第23話 戦国から来た人
第23話 戦国から来た人
「まさか直政殿も戦国の…まこと井伊直政殿にござりまするか?」
直政殿も芝の上にごろんと寝そべった。
太い腹が夕暮れ近い天に向かってうずたかく突き出ている。
「うん、ほんと。超ほんと…俺もね、戦国から来たんだもん。
ほら、関ヶ原の戦いっての? そっから逃げる島津追っかけて、戦ってたらさ、
突然いーさんにやられちゃってさ、そん時ちょうど黒い雨がやって来てね」
「私は関ヶ原の戦いは知りませぬ、無礼ながら井伊直政なる武将も…」
直政殿は声を立ててけらけらと笑った。
「そんなの当然だよ、だってみんなみんな謙信殿の後の事なんだもん…!」
「関ヶ原の戦い」なる戦は、私が春日山城の厠で倒れてから二十年と少し後の事で、
徳川率いる東軍と、豊臣率いる西軍に分かれての大きな戦で、
「天下分け目」の戦だったと、直政殿は教えてくれた。
その戦は東軍の勝利で、直政殿の追っていた島津は西軍側で、
上杉も直接の参戦はしていないけれど、西軍についていたと言った。
そして直政殿は、その発端が景勝である事も教えてくれた。
秀吉殿存命中、彼に付いていた者らのうち、徳川殿が力を持ちだしたとか。
上杉は会津という、新しい領地を口実に越後を追われた後、
うちの景勝が空気を読まずに、新しい領地の軍備を強化していたら、
徳川方に謀反と取られて、挙兵されてしまったのが始まりとか。
「へ、へえ…あの景勝が」
「んでね、黒い雨を見た俺はこっちに飛ばされて来ちゃったんだけどさ、
なんか死ぬまで戻れないっぽい事、いーさんが言ってたよ」
「吉富殿が?」
そういえば吉富殿にも中の名があった…。
「いーさんも同じ黒い雨を見ててね、あっちに飛ばされて来てさ、
いきなり俺を倒して入れ違いになったんだよ。
ま、俺が『戦国から来た人』で、いーさんは『戦国へ行って帰って来た人』だね」
「…私は黒い雨など見てはおりませぬ、きっともう戻る事はないと思いまする」
私はだんだんに赤く染まりながら、流れる雲を見ていた。
きっと直政殿も私と同じ、天の向こうの戦国を見ている。
「俺も戻りたくはないよ…食べ物はなんでも美味しいし、きれいな熱帯魚もいる、
こっちの暮らしにすっかり馴染んじゃったから、何よりいーさんがこっちにいるから」
「わかりまする、ここは私にとって毘沙門天が恵んでくださった世ですから。
何もかもやり直せる、次の世にござりまするから…」
私は起き上がって、手許の姫鶴一文字を直政殿に返した。
「この刀、ありがとうございました…使ってみて改めて驚きました。
姿の割りには重さも切れ味も軽いし、それでいてしなやかで強い。
これは本物を模した本物以上の刀、そう思いまする」
「これ、謙信殿にあげる」
直政殿も何度も転がってはやっと起き上がり、差し出した刀を返して来た。
「大事な物では?」
「こんなの量産品だよ、こっちじゃまるきり同じ物をたくさん作る技術が発達してる。
刃だけ職人につけてもらえばいいだけなんだから。
予備だから当然同じの、うちにいっぱい持ってるよ」
「え…量産出来る物にござりまするか」
「気に入ったならもっとあげよっか、とりあえず予備に10本ぐらいどう?
稽古するのに絶対要るでしょ? いいのはこれから作ればいいしさ」
それから夕食までの間、昼寝から起きて来たぺさんも合流して、
夫婦揃って、直政殿の趣味である熱帯魚の話に散々付き合わされた。
直政殿はこの世で熱帯魚を知り、その魅力に取り憑かれて、
この屋敷うちにも水槽を置くための、専用の大きな部屋を設けていた。
熱帯魚とは実に色鮮やかな魚で、まるで色をつけた作り物のようだった。
直政殿ご自慢の大きな水槽で、たくさんの種類を飼ってあると、
その色彩の豊かさに圧倒されて、私もつい見入ってしまった。
ぺさんは直政殿の繰り言に半ば呆れていた。
「もう、おじいさまは…その話なら何度も聞いたぞ」
「んじゃ、ソンシルは俺が熱帯魚好きになったきっかけ、なんでか知ってるかな?」
「それも知ってる。『コールド・フィッシュ』、おじいさまの二つ名だろ?」
「違うね、あれは最初いーさんの二つ名だったんだよ。
いーさんに似てるって思ったから、熱帯魚は好き」
あまり似たところはないと思うが…?
「『コールド・フィッシュ』とは、どういった意味にござりまするか?」
「『冷たい魚』…感情を表に出さない冷たい人って意味だな。
戦ってる時のおじいさまを指して、外国人がそう言うんだよ」
「俺じゃ熱帯魚とかムリ。最初にそう呼ばれてたいーさんはきれいだったよ。
でもね、当時は全然笑わない人だったから、冷たく見えたんだろうね。
きれいだけど冷たい、いーさんは俺の熱帯魚だったの」
そう頬を赤らめて微笑む直政殿は、本当に羨ましい。
直政殿は私より先にこの世へやって来て、私より長くこの世で暮らしている。
「関ヶ原の戦い」とやらの時に転移させられたのならば、当時まだ若かったはずだ。
一体どうやって冷たい熱帯魚の目を動かしたの、
どうやって吉富殿を、あれほど感情豊かな優しい人にしたの。
時をかければ、私もぺさんとそんな夫婦になれるの?
私たちは熱帯魚の部屋を出ると、風呂に入ると言う直政殿と別れた。
部屋へ戻る途中、扉の開け放たれた部屋に写真が飾ってあるのが見えた。
そこはいわゆる仏間らしく、仏壇が置かれてあった。
写真にはぺさんと同じ年頃の、どこかで見た事のある隻眼の女人が映っていた。
年頃だけでなく、顔立ちもなんとなくぺさんに似ているなと思った。
「ぺさん…」
「ああ、あの部屋は仏間だな…この家には前に娘がいたんだよ。
伊心麗、やっぱり養女なんだけど」
ぺさんは部屋に入ると、仏壇に線香をあげて手を合わせた。
私もそれに習った。
ぺさんは顔を上げて、続きを言った。
「…私がもう一人母だと思う人、彼女がいたから父と母がいて私がいる」
「大事な方なのですね」
「毘沙門天だ、昔は父と母を…今も背中で私を守ってくれている」
それは上杉の家の風呂場で見た、女の毘沙門天だった。
あの刺青の毘沙門天は、この部屋の写真の女人の事だったのだ。
その時、部屋に誰かが入って来た。
「ソンシルに謙信殿…こんなところに」
吉富殿が前掛けで手を拭きながら近づいて来た。
そして彼女も仏壇に手を合わせた。
「シンレイにも報告に来てくれたんだね…嬉しいこと、きっと喜んでいるだろう」
「おばあさま、上杉の父と母はシンレイ母さんと会えただろうか…」
「きっと三人で楽しく暮らしてると思うよ…彼らは三人で夫婦なのだから」
驚いた、この世の夫婦は男女で一組ではないのだ…!




