第21話 同姓同名
第21話 同姓同名
「どうした直政…」
ぺさんの祖母、吉富殿は太った男の様子に気付いて声をかけた。
この男も「直政」という名らしい。
直政殿は吉富殿よりさらに背が高く、とても肥えており自身の贅肉に埋もれていた。
「ああ、きっと戦国武将の上杉謙信と同姓同名だからだよ」
ぺさんは直政殿の出っ張った腹に手を回して笑った。
「おじいさまと同じだ。謙信、なんとおじいさまも戦国の武将と同姓同名なんだ」
「えっ、まことにござりまするか」
「『井伊直政』…だよな、おじいさま?」
「井伊直政…?」
戦国の世にそんな武将があっただろうか…。
井伊の家はあの世にもあったが、直政という武将はいなかったと思う。
「井伊直政…ああ、違う! 日本では井伊万千代直政です! 関東管領さま!
うわ、名前だけじゃなく姿まで似ている! いーさん見てよ、これが軍神だよ!
俺、軍神と直に会っちゃったよ! 軍神と直接挨拶しちゃったよ、超すげえ!」
直政殿はでかい腹の贅肉を波立たせて、吉富殿の方を振り向いた。
「…いーさんとは日本にいた頃、同じ『直政』がきっかけで仲良くなってね…」
「『いーさん』…?」
「あ、『いーさん』てのは、『吉富直政』のもうひとつの名前ね。
こっちの人は外国と円滑にやり取りするために、英語の名前も持ってるんだよ。
だから俺も今は台湾式に『伊直政』、結婚で俺がいーさんの伊家の苗字を名乗ったの。
二人『伊直政』はまぎらわしいから、俺が『直政』で、妻が『いーさん』」
黒塗りの長い車の中で、向かい合った直政殿が言った。
巨大な直政殿は向かいの長い席をひとりで占領していた。
車が揺れるたびに、直政殿の贅肉もぶよぶよと揺れる。
直政殿は戦国の武将と同姓同名とぺさんは言うが、実にこの世の者らしい。
片手で「ジュース」を飲みながら、薄型電脳小箱を太い指で器用に扱っている。
吉富殿は狭くて申し訳ないと、直政殿の様子に苦笑しながら言った。
「ソンシルに謙信殿、台湾訪問は研修を兼ねてとの事だけど…」
「こないだ電話でも話したが、謙信に射撃を練習させてやりたい」
「了解…射撃場はうちの射撃場でいいかな、銃と弾薬は揃えてあるよ。
二人が来るって言うから私たちも休みを合わせた、私が練習を見よう」
「ありがとう、おばあさま」
「謙信殿は戦闘は初めてで?」
吉富殿は私に話を振った。
「槍と刀ぐらいで…恥ずかしゅうござりまするが」
「直政と同じだ、うちの直政も槍と日本刀を使うよ」
「へえ…」
このすがすがしいほどの肥満体で動けるとは。
「台湾にいる間、直政と手合わせしてみては?
直政も久々に稽古相手が出来て嬉しいだろう、私では弱過ぎて物足りないようだし」
「直政殿はそんなにお強うござりまするか」
「直政は本当に強いよ…普段はこんな風にだらしのないデブにしか見えないけれど。
きっと謙信殿も直政にはびっくりするだろうね」
黒塗りの長い車は街を抜けて、郊外に建つ城の敷地内へと入っていった。
城かと思いきや、なんと吉富殿の屋敷だった。
出立前にぺさんが、私たちの宿は吉富殿が自宅を提供してくれると言っていた。
「吉富殿、これはまこと見事な城にござりまするね…」
「もともとは祖父の…先祖代々の屋敷でね、私が継いだのだよ」
屋敷は通りに面した部分こそ、南蛮風に造ってあったが、
車を降りて裏側に案内されると、戸外に露出した廊下のある造りになっていた。
これが台湾式なのだろうか、明国風にも琉球風にも似ている。
吉富殿は二階の部屋まで案内してくれ、荷物を置いたら庭の東屋においでと誘ってくれた。
「長旅でお腹もすいているだろう、お茶と簡単な食事を用意するよ」
「わ、ありがたき幸せ」
「素敵だ、ありがとうおばあさま。実はこれも台湾訪問の目当てだったんだ。
謙信、ここの食事は恐ろしく旨いぞ…謙信などあっという間にころころのデブだ」
ぺさんは嬉しそうに私の耳に情報を流し込んだ。
デブ…私は直政殿に目が行ってしまった。
「あ、そうか!」
「いや、直政は最初からデブだったよ」
吉富殿は直政殿の腹をぽんぽん叩きながら笑った。
「借りた甲冑も、たくさん詰め物しないとだめなくらいぶかぶかだったし。
まあ、私と暮らし始めたあたりから更に太って、台湾でまたどかんと太ったね」
「デブ最高。そのデブの贅肉を一番に楽しんでいるのはどこの誰かな?」
直政殿は吉富殿に冗談で返した。
彼らは見た目には衆道の者らにしか見えないが、実に仲の良い夫婦だ。
私とぺさんもいつかはこういう夫婦になれたらと思う。
良い目標が出来た、これだけでもはるばる台湾まで来た価値があった。
それにしても甲冑とは、台湾のヤクザは甲冑を着けて戦に出るのだろうか。
戦国の世にいた私には、甲冑というと例のあれしか思い浮かばない。
「あの、甲冑て…」
「ああ…直政の甲冑ね。『井伊の赤備え』とか言うけど…。
直政のは特に頑丈に作ってあってね、重かったけどあれのおかげで助かったよ。
さて、お茶の支度しないと…直政、手伝っておくれ」
吉富殿は直政殿を連れて、部屋を出て行った。
ぺさんは荷物を部屋の床に置くと、広い寝台の端に腰掛けた。
「ぺさん、赤備えは武田しかわかりませぬ」
「おじいさまの『井伊直政』は謙信より少し後の人だ、謙信が知らないのも無理はない」
「直政殿は面白い方にござりまするね、『井伊直政』…どのような方だったのですか?」
私もぺさんの隣に腰を下ろした。
彼女は「井伊直政」なる武将について、簡単に教えてくれた。
今川の家臣だった人の子である事、今川に狙われて幼少期を寺で過ごした事、
徳川に見いだされて仕えていたが、最期は関ヶ原の戦いから撤退する島津を追跡中、
たったひとりの乱入者に討たれて死亡した事。
それから「井伊の赤備え」は、井伊が滅亡した武田の遺臣を引き受けたからとか。
「えーっ! 武田は滅んだのでござりまするか!」
「それも謙信の後の話だな…信玄の息子の頃、織田と徳川と北条の連合にな」
「私の後…『関ヶ原の戦い』もでござりまするか?」
「それは私よりおじいさまの方が詳しいだろう、行こうか謙信。
お茶の時間だ、二人が庭の東屋で待っていてくださる」
ぺさんは笑いかけると、寝台からぴょんと飛び降りて嬉しそうに私の手を引いた。
井伊直政…そういやぺさんのおじいさまはどうして、そんな名をつけられたのだろう。
戦国の武将と同姓同名など、苦労するばかりだと言うのに。
私は元々上杉家の「不識庵謙信」だったから、「上杉謙信」でもおかしくはない。
もしかして、直政殿も初めから「井伊直政」だったのではないだろうか…。




