第25話 結婚指輪
第25話 結婚指輪
出かける前、薄型電脳小箱で「新婚旅行」について調べてみたら、
画面の中の夫婦が揃いも揃って、小さな金属製の輪を指にはめている事に気が付いた。
さらに調べてみると、これは「結婚指輪」と呼ばれる装身具の一種で、
夫婦が夫婦である事の証しのような物らしい。
私とぺさんの夫婦にはまだ「結婚指輪」はない。
この事を知り、私はどうしても欲しくなってしまった。
この世の「指輪」なる装身具は、女人にとって特別な意味を持つらしい。
ぺさんもこの世の者だ、きっと指輪は喜んでくれるだろう。
指輪は宝飾店で販売されている事も調べてある。
そしてぺさんが眠っている間、こっそりと指に糸を巻いて太さも調べてある。
私は店員に予算と目的、私とぺさんの指の太さを申し、いくつか品物を見せてもらった。
時間はない、予算も限られている。
選択肢は少なかったがその中の一組に目がとまった。
「結婚指輪」とは、装着した上で生活する物なので、
この指輪も例に漏れず、白金の地に彫り物がしてある程度だった。
それでも私はこの指輪に大層驚かされた。
…竹に雀、その指輪は男物は竹を、女物にはつがいの雀を主題としてあった。
これは上杉の指輪だ、まるで私とぺさんのために用意されたかのようだ。
私はもう迷う事はなかった。
その指輪を包んでもらい、支払いを済ませてぺさんの許へと走った。
「ぺさん…!」
そのぺさんは、スーツ姿の知らない男ら二人組と何やら話をしていた。
迎えを頼んだ伊家の者ではなさそうだった。
彼女の顔はいつになく青ざめていた。
「…今さらそう言われても困る、悪いが帰ってくれないか」
ぺさんは男たちの背後に私を見つけると、駆け寄って腕にしがみついた。
「行こう謙信、迎えが来る」
「えっ…あの者たちは?」
「いいから行こう」
私はぺさんに引きずられるまま、百貨店を出て大通りへと出た。
通りには伊家からの迎えが着いており、それに飛び乗るとぺさんは発進を急がせた。
車の中、ぺさんは一言も言葉を発する事なく、苦い顔でずっと黙り込んでいた。
伊家屋敷に戻っても、ぺさんはずっと何か思い悩んでいる様子だった。
日本へ戻る前の夜、吉富殿と直政殿の夫婦は別れを惜しんで、
とっておきのご馳走を用意して、宴を開いてくれた。
宴の間はにこやかにしていても、あまり食が進んでいない…。
「ぺさん、何か悩み事がおありなのでは…?」
荷物をまとめ終えてあとは眠るだけになって、ふとんの中の彼女の隣に並んだ。
ぺさんは私に背を向けて、壁の方向をじっと見ていた。
闇の中に目が動く、まだ起きてはいるらしい。
「…この間より様子がおかしゅうござりまする、どうか謙信にもお話くださいまし。
私たちは夫婦ではござりませぬか…」
私はぺさんの肩にそっと触れた。
その時、ぺさんが突然振り返って私の首筋にしがみついた。
「謙信…今夜は抱いて欲しい」
「ぺさん…?」
「私を抱いて欲しい…いつものようにただ触れるのではなくて」
「いかがされた?」
私は目を白黒させてたじろいだ。
ぺさんは自分の唇を、私の唇に押し当てて貪りながら、寝間着の中を探る。
どうした事だろう、今夜のぺさんはまるで人が変わったようだ。
こんなにも激しい彼女は見た事がない。
「…私を抱いて、私を妻にして…たった一度きりでいい。
私の中に入って来て、私と身体を結んで、お願いだから。
身も心も、私を上杉謙信の妻にして、そうして私を離さないで…!」
ぺさんは私の動かぬ腰にまたがって、自分をただひたすら押し付けるだけだった。
私の頬に涙の粒が降る、ぺさんは泣きながら独り腰を振っていた。
この上なく美しく、この上なく愛おしい女に激しく求められる…。
男としてこれ以上の喜びはないはずだ、なのになぜ身体が言う事を聞かない。
思いは同じ、心は今夜のぺさんにも劣らぬ。
私は涙を流すぺさんの上体を引き寄せ、抱きしめた。
自分の情けなさが悔しくてならない、私もまた泣き、二人で涙を分かち合った。
それが台湾での最後の夜、私たちの新婚旅行だった。
ぺさんの様子がおかしい理由はすぐにわかった。
日本に戻り、同盟を組んでいる組同士の集まりに出た夜だった。
この集まりで「上杉会の上杉謙信」は、上部組織である井上会系の組織以外にも知られた。
「…ぺさん、上杉は結局笑われただけにござりまする」
あの時病院から「上杉謙信」と命名されたおかげで、集まりでも笑いの的だった。
「上杉謙信」の事なので、一生不犯の誓いも当然ネタにされ、
ぺさんの前だと言うのに、あれこれと下衆なからかいまで受けるはめになってしまった。
「気にするなよ謙信。言ったろ、上杉は笑われる事に意味があるって…」
そんな私をぺさんは笑って慰めてくれた。
集まりで夕飯を済ませた私たちは、家に帰ってお茶と果物を縁側で楽しんだ。
いつもの夜だった。
こうして縁側に隣り合って庭を眺め、晴れた時は月や星を愛で、
おしゃべりをしながら、私たちならではの終わりなき遊びが始まるのだった。
夜はいつだって優しく楽しい、でもそれはぺさんとだから。
そんな楽しい時間を、玄関の呼び鈴が破った。
「こんな時間に誰でござりましょう」
「こんな遅くに来るのは、甘粕か安田ぐらいだろう」
「謙信がちょっと出て来てくれないか、私はこの格好だから…」
着衣を乱したぺさんを縁側に残し、返事をしながら玄関の戸をがらがらと引いた。
するとそこには夫婦者とおぼしき、年老いた男女がそわそわとした様子で立っていた。
70歳前後だろうか、女の方は腰がだいぶ丸かった。
「あのう…?」
私を見て、男の方が口を開いた。
男は信玄殿のようなやせ形で、背も高く、姿勢もしゃんとしていた。
「夜分恐れ入ります、私どもは横浜から参りました武本…ペと申します」
「『ぺ』…!」
「…上杉さんですね、そちらで娘の成実…ソンシルがお世話になっていると聞きました」
この老人たちはぺさんの両親…!
間の悪い事に、家の奥からぺさんの声が聞こえて来た。
「どうした謙信、組の者じゃないのか?」
出てきたぺさんは、玄関先の老夫婦を見て固まった。
「ソンシル…!」
夫婦は口々にぺさんの名を呼ぶと、それきり涙で言葉を詰まらせた。
そして、私の横をすり抜けて後ろで凍り付くぺさんにすがりついた。




