第2話 精神病院の戦国武将たち
第2話 精神病院の戦国武将たち
「上杉謙信」…別の世にやって来て与えられた新しい名は、
奇しくも前に使っていた名とよく似ていた。
そのような酒臭そうな名など…気分が暗くなってしまうではないか。
最初の数日間を個室に閉じ込められて過ごすと、日中だけ広間に出ることを許可された。
だいぶすっきりとした気分だった。
「お、新入りか」
広間に並ぶ椅子のひとつに腰掛けると、隣に座る老人が声をかけて来た。
老人は痩せており、笑う口元には歯がほとんどなかった。
「はい、上杉謙信…にござりまする」
私はためらいながらも、与えられた名を名乗った。
「ああ…あんたが新しい上杉謙信か。俺は武田信玄、よろしく」
「えっ…」
武田信玄とは…?
確かすでに亡くなっているはず…しかもなぜ別人になっているのだ。
生まれ変わりなのだろうか、だが私の知る信玄はここまで長寿ではない。
「そこの丸いおっさんが徳川家康、あそこのでかいおっさんが島津義弘、
床に寝そべっている若いのが織田信長、今来たのが小早川秀秋。
あいつはちょっと問題児だから気をつけた方がいいよ」
武田信玄と名乗る老人は、広間にいる者らを目線で紹介してくれた。
どういう事だろう、やはりここは浄土なのか…?
浄土だから時代を超えて集まれるのだろうか。
「…俺らはな謙信。どうにもならなくて、行き倒れていたところを連れて来られたのさ。
みんなここで新しい名前をつけられて、福祉を申し込まされて、
一生をこの病院で過ごすのさ…逃げようとしても無駄だね」
「信玄殿、それはなにゆえにござりまするか?」
私は素直に彼を「信玄殿」と呼んだ。
彼もまた私と同じようにここへ連れて来られて、
「武田信玄」と名付けられた男なのだ…なんと哀れな。
「それがこの病院の仕事だからさ…俺らは精神障害者という事にされている。
精神障害者にはお上から福祉の金が支給される。
その金を病院が頂いてしまおうという話さ…俺らは美味しい金脈なのさ」
「まことにござりまするか…」
「まあ、ここにいる限り命は安全だから、のんびりするのもいいかも知れんね」
信玄殿は「またな謙信」と言って、部屋へと戻って行った。
確かにこの病院という城は安全ではあった。
まず病院と呼ぶだけあり、医療と看護が受けられる。
供される食事も、どれも目新しく美味ですらある。
寝床も一人に一台の寝台が与えられ、寝具も清潔で不足はない。
広間には書物や絵物語がたくさん置かれてもあり、
囲碁や将棋の道具まで用意されてあった。
私のいた血ばかりの戦国を思えば、ここは極楽浄土だ…。
似たような境遇の者らと寝食を共にし、私はすぐにこの城に馴染んでいった。
戦国武将と同姓同名の者らとの交流で、この世での言葉も文字も覚えた。
暮らしぶりも教わり、だんだんに板について来た。
「謙信」と呼ばれる事にも慣れた。
…私はこの病院という城で「上杉謙信」となった。
「ふーん…謙信はずいぶん習字が上手いんだな、すげえ」
ある日のことだった。
作業療法なる、手を動かす事で心を癒すための時間の折だった。
その日の作業は手習いだった。
あれほど震えて署名もままならぬ手だったのが、不思議と震えは出なかった。
私の文字を見た信長殿がたいそう驚いていた。
「達筆すぎて俺にゃ読めねえな」
「前に習っていたのか?」
島津殿も徳川殿もしきりに感心していた。
「看護士さんが確か、謙信は坊主らしい言ってたな…本職か」
「あ…はい、ここに来る前は僧侶をしておりました。
酒浸りの坊主でしたから、私は『上杉謙信』と命名されたのでござりまする」
「えっ、謙信マジで坊さんなんだ!」
伊達政宗と呼ばれる、右目に傷のある兄さんがそう言って笑った。
「宗麟みたいなもんかな…いやね、前に宗麟てハゲのクリスチャンがいたからさ」
「大友宗麟殿にござりまするか? あのお方とは何かにつけ比べられておりまする」
皆の笑う中、私は伸び放題の頭を掻いた。
ここに来て以来、もう法衣には袖を通していなかった。
病院が用意してくれた、「ジャージ」なるこの世の衣を着ていた。
この世の衣は南蛮風で、身体に合わせて生地が裁断と縫製がされてあった。
帯で身体を締め付ける事なく、とても動きやすく楽なので気に入っている。
名だたる武将たちと過ごす病院での暮らしは、小さいながらも楽しかった。
ただ最初に話をした信玄殿は、あれ以来姿を見ていない。
亡くなった訳でもないらしい。
「あの…島津殿、信玄殿はいかがされたのであろう。
最初に話をして以来、とんと姿を見ておらぬ」
夏の昼食時だった。
隣に座った島津殿に聞いてみると、彼は渋い顔をした。
そして、そっと耳打ちをしてくれた。
「たぶん売られたね…老人はまた別の用途があるのさ」
「えっ…」
島津殿は口を濁し、それ以上詳しくは話してくれなかった。
「あ、上杉さん」
食事を終えて部屋へ戻ろうとすると、看護士なる介護人が私を呼び止めた。
「はい」
「この後3時、上杉さんに面会の方がお見えになります」
「面会…? 私にござりまするか?」
私に会いに来る者はないはずだった。
目が覚めたらこの世に来ていたのだから、同行者は誰ひとりとしてないはずなのだから。
3時になる少し前、看護士が私を迎えに部屋まで来てくれ、
私は病院内の別の階へと、初めて外へ出された。
「…上杉さん、ほんとついてますよね」
階段を下りながら、看護士は意味ありげに笑った。
私はふかふかの長い椅子のある部屋に通され、しばらく待つように言われた。
しばらくその椅子に腰掛けて待っていると、看護士が若い男を連れて入って来た。
本で見た「スーツ」なる上下揃いの衣を着ている。
よく見ると男の胸が膨らんでいる…男ではなく女だったのか。
「私は上杉成実(うえすぎなるみ)と言う、上杉謙信だな?」
「はい…上杉謙信にござりまする。しかしながらそなたも上杉とは奇遇な…」
「同じ上杉だからだ、お前は私が引き取った。
手続きはもう済ませてある、今からお前を一緒に連れて帰る」
「私をお買い上げになられたのでござりまするか」
信玄殿のように。
「それは違う、金で取引はしておらぬ」
「それでは私をいかが致すおつもりか、そもそもそなたは一体…」
「謙信…これからはそう呼ばせてもらうが、私はお前の妻だ」




