表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/59

第19話 下戸の集団

第19話 下戸の集団


山本殿は隣で、「ビール」なる泡立った黄金色の酒を揺らしながら続けた。


「俺たちはそれでいいんだよ…弱そうに見えれば見えるほどいいのさ。

馬鹿にされれば馬鹿にされるほどいいのさ」

「山本殿、それはなにゆえにござりまするか?」

「…そりゃあ、それが上杉の家だからさ」


同じ卓に座る上杉の幹部らと新人の政宗殿は、にいと笑った。

会場には大勢の芸者が揚げてあり、そのうちの一人が酒を勧めに近づいて来た。

この世の芸者は天女のようだ、でも私にはぺさんが一番美しい。


「私は飲めませぬので、どうぞ他の方に…」

「俺もこれで最後だ」


山本殿も酒を断った。

芸者は他の客の許へと去ってしまった。

気付けば上杉の者は誰も酔うほど飲んではいない。

山本殿の「ビール」だって、乾杯の時のままお替わりどころか減りもしていない。


「あの、皆様お飲みにはなられぬので…?」

「酔うほど飲んではならぬ、それが上杉の掟…て、三代目の時からでしたよね?」


宇佐美殿が丸い頬をより高くして笑いかけた。

信玄殿も水を片手に食べるばかりだった。


「私らは情けなくも下戸の集団らしいね。

ついでに淋しい童貞の集団にでも思ってくれると、実にありがたいね…」

「ど…?」

「あ、俺ガチで童貞すよ? 女はマジで知らないす」


甘粕殿がにやにやしながら手を小さく挙げた。

政宗殿もにやりとし、鼻息を荒くして得意げに言った。


「甘粕さんの理屈だと、男しか知らない俺も童貞すね」

「私もさすがに女は知らないから、童貞になるな…」

「んじゃ、上杉はシャブも御法度だから…俺はシャブの童貞で。山本さんは?

さすがに山本さんほどになると、知らない物はないかも」


ぺさんも宇佐美殿もそれに同調した。

山本殿は傷跡だらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。


「俺? 俺は上杉に来てからは負け童貞だな…な、武田さん」

「そうだね、上杉のいた井上会とは、何度も勝ち負けを繰り返していたからね」

「ん? 信玄殿と山本殿は、敵だったのでござりまするか? やはり武田だから?

「すごく、すごーく敵対してたねえ…あの頃は」


信玄殿がこの家の始まりを教えてくれた。

上杉の家を作った初代とは、昔は敵同士だった事。

山本殿はその時の部下だった事。

仕えていた家が潰され、路頭に迷っていたところを初代に拾われ、

山本殿を加えて、皆で新しく上杉の家を作った事。

上杉のあの光あふれる庭も、その時からの物である事。


「詳しくは会社に置いてある組の記録、『甲陽軍鑑』に書いてある」


ぺさんが山本殿の反対側から耳打ちしてくれた。


「『甲陽軍鑑』…!」

「いやね、武田さんがずっとつけてるもんだからさ…細かいんだよ。

父も母も『武田は細か過ぎる』て散々言ってたし」

「記録係は最初からずっといる私が適任だよ。

現役を退いた今ならなおさら、出社した時に報告を受けながらだね…」


今日の事はもちろん「甲陽軍鑑」に記され、後日それを読んでぎょっと驚いた。

何から何まで書き漏らしのない、信玄殿の記憶力の良さも見事だったが、

文字も美しい筆跡で、きちきちと細かく書き込まれてあったのだ。

それだけでなく、信玄殿の所見まで書き添えられてある。

この「甲陽軍鑑」によると、私は「童貞の中の童貞」らしい。


会長に就任はしたものの、通院日や断酒のための集まりがあるので、

私は朝から夕方ぐらいまで会社に行き、宇佐美殿から仕事についていろいろ教わった。

特に「パソコン」なる、情報を管理する道具には参った。

事務仕事のほとんどが、これひとつで済んでしまうとは…!

春日山城にもあったならば、大幅な経費削減になったことであろう。


ぺさんも私と一緒に会社に通い、会長の仕事を手取り足取り教えてくれた。


「謙信のおかげで、私もようやく姐の仕事に専念出来そうだ」


書類の書き方を教えながら、ぺさんは楽しそうに言った。


「ぺさん、姐とは何にござりまするか?」

「姐とは組長や会長の妻…つまり戦国で言う正室や北の方の事で、

奥向きの事を取り仕切る役目があるのだよ。

今までは娘の私が会長職と姐を兼ねていたから…」


そうだった、私と結婚するまでのぺさんは当然独身だ。

そして女人だから、姐の仕事も兼任せねばならなかったのだ。

私は練習をする手を止めて、彼女の手を取った。

妻とはなんと守りたくなる生き物である事よ…。


「それは仕事が重うござりまするね…でもこれからは私がおりまする。

ぺさんの負担をこの謙信にもお分けくださいまし、そのための結婚にござりませぬか」


私はぺさんの役に立てる…彼女の負担を引き受ける事が出来る。

この時私は初めて、会長に就任した事を嬉しく思った。


「そういやぺさん、紙切れを綴じたこの綴りは何にござりまするか?

『破門状』、『絶縁状』とただ事ではござりませぬ」


私は机の一番下の引き出しで見つけた綴りについて、ぺさんに訊ねてみた。


「ああ…これはだな、他の組から送られて来た物だ。

極道の世界では破門や絶縁をすると、こういう知らせをはがきを送って回すんだ」

「なにゆえにござりまするか?」

「破門や絶縁をした者と一切の関係を持ってはならぬ、それが掟だからな」

「破門と絶縁はどう違いまするか? 難しゅうござりまする」


綴りをよく見ると、破門と絶縁、除籍の三種があり、

破門と絶縁は黒文字だったり、赤文字だったりとまちまちだった。


「除籍は本人の意向を組が認めた引退、黒文字の破門は復帰の可能性のある解雇…。

これは組を守るために、本人と合意の上で行う事もあるな。

それ以外、赤文字の破門と文字色問わない絶縁は追放だ」

「ふうん、厳しゅうござりまするね…上杉の家でもこのような書状を送った事が?」


私はどきどきしながらぺさんに聞いた。

実を言うと、人材の管理は最も苦手としていたからだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ