表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/59

第3話 謙信の結婚

第3話 謙信の結婚


私に妻…あり得ぬ。

前の世で私は独り身を通して来た。

結婚などした覚えはない。


「お待ちくだされ上杉殿、なぜ私がそなたと結婚など…!」

「病院で書類を書かされたはずだ、その中に婚姻届も含まれていたはずだ」


薬でぼんやりとする中、確かに書類はあれこれと書かされたが、

その中に結婚の届けがあったなど…。


「…お前を引き取るには、結婚が一番だったのだよ。

年上の男を養子には出来ぬ、結婚ならば全てが丸く収まる」


上杉殿は元いた階に戻って私の荷物をまとめてくれた。

武将たちが広間で別れを惜しんでくれた。


「お、謙信には嫁さんがいたのか。家族の迎えとはうらやましい」

「元気でやれよ、謙信。嫁さんと仲良くな」

「こんなところ二度と来るなよ」


上杉殿は私の手を引いて、病院の外へと連れ出した。

来た時とは別の形の車に私ごと乗せて隣に座ると、運転手に車を出させた。


「しかしながら上杉殿、私は…」


私は前の世で毘沙門天に生涯不犯の誓いを立てた。

その誓いがまさかこんな形で破られようとは…!


「謙信、あの病院は福祉の金を国から搾り取りながら、その裏で人身売買の斡旋も行っている。

お前は比較的若い、当然売りに出されていた」

「上杉殿…」

「上杉が二人もいてはややこしい、『ペさん』で良い。私の昔の呼び名だ」

「ではペさん…」


走る車の中、私はぺさんにあれこれ質問した。

どうやって私の事を知ったのか、なぜ結婚という形を取ったのか。

それから、どうして私を選んだのか。


「私の家は『上杉会』という、裏の商売を行う組織を運営している。

裏社会の者だから、当然あの病院の事も知っている。

上杉会はあの病院を監視する上部組織に当たる、お前を見つけるのも難しくはない」

「ふうん…ぺさんは偉い方なのでござりまするな」

「私がではなく、親がな…でも母が亡くなり、父も最近亡くなった。

子は養女の私ひとりだ、娘は跡目を継げぬ。

誰か婿を迎えて、その人に表向きの事をしてもらうしかない」


なるほど…武家のようなものか。


「武家と同じにござりまするな…」

「そんなもんだ。だが、今どき婿を取るのは非常に困難だ。

男の方が苗字を改めたがらぬ…最初から同じ苗字ならば面倒はない」

「しかし…」


私が反論しようとすると、ぺさんは予想してたかのごとくそれを遮った。


「謙信、お前もあの病院にいたぐらいだ。行くところはないのだろう。

だったら私の家で、私と一緒に働いてみないか?

上杉の家をお前の居場所にしてみないか? お前なら出来ると思う。

人身売買でも政略でもない、一緒に生きる仲間、この結婚はそういう意味がある」


まいった、反論は出来ない。

実に魅力的な誘いだ。

あの病院から出されてしまった以上、このぺさんにすがるしか生きる術がない。


「私は生涯不犯を誓った僧侶にござりまする…それでも?」

「私も歳だ、そこはまかせる」

「えっ、歳って…そんなに歳なのですか?」


見たところ、ぺさんは20代後半ぐらいだった。


「いくつだと思った、私はこれでも42だ」

「ごめん、あまりにもお若く見えるのでつい」


私がそうしょげていると、ぺさんはふっと笑った。


「歳が比較的近いのも選んだ理由のひとつ、若ければ良いというものではない。

お前は48歳と病院から聞いているぞ…お前の方が6つ兄さんだな」


ぺさんは笑うと目がなくなる…可愛らしい人だ。

彼女は「着くぞ」と言って、私の肩をぽんと叩いた。

民家だろうか、車は小さな家の前で止まった。

家から男たちが出てきて、車の扉を開けてくれた。


車から降りて家を眺める。

古びた日本家屋が高い塀に囲まれており、玄関はとびきり狭く作ってあった。

日当りの悪い家だ…夏だというのに玄関は薄暗く、ひんやりとしていた。

狭い門の脇に小さな表札が掲げられてあった。

…「上杉」と。


「古くて小さな家だが…謙信、今日からここがお前の家だ」


ぺさんはまた目をなくして笑った。


「私の家…」

「謙信は私の夫、私は謙信の妻。事情はどうあれ私たちは家族。

だからここがお前の家、それでいいじゃないか…謙信よ」


ぺさんはこんな私でも家族と言ってくれるのか…!

こんな酒ばかりだった、気分の浮き沈みも激しい、足も悪い小男などを。

家臣らも迷惑して、離反者も多かったこの私でも。

私の目からはいつの間にか涙が流れていた。


「ぺさん、私…」

「…何も言わなくても良い、わかるから…お前の淋しさは私もわかるから。

この結婚は家のため、私と一緒に働く人を求めたものだったけれど、

何よりお前の事を知った時、とても他人事とは思えなかった。

どうしても放っておく事が出来なかった…それがこの結婚の最大の理由」


そう言えばぺさんは養女と言っていた。

彼女も過去のある人なのだ、きっと私と同じなのだ。

上杉謙信という小男に、彼女は自らの過去を重ねたのだ。

固い誓いを蹴破って突然現れた私の妻は、なんと情け深いおなごよ…。


ぺさんは家の中を案内してくれ、風呂と厠の使い方を教えてくれた。

二階の畳が敷かれた部屋で、病院から持ち出した少ない荷物をほどく。

そこには最初に着ていた法衣があった。

ずっと着たきりだった、青鈍色のあの法衣である。

厠で気を失ってからこの世に来るまで、寝かせる以外に動かせなかったのだろう。


「だいぶ汚れてはいるが、ずいぶんと立派な法衣だな…」

「この法衣は私が最初に着ていたものにござりまする」

「坊主とは聞いているが…謙信はどこかの寺にでも入っていたのか?」


ぺさんはその法衣を広げると、ハンガーなる物干しに掛けて吊るした。


「いいえ、当時私は他に職がござりましたので…」

「ああ…在家の僧侶か。しかし『上杉謙信』とは、病院も上手い命名だな」

「…あのぺさん、『上杉謙信』とはどのようなお方にござりまするか?」


私はずっと知りたかった事を聞いてみた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ