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07「漆黒の魔獣」

 権左たちが住まう通称「亜人村」と呼ばれる地域からそれほど離れていない場所にリューペック村はあった。


 この地方の領主であるラランド公爵が直轄地とする数百カ村のひとつであり、領土の中で北端に位置するルタンペックの街まで徒歩で三日ほどの距離だ。


 亜人村がこの夏、各国の戦争難民を貴族の責務として受け入れて作られた急造的なものとは対照的に、リューペック村の歴史は古い。


 遡れば三百年前からあり、当然領主である侯爵が封ぜられるはるか昔から存在していた。


 戸数は百を超え村民の数は五百余のちょっとした街ほどもある大きな村である。


 付近一帯には幾重もの清涼な渓流が存在しており平坦に広がる大地は耕作に適しており、ラランド領が他国へ主力として出荷する果樹園などもあった。


 農夫たちは何世代にも培って養われたノウハウで土地を耕し領地の中でも比較的豊かな部類に入った。


 深い積雪に悩まされる欠点こそあれ、越冬の季節において男たちはあたたかい南の地で出稼ぎに出るというルーチンが完成しており飢えには苦しまされず生きてきた実績があった。


 村に残された女子供たちは冬季に備えて山に入り、入会地で薪を拾い集めて蓄える。


 少ない食料を食い延ばして出稼ぎに出た男たちが戻って来る春を待つというのが幾世代にも渡って重ねられてきた「道」であった。


 例外として彼らリューペック村の人間は山に入って猟をすることはあまり好まれなかった。


 なぜなら例外なく、奥深い山々には凶悪な魔物が住んでいたからだ。


 土地の北端にそびえるフルカップ山には確かに山の恵みは多数あったが、それと同程度に危険も存在した。


 深い山に分け入らなければ日々に必要な薪や木材は近くで手に入れることができる。


 山の奥地を闊歩する獣たちは、日々タンパク質に飢えている村人たちにとって垂涎の的であったが、このあたりの川では真冬でも魚を取ることのできる場所があったので、それほど危険な山に固執する必要性がなかったともいえた。


 ――近頃、亜人村では山に入って獣をとっているらしい。


 リューペック村の人々は、他領から来た馴染のない寄せ集めの村に住む隣人たちを蔑み半分と、もう半分は羨望混じりにそういって噂をしていた。


 彼らは不思議なくらい山を厭う人々であった。


 狩猟という行為そのものがこの地方に住む村々の禁忌であり、それを容易く破ってしまう隣り合う「異物」たちを困惑と嘲りと嫉妬の混じった視線で眺めていたというのが本音だった。


 こういった村々にも禁忌と知りつつ猟を行う一定数の人間は存在した。彼らは村人であっても、村からはやや離れて暮らし独特の生活を保っていた。


 日本でいう戦前まで存在していた「サンカ」に近い回遊的職能民の一種であろう。


 彼らは農耕牧畜を営む正常な村人の目をさけるようにひっそりと猟を行い定期的に街で毛皮や肉を売買するおかげで、皮肉にも金銭的には富裕な階級であった。


 村人たちに頼まれれば山野を彷徨し作物を荒らす害獣や、他領から侵入する匪賊を討ち、その収入で生計を立てた。


 古来よりロムレスの大陸で湧き起った「冒険者」という集団の発生源が彼らであるという説もある。


 ともあれつましく暮らしていた農夫たちであったが、異変はとある朝起こった。


 男はリューペック村に住む極めて平均的な一家の主人だった。


 常時であるならば、冬季には村を出て遠隔地で漁労を行い、雪に閉ざされた間の出稼ぎを行う予定であったのだが、秋口に腰を悪くしていたためたまたまに村に残っていた。


 男は四十代前半と働き盛りで、今年も冬の間ガッツリ稼いで妻や子たちに少しでもいい暮らしをさせようと思っていただけに、今回の身体における不調は痛打であった。


 リューペック村が権左たちの住む亜人村よりもマシとはいえ、冬季におけるこの地方の寒気は想像を絶する。


 男は昨晩の畜舎における農耕馬の嘶きが気になり、まだ朝が明けきらないうちに寝床を出てきたのだった。


 男は馬を二頭、牛を一頭持っておりそれだけは密かな自慢でもあった。


 街から離れた村では牛馬の不調に気づいても馬医者を呼ぶのに日数がかかってしまう。


 男が汗水たらして得た牛馬たちはそれこそ金穀に代えがたいほど重要な財産である。


 万が一にでもなにかがあってはいけないと、逸る気持ちを押さえて畜舎に向かった男が目にしたものは、無残にも破壊された板塀とバケツでそこら中に撒いたような血の海であった。


「あ、あ、あ。なんで、こんな――」


 人間、強烈な精神的ショックを受けると時間が飛ぶものだ。男が正気を取り戻したのは妻や子が駆けつけて狂ったように泣き叫ぶ声によってだった。


 男の家は村はずれといっていい場所であったが、一応は周囲を柵に囲まれている。


 無法者たちが横行する世界だ。男がまず第一に考えたのは、食い詰め者たちが畜舎を襲って牛馬を解体したのだろうと考えた。


 が、間もなく押っ取り刀で駆けつけてきた古老たちにそれらは否定された。


「こいつはクマの仕業だ」


 畜舎は冬季の激しい風雪に耐えうるように、特に頑丈な木で拵えてあったのだが、入り口はまるで巨人が飴細工をへし折るように壊されていた。


 なによりも二頭の馬と一頭の牛が皮一枚残さず平らげられていることと、決定的だったのは現場に残された幾つもの太い漆黒の毛であった。


 今回はたまたま襲われたのが畜舎であったからよかったものの、これに味を占められて何度も村を襲われても困る。


 リューペック村の村長は素早く村内の猟師八人に充分な手当てを与えると、壊された柵の方向からクマが逃げていった方向を追わせることにした。


 彼らは猟師の中でももっとも老練な男を首領に選び万全な体制を取らせて追撃に向かわせた。


 クマは山中でときおり見かけることがあっても、決して人を襲うことはなかった。


 なぜならリューペック村の猟師は毒矢を使うからだ。


 その毒の恐怖にクマは人を恐れ子連れの母グマでもない限り人など襲わない。


「チキショウ。オラとこの馬や牛は食われ損か、やぁい……」


 愚痴る男を尻目に村長たちは適度な慰めの言葉をかけたが、安楽な考え――つまり猟師たちは早々に牛馬を襲ったクマを討ち取って村に引き上げてくるものだと思い込んでいたのだが、約束の三日経っても、さらに五日を過ぎてもひとりとして帰ってこない。


 これはもうおかしいということで、ルタンペックの街にある冒険者ギルドに所属する名うての魔獣狩りに長けた男たちを十人ほど追加で頼んだが、これらもことごとく帰ってこない。


 リューペックの村長にも近在で有数の村であるという強烈な自尊心があった。


 たかだかクマ一頭のために領主に討伐隊派遣を乞うなどということは絶対にできかねた。


 ここに至っては、出稼ぎに出た男衆を呼び戻し村総出でクマ狩りを行おうと決議を行ったその日、最悪な結末を迎えることとなった。


 その漆黒の魔獣は白昼堂々なんら人間を恐れることなく山を下りて村落を襲ったのだ。


 体長五メートルを超え、重さは数トンはあろうかという漆黒の毛並みを持つ魔獣は半ば悪夢のような形で堂々と防御柵を破壊し縦横無尽に村中を暴れ回った。


 折しも楽しい昼食どきである。


 貧しいながらも家族団欒を行うため、火を使って暖を取りつつ行っていたことが裏目に出た。


 暴れまわるクマは逃げ回る村民を嘲るように追いかけ回し、羽虫を潰すように殺傷した。


 このクマにとっては人間の家屋など蟻の巣と大差なく、家屋に片っ端から入り口を破壊して入り込み、多数の失火を起こさせた。


 リューペック村は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


 強靭な爪で身体を引き千切られ戯れに頭をかじられ、のしかかられて圧死する。


 村人たちの素朴な家々は舐めるような紅蓮の炎に舐め上げられ、隣接した密集地帯であることも災いし飛び散る火の粉はすべてを業火のうずに巻き込んでいった。


 並外れた体躯を持つバケモノクマは外形的にはジャイアントバグベアという魔獣の類にあることで知られる極めつけの大物だった。


 バグベアというロムレス固有のクマは身体中に虫食いのような斑点が散らばっていることと、四本の前足と、二本の後ろ足を持っていることで知られていた。


 魔獣といっても基本的な性質はツキノワグマやヒグマと変わらない。


 冬になれば冬眠するし、食物の嗜好や行動パターンは普通のクマと大差がないものだ。


 そもそもがおかしいのは、このジャイアントバグベアはこの地方に生息しない中央及び南方の固有種なのである。


 この白昼の惨劇でリューペック村は壊滅した。


 火に巻かれ、あるいは魔獣の爪にかけられ死んだものたちは百二十八名を数えた。






「なんて惨いことを……」


 ラランド公爵の娘であるアリエル・デュ・ラランドは子飼いの騎士と百近い兵を引き連れ見聞に訪れ、想像した以上の被害に絶句していた。


 美しい蜂蜜色の髪と深い森を思わせる緑の瞳を持つ彼女はエルフ族特有の長い耳を震わせ、小さな白い鈴のイヤリングをかすかに鳴らしていた。


 父である侯爵はもっばら都の城に詰めており、領地を治める代官はいるものの彼らは基本的に多数いる村民の命など木っ端程度にしか思っていなかった。


 だが、この地で生まれ十六になる今日まで、田畑と森の恩恵を享受してきたアリエルにとって、この暴挙は許しがたい行為であった。


 元より姫騎士と称され弓と剣の腕は並みの男の騎士ではかなわないほど達者な彼女である。


 普段はその美貌に相応しい貴婦人たる面持ちや所作であるが一旦火がつけば父である侯爵ですら手のつけられぬ暴れ馬となる性格だ。


(だからあれほど小まめに領地を見回って害獣を征伐することが肝要と進言していたのに!)


 ラランド領だけにいえることではないが、とかく山野には魔獣が跋扈しているのがこの大陸の特徴だ。


 さらにつけ加えるとアリエルは先年幼馴染であった騎士のホルベアを領地見回りの際に失っていた。


 彼女はホルベアに淡い恋心を抱いており、いつかは彼といっしょになれる日を少女らしい気持ちで甘やかに夢見ていただけに、今回の惨劇は峻烈過ぎた。


「アリエルさま。ご命令通り陣営をこの先に据えました」


「ありがとうギルベール。すぐ移動します」


 栗毛の馬を駆って報告したのはアリエルがもっとも信頼するダークエルフの騎士でギルベール・プチといった。褐色の肌に黒髪と黒の瞳が美しい彼女はアリエルの侍女の役目も果たし、十年来の友でもあった。


「本当に酷すぎますね。これというのも、この村の男たちが情けないからでありますよ」


「そういうふうにいうのは酷でしょう。彼らのほとんどは老年か幼少です。戦える年ではありません」


「それでも男であるならば踏みとどまって戦うべきだと思いますよ、私は」


 ギルベールは着ぶくれした上着からもわかるほど豊満な乳房をゆさゆさ揺らしながらそういい放った。


 彼女は幼い頃から身体の発達が同年代より早かった。


 豊かな姿態を粘ついた視線で見られることが多く、自然と男をことごとく見下す癖がついてしまった悲しき十九歳だ。抜群の器量を持っているのに浮いた噂ひとつ聞かない。悲運であった。


「アリエルさま。今回のことは、ま、私に任せてください。エルフのお家芸である弓の腕前を魔獣にとくと味わわせてあげますよ。むっふう。待ってろよう、バケモノクマめぇ――!」


 ギルベールは腕まくりをして気勢を上げているが、弓の腕前は不思議なくらいノーコンであった。


 彼女はそういったドジっ子具合を騎士たちに陰で揶揄されているのを知らない。


 アリエルはいつも通りの表情を取り繕うのに苦心する。


「それではギルベールはいつも通り皆に秘伝のお茶を淹れることに腐心してください」


「ま、まーかせてくださ……え。ちょっと! アリエルさま? お茶よりも弓の腕前をですね」


「あなたはお茶」


「ううう、酷いです。アリエルしゃまぁ」


 アリエルは空回りしつつあるギルベールを振り切るようにして馬首を陣営の方角に巡らせた。



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