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09「傭兵団」

 リュチカはあらゆるものを喰い尽くす飛蝗が人間の形をとって村に舞い降りたとしか思えなかった。


 ざっと見て四十はくだらないであろう荒くれ者の一団が荒れ狂っていた。


 広いとはいえない村々の路地にまで馬を乗り入れ、ところ構わずあたりの家屋に押し入ってわずかな食物や年若い女たちを片っ端から略奪しはじめていた。


(いったい、なにが起こっているのというのです)


 正規兵ではない。装備はまちまちだし、身に纏っている空気や所作は匪賊以外には考えられぬほど下劣で目を覆いたくなるような野蛮さだった。


 昼日中だというのに肩に抱いた村の女をその場で押し倒してことをなそうというさまは畜生ですら目を背ける品性の欠如だ。


 リュチカは今朝方まで平穏を保っていた村が一瞬にして阿鼻叫喚の地獄に切り替わった異常な格差にめまいすら覚えていた。


「お、おやめください。それはうちの息子の嫁で――」

「すっこんでろや、ジジィ」


 数少ない男衆が出稼ぎに出ていることも相まってか村には中年以降の男しか存在せず、突如として現れた無法者たちの抑止にはなりえない。


 それをわかっていてか、山賊のような髭だらけの風貌の男は獣欲を露わにして止めに入る老爺の腰を蹴りつけた。


「なんということを」


 尻餅を突いて呻く老爺を抱き起こしてリュチカが目を剥いて叫ぶと、戦果を確認し合っていた男たちが口笛を軽やかに吹き鳴らした。


「こりゃあ、掃き溜めに鶴ってやつだ」


「土臭ェ女ばかりとか思ったが、中々どうして上玉じゃねぇか」


「仕事の前に腰を軽くする相手は是非ともお嬢ちゃんに願いたいね」


 男たちは肩を怒らせながらリュチカによると無造作に手を伸ばしてきた。


 リュチカは義憤に燃えて頬に朱を走らせると、ぬっと伸ばされた毛むくじゃらな男の手をしたたかに打ち据えた。


「恥知らずな盗賊たちよ。この村のものに手をかけることはサロスウルフ族の名に懸けて断じて許しは致しません。わずかでも自尊心があるならば、早々に立ち去りなさい――!」


「ああん?」


「こちとらやさしくしてたら調子に乗りやがって……!」


「おぼこ娘だからって、もう加減なんぞはしてもらえねぇと思えや」


「そうしたのはおまえだからな、お嬢ちゃんよう」


「放しなさい――ッ」


 激しく叫ぶリュチカのい態度など歯牙にもかけず、黒山のように集まった男たちは四方から手を伸ばしてたちまちにリュチカの自由を奪うと戦利品のように担ぎ上げた。


 サロスウルフ族は亜人の中でも剽悍で膂力は人間よりもはるかにすぐれている。


 リュチカも並みの男などよりかはずっと力はあるのだが、数の暴力には勝てず神輿を揺するようにして衆の頭上へと担ぎ上げられた。


「あら。ずいぶんと楽しそうなことやってるじゃないの、アンタたち」


 リュチカが逃げようとがむしゃらに腕を振るっていると、前方から低く威厳のあるどっしりとした声が響いてきた。


 それは巨躯の男だった。

 年の頃は四十前半だろうか。


 ロボと同じくらいに背が高く二メートルは超えていた。上等そうな鹿皮を背負い灰色の分厚い上下を着込んでいた。


 腰には地に着きそうなほど長い剣を帯びていた。顔は異様に浅黒い。日々戸外を駆けて日光に焼きついた労働階級の色合いであるが、力強く精悍で一種の風格すら漂っていた。


「レディにはそれ相応の対応ってもんが必要とされるのよ。降ろしてあげなさい」


 口調はどこか女性的なものを思わせるが言葉に込められた意思は別格だった。


 荒くれものたちは男の声を聴くなり従順な猟犬にも似た動きでリュチカを地上に引き下ろすと「これでいいのか?」と機嫌を窺うような目をして石のように黙りこくった。


「あなたがこの野盗たちの親玉ですか」


「あらん。野盗の親玉とはずいぶんないわれようじゃないの。アタシたちはご覧のとおり領主子飼いの騎士ではないけれど、それなりに名の知られた傭兵なのよ。北方で名を馳せた黒鷲傭兵団。アタシは団長のヨシフ・スタルニコフ。お嬢ちゃんの名前は?」


「リュチカです」


 筋目の正しく礼儀作法を叩き込まれて育ったリュチカは相手が名乗ればたとえ下司な賊であろうと名乗らずにはいられなかった。


「ふぅん。この数の男たちに囲まれて一歩も引かないその度胸。この村の有力者の親族ってところかしら? なら、安心おしよ。アタシたちは用さえ済めば。とっととこの村か出てゆくつもりよ。ま、その間数日程度はお世話になるけど。我慢してね。黒鷲傭兵団にイイ顔をしておけば悪いようにはしないから」


「傭兵たちがこの村にどのような用があるというのですか。白々しい。そもそもここにはあなたたちが望むような財物はカケラもありませぬ。この冬場、食うに困った傭兵たちがもっともらしい理由をつけて押し入ったのであるならば、ただの賊となにが違うのであるか聞かせてもらいたいものです。さあ、わたしの話が理解できたのならば、攫っていった村の女たちを解放してとっととこの村から立ち去るのです」


「攫った女? ――オイ、野郎ども。アタシは物資の補給は許したが女をかすめ取っていいと許可を出した覚えはねェぞ!」


 ヨシフはそれまで薄ら笑いを浮かべていた顔を急に引き締めると、部下たちに視線をぐるりと巡らし無言で命令を下した。


 ほどなくして。村の娘たちに手を出そうとしていた八人ほどの男たちがう後ろ手に縛られヨシフの前へと頭を並べた。


「いったはずだよな。アタシの命令に逆らうことは許さないと――やれ」


「へ、お頭。おれたちはなにも女たちにツッコミをかけようとしたわけじゃなくて、ただ酒の酌でもさせようかと」


 ヘラヘラと笑って誤魔化そうとする男の首は、すぐ後方に並んでいた男たちが素早く剣を振るって落としていった。


 鈍い音が鳴って肉に刃の黒が埋め込まれると、男たちの低能そうな頭は地面に転がってあたりを朱色の池で染め上げていった。


「アタシは女を襲うのが悪いといってるわけじゃねぇ。アタシの命令を守らないやつは、黒鷲には必要ないって常々いってんの、もしかして冗談に思ってたのかしらァ」


 都合八人の男の命があっさりと目の前で絶たれるのを見て、リュチカは酷く蒼ざめた顔で呻いた。


「さあ、リュチカお嬢さま。これでアタシたちが、ただ単にこの村を荒らしに来たってわけじゃないことを納得していただけたかしらん」


「仲間たちの命を軽々しく奪って……いったいなにが望みというのですか」


「決まっているじゃないの。知らないとはいわせないわ。この数日で領内に悪名を轟かせた漆黒の魔獣こと“銀月”の首をアタシたちはいただきに来たに決まってるじゃない」






 上等とはいえなくてもいつもは楽しい空気が満ちあふれている自分の家が、こんなにも昏くてジメついた空間になるだなんて――。


 リュチカはヨシフと黒鷲傭兵団の男たちによって、半ば連行されるようにして自らの家を案内するハメになっていた。


 家にはもちろんロボがいたが、寒さと疲労から来る腰痛と神経痛に起き上がることもできずただひたすら吠えるに止まっていた。


「うるさいお爺ちゃんねェ。アンタたち、話し合いの邪魔になるからご老人には黙っていてもらいなさい」


 ヨシフは部下に命ずると仰向けになって毛布にくるまっていたロボの口元に布きれを突っ込み、全身はがんじがらめに縛りつけて動きを封じてしまった。


 権左不在の亜人村は今や理解不能な黒鷲傭兵団たちに占拠されてしまっていた。


 団長であるヨシフは碁盤のように真四角な顔に垂れた真っ赤な前髪をうざったそうに掻き上げながらまるで自分がこの家の主人であるといわんばかりに、どっかりと絨毯の上に腰を下ろし、リュチカに有無をいわせず用意させた酒肴に舌鼓を打っていた。


「ん。中々いいお酒じゃないのォ。やっぱり寒い土地柄ではこういう強ーいお酒を流し込まなきゃやってらんないわよねん」


(ああ、そんなにガブガブと水を飲むように。このお酒はゴンザさまのために用意したのに)


 リュチカは胸の中に燃え上がる怒りの衝動を押さえながら、心を殺してヨシフに給仕を行っていた。


 権左に対しては嬉々として奉仕を行っている彼女であるが、それは相手による。好ましいと思う男性と無理やり押し入って来た男が相手では手つきや表情に格段の違いがある。


「と、まぁご馳走になってるだけじゃ悪いから、そろそろ本題に入りましょうかぁ」


「それよりも銀月という魔獣が隣村を襲ったという話は本当なのですか?」


「嘘じゃないわよ。実際にアタシもこっそりと確認してきたわ。あれはホントに壊滅状態ね。いくさでも百を超える死者などそう簡単に出ないのだけれど。ちょっと驚きよん」


(怪しいです……)


 ヨシフがいうには黒鷲傭兵団はここ何日か領内を荒らし回っている銀月という異名を冠せられたバグベアという巨大なクマ型魔獣を追っていたらしい。


 銀月とはその名のとおり、全身真っ黒な毛並みを持つクマの額に浮かんだ銀毛がちょうど月のように見えることから呼ばれはじめたというのが由来らしい。


「貴族たちの領地を荒らし回る奇怪な大グマよ。大きさは並みのクマの三倍は超えるだろうその魔獣を領主の騎士より先んじて仕留めれば、殿さまからいかようにもお宝を巻き上げることができるわ。なにせ、騎士たちはアタシら傭兵と違って名誉がすべてなのよ。騎士たちは万が一にも、流れ者であるアタシたちに手柄を奪われるなどあってはならない。銀月の首の値はきっと天井知らずになるわ……!」


 この男のいうことはどこまでも信が置けない。かといって欲得だけで動いている集団が亜人村のような僻村をここまで勿体つけて略奪を行うとは思えない。


 半ば忌避されるようにして周囲から情報を隔絶されていたリュチカたちにとってこのような事態が知らぬ場所で起きていたとしても格別不思議ではないのであるが、そのことと傭兵のいうことが信ずるに足るかどうかはまた別問題であろう。


「で、いろいろとここいらで情報を収集していたときに、この亜人村で役に立ちそうな男がいるって話をルタンペックの街で聞きつけたワケ」


 リュチカは反射的にボトルを持つ手を硬直させた。


 目敏いヨシフがそれを見逃すはずもなく、予想通りの反応が引き出せたことに満足し、薄い唇を狡猾そうに歪めた。


「ここのところ、やたらと亜人村で良質な毛皮をとる猟師がいるって話をね。リュチカお嬢さま。このショボい村にいるのでしょう。なぜだか理由はわからないが、特別な腕っこきの道案内にぴったんこな猟師が。


 アタシも街でその男がとった毛皮を見せてもらったのだけど、剥ぎ方ひとつとっても一流ね。惚れ惚れしちゃう。この村に来たのは、銀月の襲撃ルート内であったってのもそうだけど、もうひとつはその謎の猟師ちゃんなのよ。見たところ、そういった風情のある男自体見当たらなかったけど、彼氏はいつごろ山から下りてくるのかしらん」


「いえません」


 リュチカは感情を押し殺して平静な声音で告げた。


 この傭兵はそんな危険な仕事に権左を駆り立てようとしているのだ。


 確かに一村を壊滅状態に追い込むような魔獣はできうることならば討滅したい。


 だが、それはリュチカの関係のない場所と人間によってだ。


 彼女は幼少期からの繰り返されるいくさで一族をほとんど失ってしまいた。


 今や彼女に仕えるものといえば歴戦の老将であるロボくらいなものだ。


 銀月による食害によって失われた領民の命は確かに不憫であったが、そのことよりも権左の命に危険が迫るということのほうが怖かった。


 ――もう、誰も失いたくはない。


 魔獣から命を助けてもらったという数奇な縁で出会った権左であるが、リュチカにとってはこの数ヶ月の間にもはや何者にも代えがたい、強い情が生まれていた。


「あらん。おかしいわねん。今、アタシの耳にはいえないっていったように聞こえたわん」


「いえないといったのです」

「ふぅん。案外と強情なのね、アナタって娘は」


 ふざけていたような口調だったヨシフの声質が一段階落ちて、腫れぼったい目蓋の下に覗いていた瞳がスッと細まった。


「ヨシフさま。身体に聞いてみやすかい」


 リュチカの背後に立っていた男たちが冷徹な声を出す。同時にそれを聞きつけたロボが猿轡をかまされたまま、必死で暴れ出した。


 カマキリのように痩せこけて鋭角的な顔立ちの男が長い腕を伸ばしかけている。


 リュチカは男の瞳になんの感情も浮かんでいないことを悟って腰を浮かしかけた。


 情欲を抑えかねての行動ではない。


 ただ冷徹にリュチカから情報を引き出すための策としてこの男は提言したのだ。


「やるだけ無駄ね。アタシってば、こーいうお固い娘をねン。無理やり押し倒して泣き喚くのを見るのも好きなんだけど、そうしたところで男の居場所を吐きはしないでしょう」


 ヨシフのいうとおりリュチカはこの男たちにどんな凌辱を受けても権左の行方を教えるつもりは毛頭なかった。


 だがあの青年はこの村の窮状を見てしっぽを丸めて逃げ出すような臆病者ではない。できうるなら、彼が山から下りたとき、単独で傭兵たちを排除するのではなく街の衛兵にこのことを伝えてくれるよう祈るしかない。


「けれど、それでは――」


 カマキリ顔の男が不満そうに唇を尖らせる。


「だからね。アタシは聞きたいことがあって、相手が強情っぱりだった場合、本人に問い質すなんて無意味なことはせずに、すぐ近くの人に聞いて回るのよン」


 ヨシフは立ち上がると縛られたまま身悶えしているロボの前に移動した。それからすらりと前置きもなく抜き放った長剣をなんの迷いもなくロボの膝頭へと埋め込んだ。


「なにをするのですか――ッ」


 ロボは両眼を見開くと猿轡から声にならない絶叫を漏らした。


「うーふふ。お爺ちゃぁん。あなたのお孫さんが聞きわけないからこういうことになるのよン」


 ヨシフは悶絶するロボがうーっうーっと無理やり悲鳴を押し殺しているの目にすると、愉悦に染まり切った表情で楽しげに、ずぶりずぶりとさらに奥へ刃を埋め込んでゆく。


 痛みの余り蹴り出された毛布は乱雑に乱れ、ロボの脛のあたりにまで染み出した真っ赤な血が暖炉のゆらゆらと揺らめく火に映じて怪しく光っている。


「痛い――? 痛いでしょう、お爺ちゃん。でもねぇ、我慢は身体に毒よン。あなたがいい声で鳴かないとリュチカお嬢ちゃんが心を開いてくれないでしょう。んん。ホラ、あんたたち。さっさとお爺ちゃんを話せるようにしてあげなきゃ。ンもう。ホンッと勘どころの鈍い子たちなんだからぁ」


 ヨシフの命によって部下たちがロボの猿轡をはずした。


 リュチカは唸りながらヨシフに掴みかかろうとするが、背後から両肩を男たちに押さえられその場を一歩たりとも動くことができなかった。


 ロボは青ざめた顔で眉間にシワを寄せたまま冷汗を額にビッシリと浮かべている。


「なにかしらぁん。いいたいことがあるならスパッと教えてくださらない」


 ヨシフはもはや無抵抗な老爺に与える無慈悲な責めのよろこびを隠そうともせず、耳に手を当ててロボの口元に近づけた。


「ちょうど……膝が痒かったところじゃて……年寄りを気遣ってもらって……すまんの」


「タフな殿方って好きよン」


 ぺろぺろと爬虫類のような目をした男が長剣をロボの膝にずいと押し込むのが見えた。


 リュチカは声にならない声を発しながら前に出ようとするが、今度は背中から幾人もの男たちに伸しかかられ床に引きずり倒された。身動きはさせない。この残酷なショウをもっともよい位置で観覧していただこうという野卑な男たちのささやかな気遣いだった。


「やめて――やめてくださいっ」


 ロボが苦悶の表情で呻き声を上げる。リュチカの視界涙で滲み切って歪んだ。なんとか少しでも前にゆこうと必死で腕を伸ばそうと渾身の力を振り絞ったとき、入り口の扉が轟音とともに蹴破られた。



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