殿がにやりと笑った。
「こっちで支給した新しい端末に、新しくアカウントを作って参加してるだけ。
みんな別の端末に別のアカウントを持ち、一般客として潜り込んでて、
事前にこのゲームを相当勉強して、相当な訓練を積んである。
遊びじゃなくて仕事でやってるから、強い人ばっかりだと思うよ」
「ううむ…それは私も負けてはおれませぬな」
画面を覗くと、「チャット」なる所に赤い印がついている。
「して政宗殿、『チャット』とは何にござりまするか?」
「『チャット』は超大事だよ、文字で連合員と会話出来るんだよ…挨拶とか。
『合戦』の途中でも使えるから、作戦の指示とかにも使うよ」
「チャット」を開いてみると、新しく入って来た連合員たちによる、
「よろしくお願いします」などの挨拶が書き込まれていた。
私からも「よろしくお願いします」の返信を書き込んでみる。
すると連合員の一人から返信があった。
名は「よっしー」とあった。
“話は聞いております、わからない事があったら遠慮なく聞いてください。
一緒にがんばって、このクラブLOVELYが天下統一しましょう☆”
「よっしーさんは直に会ってる、渉外担当をしてくれるから、
彼を『補佐』に任命して欲しい」
甘粕殿がそう言って、「補佐」の任命の仕方を教えてくれた。
「チャット」にはもう一人からも返信があった。
“9-HEYです☆ 菊正宗さんの紹介で来ました〜よろしくお願いします♪”
名は「9-HEY」とあり、これはちょっと読めなかった。
政宗殿が「『きゅうへい』と読むんだよ」と言った。
「お、軍師来たあ! 9-HEYさんは俺の知ってる人、うちの連合員のだんなさん。
軍師をお願いしたんだ。超強いんだけど、それ以上に作戦に詳しいよ」
「政宗殿の連合て事は、きゅうへい殿の奥方もお強いのですね」
それから二人は、私に連合員たちの事を教えてくれた。
彼らは遅くまでいてくれたが、それでも仕事があるからと、
日の変わる前には帰って行った。
一人になった家で、甘粕殿が湧かしておいてくれた風呂を使い、
ひとりでふとんに入って、ゲームの「レベル上げ」なる強化作業をする。
ぺさんがいなくなってから、離縁の成立した今夜までひと月と少し時間が経った。
ひとり寝にも慣れて来た。
ゲームは遊びではなく、仕事だから淡々と進められる。
それでもこのゲームがぺさんと一緒ならば、さぞ楽しかっただろうと思わずにはいられない。
ぺさんならこのゲーム内の名前を何としただろうか。
ぺさんは日本名で「上杉成実」、旧姓だと「武本成実」、
朝鮮半島の名だと「ぺ・ソンシル」…「ぺ」じゃおかしいから、「ソンシル」あたりだろうか。
彼女のことだ、そんなにひねった命名はしなさそうだ。
私とどっちが強くなるだろうか、真面目なぺさんかな…。
「ぺさん…」
楽しいはずの空想なのに、なぜか涙がぽろりとこぼれ出る。
この夜、私は初めてひとりで寝る事の淋しさに気が付いてしまった。
淋しい夜を私はゲームという仕事でごまかしていた。
連合員たちとも打ち解け、毎日の合戦でもだんだん勝てるようになって来た。
そんなある朝、いつも通りに安田殿の送迎で会社に出た。
報告を受ける日なのか、会社には信玄殿が来ており、
彼を中心に、幹部らで固まって話し合いをしている様子だった。
「…武田さん、今どきとは思うけど、そこをなんとか許してくれませんか」
甘粕殿の声がする。
「そうだなあ…確かに誰かしら人が要るとは思うけど…」
「俺も甘粕に賛成する、誰かついていないと」
山本殿の渋い声も聞こえる。
「俺だったら独り者だし、適任と思うんすよ」
「うん、甘粕ならいいんじゃないかな。今、一緒に仕事してんだろ?」
宇佐美殿も丸い頬をより高くし、にこにこしながら頷いている。
「宇佐美さんも賛成なら心強い…ありがとうございます」
「ちょっと待って甘粕さん! 俺も! 俺も一緒にお願いします!
俺も独身で一人暮らしす、付いて行くのに何も問題ないす!」
「政宗…!」
何の話をしているのだろう。
「おはようございまする…あの、皆さん何の話をしておられるのですか?」
私が皆に挨拶をすると、皆はぐりんと振り向いて私に注目した。
甘粕殿が私の腕を取った。
「俺、謙信の家に住み込む事にしたから」
「はい?」
「甘粕がそう願い出たんだよ、謙信の家に住み込んで世話をしたいって。
確かに通いでは夜間ひとりだと不用心だし、誰かしら側についていないと」
信玄殿が応接用の椅子から笑いかけた。
「住み込みなんて今どきって思うけどさ、警護だけじゃなくて、
謙信には食事を用意したり、風呂を湧かしたり、日常の世話をする人が要る。
独り者の俺が謙信の家に住み込めば話は早い」
「確かに…通いでは家事も二度手間にござりまするな。しかし甘粕殿…」
私は申し訳なさに口をつぐんだ。
甘粕殿には他にも自分の仕事がある、そんな人に世話をさせるなど…。
すると、政宗殿がもう片方の腕にぎゅうとしがみついて来た。
「安心して謙信、俺も一緒だよ。甘粕さんが用事ある時は俺が交代するよ。
それに幹部候補でも俺はまだ新入りだし、部屋住みが本当じゃない?」
「政宗殿…!」
ぺさん…ぺさんが家からいなくなっても、私は一人ではなかったのだね。
仕事から帰って、物入れになっている二階の空き部屋を片付けながら、
私は甘粕殿や政宗殿、上杉の皆の心に応えたいと思った。
会長として皆のために働きたいと。
ぺさんの幸せは私の幸せ。
私も幸せでなければ、ぺさんも安心して幸せにはなれないだろう。
その夜を境に私は変わった。
「政宗、留守を頼む。井上会の集まりに出かけるから、甘粕は同行してくれ」
「そんなキメキメで誰とデートするのかと思ってたら、井上会の集まりかよ。
…了解、なら俺ももうちょっとましな服に着替えて来ないと」
「二人とも、晩ご飯は要ります?」
半年が過ぎた朝だった。
上杉会の上部組織である井上会の集まりに出席するため、
私は上等のスーツを着て、居間の鏡を覗き込んでネクタイを結んでいた。
それからスマホでニュースを見ながら、甘粕の着替えを待った。
その時、私はひとつの見出しに目をとめた。
…ぺさんが再婚するらしい。




