第14話 甘粕の事件
第14話 甘粕の事件
食事の後、甘粕殿は私を車に乗せてまた走り出した。
「謙信、お前上杉会の会長になるんだよな? なら俺の上司になるはずだ。
『ホストクラブ上杉』…俺の仕事を見て知っておいて欲しい、どんな事をしているか」
「はい…わかり申した」
車の運転席にはたくさんの計器がついているのを、昼間に見ている。
真っ暗な車内に、その計器を見るための灯りだけが妖しく光っていた。
「さっきの話だけど…謙信さ、お前入会したら俺と組んでみないか?」
「ぺさんが私には宇佐美殿を教育につけると聞いておりまする」
「それは新入り研修の話だろ、その後だよ。
もちろん会長としての仕事が始まるだろう、同時に何かしのぎもしなければ。
上杉会はそんなに大きな組じゃない、武田さんにも姐さんにも担当のしのぎがあった」
「甘粕殿、どうして私なのですか?」
甘粕殿はふふと笑った。
目的地に着いたらしい、甘粕殿は車を停車場に停めた。
「『上杉謙信』って言うぐらいだ、お前女は知らなくとも男は知っている…そうだろ?」
甘粕殿はひざの上に置いた私の手に、自分の手を重ねた。
「…それは甘粕殿もでござりまするか?」
「俺はゲイだよ、お前の言う衆道の者…男色の世界は体験したやつにしかわかり得ない。
これから行く『ホストクラブ上杉』は、ずばりゲイ向けの店だ。
だから俺は謙信を相棒に欲しい、姐さんは俺が説得する」
なるほど、甘粕殿の妙な色気の正体はこれか…。
「確かに私も衆道はたしなんでおりましたが…でもそれはあくまでもたしなみの話」
「それは頼もしいね…ところで、俺が『ホストクラブ上杉』以外に担当している、
ソーシャルゲームの事なんだけど、『戦国』が主題なのさ…。
謙信、お前には客として潜り込んで動いて欲しい。どうか考えておいてくれ」
甘粕殿は私の耳に唇を寄せて、ささやくように言った。
…甘粕だけに実に甘いささやきだ、前の世の私ならば放ってはおかなかっただろう。
私は美しい少年を好んで側に置いてはいたが、彼のような大人の男も嫌いじゃなかった。
でも今はそれも昔の話、この世の私には妻がいる。
生涯不犯を誓った私には不本意な縁だったが、ぺさんは素晴らしい女だ。
彼女もこの世の暮らし同様、毘沙門天からの贈り物なのだろうか。
そうである事を切に願う。
甘粕殿の経営する「ホストクラブ上杉」とは、大変にきらびやかな世界だった。
狭い、扉だけの簡素な玄関を入ると、暗めの落ち着いた照明に、
装飾の多い贅沢な調度、見た事もないような珍しい生け花が出迎えてくれた。
「あ、オーナー…!」
黒いスーツの従業員が甘粕殿に気が付き、近づいて来た。
甘粕殿は彼に私を紹介した。
「…上杉謙信? 戦国武将の?」
やはりここでも「上杉謙信」という名はお笑いの種らしい。
偽名だと思われただろうか。
「俺もそう思ってたけど、本名なんだよ…謙信はうちの姐さんの旦那だ。
俺の上司になる男だから、粗相のないように頼む」
「えっ…そうだったんですか、わかりました」
甘粕殿は従業員に座席の空きを確認し、私を奥の個室へと案内してくれた。
そこは調度も装飾も一層豪華な空間となっていた。
彼は車で来ているからと、「ジュース」なる飲み物を注文し、
それから誰かよこしてくれと頼んだ。
「ジュース」はすぐに届き、酒ではないからと勧められるまま飲んでみると蜜柑の味がした。
どうやら果物の絞り汁の事らしい。
「失礼いたします」
部屋に甘粕殿より少し年下の男が入って来た。
長めに伸ばした明るい色のさらりとした髪が、この空間同様にきらびやかな男だ。
高そうなスーツを着込んでおり、頭のてっぺんから爪先までよく磨き込まれてある。
あの世の上杉家中で言うところの北条三郎、養子の景虎のような存在だろうか。
「謙信、うちのナンバーワン…筆頭だ」
「政宗にございます」
「…政宗!」
「伊達じゃないす、菊川政宗す」
政宗とは…確かぺさんが言っていた「伊達成実」のいとこ!
「接客をする者は大体、本名とは別に源氏名をつけるのだが…。
政宗はよくある名前だし、そのまま源氏名にも使えるから本名を名乗っている」
甘粕殿が「政宗」の由来を教えてくれた。
「そうにござりまするか…実はうちにも伊達じゃない成実がおりまする」
「政宗はもうすぐ35になる、接客から引退して店の経営に回ってもらう事になっている。
そうなると謙信ともやりとりする事も出て来るだろう」
「あ、それは…何卒よろしくお願いいたしまする、政宗殿」
「こちらこそよろしくお願いいたします、上杉さん」
私と政宗殿はお互いにお辞儀をし合った。
「さっき話したソーシャルゲームの件だけど、実は政宗にも一枚噛んでもらっているんだ。
政宗も客として忍んでいる、姐さんの許しがおりて謙信がもし組んでくれるなら、
この政宗の対抗馬として動いて欲しいんだ…」
その時、部屋の外が急に騒がしくなった。
「何事だ?」
「俺が見て来ましょう」
政宗殿は部屋を出て行ったものの、すぐに戻って来た。
「甘粕さん、またあいつらす」
「…仕方ねえ、俺が行こう」
甘粕殿は政宗殿に私を頼んだが、私は厠に立つふりをして様子を伺った。
彼らの話を聞いていると、甘粕殿のこの店の客引きと、
「真田組」という先方の店の客引きは、しょっちゅうもめており、
今夜も縄張りをめぐって争っているらしい。
「悪いが今夜のところはもう帰ってくれないか、営業の邪魔だ。
話の続きは日を改めて聞かせてもらいたい」
甘粕殿は彼らを帰そうとした。
「そうかい、それじゃ上杉によろしく…」
敵が甘粕殿の肩を叩いたかと思うと、甘粕殿はその場に崩れた。
客がひときわ高くどよめく。
彼の腹には小刀が立てられてあった。