第26話 肉親
第26話 肉親
「…ソンシル…探したよ!」
「まさかこんなに近くで、しかもこんなに元気に生きていたなんて…!」
ぺさんの両親…武本の老夫婦は喜びに声を上げて泣いていた。
前にぺさんはさらわれた女と言っていた、この両親ともずっと生き別れになっていたのだろう。
なんとも喜ばしい再会である事よ、だがしかし…。
何はともあれこんな玄関先では失礼なので、老夫婦を座敷へと通した。
ぺさんがお茶を出してくれ、私たちは武本の夫婦の話を聞いた。
ぺさんの家には「ぺ」と言う、朝鮮半島の頃からの本姓の他に、
日本で暮らして行くための「通名」を持っており、それが「武本」である事。
武本家…ぺ家は鎌倉の近くの横浜なる地に家を持っている事、
食品や衣料、百貨店、旅行会社などの会社を、複数経営している事など、
まずは家の事を話してくれた。
「驚きました…初めて聞きまする」
それから、ぺさんは「大学」なる、学問所に通っている最中にさらわれた事も聞いた。
…ぺさんはやはりただの女などではなかったのだ。
女人にしては学もあり教養も高い、身のこなしまで他の者と違っている、
こんな上杉謙信など、酒浸りの坊主には過ぎたる嫁御とは思っていたが、
まさかここまでとは、大商家の令嬢とは思いもしなかった。
「あの…ぺさんご夫妻はどうやってうちを…?」
「先日、家の者らが仕事で台湾に行き、その出先で偶然娘を発見しました…。
帰宅を拒む娘が上杉さんの事を『謙信』と呼んでいたので、それだけを手がかりに、
彼らの帰国後、私どもで少々調べさせていただきました」
ぺさんの両親には、すぐに居所も何もかもわかった事だろう。
何しろ「上杉謙信」という名は、あまりにも目立ち過ぎる。
「…『上杉謙信』は私の名にござりまする。
戦国の大名とまるきり同じにござりまするが、まぎれもない私の本名にござりまする」
「ソンシルが上杉さんと結婚した事も存じております…」
ぺさんの父親はそう言って、一瞬だけ口を濁した。
そしてまた口を開いた。
「ですが私どもも歳を取って、もう老い先が短うございます。
少しの間だけでもまた娘と暮らしたい…。
上杉さん、どうか私どもの願いを叶えてくださいませんか」
…ぺさんの両親は私に、「娘を返して」と言いたいのだ。
「悪いが…その話は断る」
私の隣でずっと黙り込んでいたぺさんが、突然言い出した。
「ソンシル、どうして…!」
「そんな、せっかく再会出来たと言うのに…!」
「私は『上杉成実』だからだ、それ以外に何がある?」
「…ソンシル、お前ひょっとして脅されているのか?
帰りたくても脅されているから、そう言うのか?」
ぺさんは机の下で、私の手をぎゅうと握りしめた。
「それは違う…! それだけは断じて違う…!
私が上杉の家にいるのは私の意思、私が決めた事…!」
「かわいそうに…ソンシル…」
ぺさんの両親は肩を寄せて涙を流していた。
ぺさんはそんな彼らに静かな口調で語りかけた。
「…私を探し出して、迎えに来てくれた事は嬉しく思うし、二人を実の親とは思う。
でも上杉の両親は私を組織から助けた後、娘に迎えてとても可愛がってくれて、
こうして家も会社も何もかもを遺してくれた。
私はもう大人だ、私はもう私の人生を生きている。
だからここで謙信と上杉の組の皆と、彼らがくれた心に応えていきたい。
…たとえそれが極道の家であっても」
「それはただのきれいごとだ、 お前は極道に洗脳されただけなんだよ…!
結婚だってどうせ強いられたものだろう、違うか!」
強いられたもの…私たちの結婚は他の者の目にそう見えるのだ。
私や上杉の先代夫婦が、ぺさんを洗脳して上杉の家に組み込んだと。
「あのう…それは違いまする」
さすがにこれには私も反論せずにはいられなかった。
「何が違うと言うのだ、上杉さんだって極道じゃありませんか」
「やめてくれ! 謙信はついこないだまで、苗字が同じなだけの、全くの一般人だった人だ。
私が無理を言って、わざわざこの家に来てもらった大事な婿なんだよ。
謙信の事を悪く言うのなら、迷惑だから帰ってくれないか…!」
ぺさんは立ち上がって、話を打ち切ると部屋を飛び出した。
「ソンシル…!」
「上杉さん、どうか娘を返してください! お願いします!」
「…お言葉ですがぺさん夫妻、上杉が極道なのは本当の事ですし、
私もただの入り婿で何の力もござりませぬ。
この上杉家の主人はお嬢様です、本人が納得しない事にはどうにも…」
「そこをなんとか…!」
しかし、こうして実の両親が迎えに来てしまった以上、
この家に残るにしても、実家の事はなんとかしなければならぬ。
「わかりました、本人と話をしてみまする。今しばしお時間を頂きとうござりまする」
私はぺさん夫妻を待たせて、二階の部屋に上がった。
ぺさんは私の腰にしがみついて泣いた。
「帰りたくない、ずっと謙信と一緒にいたい…!」
「ぺさん…」
私は彼女を抱きしめ、乱れた髪をそっと撫でて直してやった。
「私もぺさんとはずっと一緒におりとうござりまする…でもこのままという訳にも参りませぬ」
「ひどい! 私を帰すというのか!」
「…とにかく迎えが来てしまった以上、一度帰って差し上げなければ。
これからもここで暮らしていくためには、ご実家の事はどこかで解決せねばなりませぬ。
承諾を得るにも、絶縁するにも…今がその時だと私は思いまする」
ぺさんは泣くのをやめ、私の顔を見上げた。
「絶縁…それもそうだな。わかった、一度実家に帰って来るよ…。
縁を切って来る、これからも謙信と一緒にいるために」
「私は待ちまする」
「本当か? 話がこじれて長引いても、私を待っていてくれるか?」
私は涙の残るぺさんの唇に唇で触れて笑った。
「…待ちまする、私にはぺさん…そなたしかおりませぬ」
「謙信…! 私も…私もだよ、私は上杉謙信の妻、謙信だけのもの…!」
ぺさんは着替えもせず、財布と薄型電脳小箱だけを持って、両親と一緒に家を出て行った。
その背中を見送りながら、彼女の帰りを思った。
話がこじれているのだろう、ぺさんはなかなか帰って来なかった。
家には甘粕殿と政宗殿が交代で通ってくれ、食事の用意などをしてくれていた。
2週間が経つ頃、私をぺさんの父親が再び訪ねて来た。
座敷に通して甘粕殿にお茶を出してもらうと、彼は唐突に頭を下げた。
「上杉さん、申し訳ないが…娘とは別れてやってくださいませんか」




