第28話 一陽来復
第28話 一陽来復
「謙信…?」
ぺさんは私の言葉に顔を上げて、目を丸くした。
「二度とお目にかかりませぬ…どうかお帰りくださいまし」
私は彼女から離れると、背を向けた。
「父に何か言われたのか? …そうだな!」
「いいえ、それは違いまする」
「ではなぜ…! 言ってくれ、謙信!」
私はぺさんを振り返った。
彼女は大粒の涙をぼろぼろとこぼして、小さな子供がするように手の甲でしきりに拭っていた。
最愛の妻にこんな顔をさせるなど、つくづく私はだめな夫であった事よ…。
そんな私でも出来る事はある。
私が夫として妻に出来る事…。
「…それは…それは、そなたを愛しているから。
愛してる、愛してる…それ以外に何がござりましょう…!」
私は涙と共に感情を、庭の光の中へとぱっと散らした。
上杉謙信などだめな男には、こんな時鬼に徹する事も出来ない。
「ぺさん、謙信はそなたとの結婚を幸せこの上なく思いまする…」
私は泣き濡れる妻を抱き寄せて、静かに言った。
「だからこそ、もう二度とここへ来てはなりませぬ、お目にもかかりませぬ。
あとの面倒事はみんなみんな、この謙信が一身に引き受けまする。
ぺさん、そなたはこの庭のような光の世界を生きる人…。
ご両親だけでなく、私も心からそれを望みまする。
そなたを愛すれば愛するほど、心の底からそれを望みまする」
ぺさんの目から次々と生まれる涙を、指の腹で拭って頬に触れる。
涙を流す彼女はいっそう美しい、私はこれほどの女の夫にしてもらったのだ。
「そなたは光、陰など要らぬ。そなたの陰となれるのはこの私だけ。
そなたを闇から解放出来るのは、この私だけ。
それがぺさんと結婚した事の最大の幸せ…!」
「謙信…私の幸せは謙信なのに…!」
「私は何もかもをぺさんにしてもらうばかりの、だめな夫にござりました。
…そんなだめな夫が妻にしてやれる、唯一にして最後の夫らしい事にござりまする。
ぺさん、そなたが私を心から愛してくださるのならば、どうか離縁くださいまし。
私の愛に応えて離縁くださいまし…」
病院から連れ出され、ぺさんの住まうこの家に初めて来た日もそうだった。
ぺさんの迷惑になりたくない、その一心で私は離縁を申し出た。
それを退けて、ぺさんは私との結婚生活を選んでくれた。
彼女との幸せな結婚があったからこそ、今再びこうして離縁を申し出る事が出来る。
ぺさんの事を思いやる気持ちは、あの時以上。
愛する人の幸せのためならば、私は別れも辞さない。
「ひどい…謙信はひどい…!」
ぺさんは泣いて私を責めたが、もうこれ以上ぺさんに話す事はなかった。
私は庭掃除に戻った。
ぺさんは涙をぐっと飲み込み、そして庭から飛び出した。
その気配に私は振り返り、彼女の背中を見送った。
この家にぺさんはもう二度と帰って来ない…。
「ぺさん…ごめん…ごめん…」
私は妻の代わりにほうきを抱きしめ、すがりついた。
…これで良いのですね。
これでぺさんは、私の愛する女は、闇の世界から自由になれるのですね。
陽はまた来て、彼女に降り注ぐのですね。
その翌日、私は記入の済んだ離婚届をぺさんの家へと送り返した。
それからほどなくして、ぺさんの父親より電話がかかって来て、
離婚届をお上に提出した事、それが受理された事の報告を受けた。
離縁が成立したのだ。
「謙信、気分転換に俺の誘いを受けてみないか?」
その日の夕方、食事を作りに来てくれた甘粕殿が言った。
今日の献立は「お好み焼き」なる、小麦粉を出汁で溶いた生地に、
野菜や海老などの具を練り込み、肉を乗せて焼いたものだった。
甘粕はこれは関西のお好み焼きだと言った。
「誘いとは…?」
「忘れたのか、一緒に仕事しないかって誘っただろ」
「ああ…確か『ホストクラブ上杉』で申されておった…。
でも信玄殿や山本殿の許可を得てからでないと」
「構うかよ」
甘粕殿は食卓の上に置いた鉄板の上で、器用に「お好み焼き」を返した。
「謙信、今はお前が上杉会の会長だ、誰の許可が要る」
その時、玄関先で弾むような明るい声がした。
「こんばんはあ」
「あれ? 政宗殿のお声にござりまする、今日は当番ではなかったはず」
「政宗は俺が呼んだ」
甘粕殿は玄関に向かって、「上がって来い」と怒鳴った。
「お邪魔します…あ、今夜は関西風のお好み焼きなのか。マジ危なかったあ!
俺も明日はお好み焼きにしようとか思ってたから、微妙にかぶるところだったよ」
「政宗も食えよ、 食いながら話をしたい」
焼き上がった「お好み焼き」を食べている最中だった。
「政宗お前、最近新しいSSR引けてるか?」
「ちょっと待って」
甘粕殿と政宗殿はそれぞれ、薄型電脳小箱を取り出した。
「…まだっすね、コストの低いやつはぼちぼちだけど」
「お前のテーブルは相当甘くしてあるから、引けばがんがん出るはずだ」
「でも甘粕さん、あんま立て続けはまずいっす。当たりは分散して欲しいっす。
でないと一般の客から怪しまれるっす」
どうやらこれが甘粕殿の言う「仕事」らしい。
「甘粕殿、政宗殿、それは何をしているのでござりまするか?」
「ああ…これ? これが前に話した『ソーシャルゲーム』ってやつだ」
甘粕殿は薄型電脳小箱の画面を私に見せて、そう教えてくれた。
政宗殿がその横でにやにやしている。
それに気が付くと、甘粕殿は家に持って来た黒い革のかばんから、
一台の薄型電脳小箱を取り出した。
どうやらまだ新品らしい。
「やろうぜ、謙信」
甘粕殿はその薄型電脳小箱を、「お好み焼き」を頬張る私に差し出した。




