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06「クマ料理」

 確かにロボの剣技は凄い。


 講談の武芸者が目の前に降り立ったかのような際立った腕前だった。


 塙団右衛門か後藤又兵衛か――。

 スゲェ剣法だな。


 だが毛皮の商品価値を下げぬ猟法としてはいささか不適格であるとしかいえない。


 以上のことをオブラートに包んでやんわりと伝えるとロボはたちまちピンと立てていた尾を尻の間に巻き込んで、くふんと悲し気な声を漏らした。


「それを先に申せ。わかっておったのなら突きで仕留めたものを」


 もっとも銃を使わずにクマをこれからもとるというのであればロボの力は必要不可欠である。


 権左が熊槍を使うよりも武芸に秀でたロボに任せたほうがよっぽど効率がいい。


 確かにロボは山のことに関しては素人だ。


 彼ひとりで山をさまよっても運がよければ山鳥の数羽が手に入るか入らないかというくらいだ。


 ここはむしろ職能を分担するべきである。


 クマの穴倉を権左が見つけ、這い出てきた始末はロボがつける。


 ここで権左がマタギであるというメンツを意地でも立て通す性格であれば猟の効率化は図られることはなかっただろうが、村における財政の立て直しの一環が主眼であることを第一に考えればそのような些末なことは弊履のように捨て去ることができるのが権左のすぐれた部分であった。


 穴倉を見つける。追い立てる。クマをとる。


 実に単純かつ奥深い穴熊猟へと真摯に取り組んだ結

 果、この日権左たちは七頭ものクマを斃すことに成功した。


 大量の獲物を得たのち権左たちはわずかばかりの休憩を取った。


 歩いていればそれほど気にならない雪の寒さも止まった途端芯から冷える。


 権左はいともたやすく雪山の中から枯れ枝を集めてくると手慣れた仕草で火打石をこすってたき火を作った。


「ふわぁ。戦場で慣れているとはいえ、止まると寒さが骨身に染みるの」


「爺さん。とりあえず腹ン中になんか入れろ。食ってりゃ凍えることはねぇさ」


 権左は腰袋から煎り豆を取り出すとロボに手渡し無心に貪りはじめた。


 家でリュチカに渡された固くなったパンを炙る。


 よく噛んで唾液を引き出していると、すぐそばの裏で小さな獣がウロチョロするのが目に入った。


(ムジナかタヌキか?)


 熊槍を持ったまま素早く樹木の裏手に隠れた獣を突こうと回り込む。権左はパンを咥えたまま槍でひと突きにしようと身構えたがその奇妙な獣を直視して驚きの声を上げた。


「な、なんだこりゃあ」


「お。珍しいの。ホタルタヌキじゃて。近頃とんと見ることはのうなったが」


 ロボは干し肉をもごもご噛みながらのんきそうにいった。


 基本的にタヌキのフォルムをしているが頭の部分からはちょろんと管のようなものが生えてその先に小さな丸い球がくっついている。大きさは三〇センチくらいのつがいだろうか。権左の槍の穂先を目にし恐怖でその場に固まっていた。


「ホタルタヌキだって……?」


「ほ。なんじゃ。儂がゴンザに山で教えることができるとはの。こいつらはどこの山にも一年中おるわ。夜になるとその球をぴかぴか光らせているからすぐわかるんじゃ」


「いや、だから知らないって。こんな生きもの」


「儂も若いころ試しに一度だけ食ったことがあるが肉がマズくて臭い上に腹を強烈に下しての。取るだけ無駄じゃ。余計な殺生はせんほうがええ」


「俺だってマズいってわかってる獲物を取ったりはしないよ」


 頭上からチョウチンアンコウのような電球をぶら下げたホタルタヌキはどことなく愛嬌があって、クマが大量に獲れた今となっては興味も沸かない獣だった。


 権左が熊槍を戻してたき火に戻ると、自分たちが害されないとわかったのかホタルタヌキのつがいは興味深そうに近寄って来た。


「コイツら。まるで人を恐れていないな。おら、食うか」


「物好きじゃのう」


 権左は余ったパンを放ってやるとホタルタヌキはがつがつと争って喰った。


 冬山など基本的に食料には乏しいのだ。人懐っこいのはよかったが、権左はもれなくタヌキは臭いという事実を思い知らされロボといっしょに激しく閉口するハメに陥った。






 やはりこのあたりにはあまり猟師自体が存在していないのだろうか、クマの数は異様なまでに多いといえた。


 大猟に越したことはないのだが、これだけの数をとると山から下ろすのが一苦労であるが、ここでもまた活躍したのは老齢に似合わぬロボの超人的な膂力であった。


 一頭二百キロを超えるクマを担いできた橇に乗せて下ろす手際とスピードは体力に自信があった権左の予想を超えるものであった。


「若いもんがそんな元気のないことでどうするのじゃ。ホラ、急げ急げ」


「ンなこといわれても。爺さんほとんどバケモンだな」


 ロボは橇に二頭を乗せて背には一頭を担ぎ、あっという間に山を下りてゆく。


 権左も負けじと力こぶを作って相当に重いクマを山から担ぎ下ろしたのであるが、結果としては七頭のうち運べたのは二頭だけで残りはすべてロボが運びきってしまった。


 野ウサギ狩りと同じときのように村はにわかにお祭り騒ぎとなった。


 子供たちは「肉が食える」という一点に集中して村内を走り回り、大人たちは人垣を作って珍しそうに広場の中央へと並べられたクマを感嘆の表情で見つめていた。


 獲物を解体することをマタギは「ケボカイ」といった。


 正規の手法をとるのであれば幾つもの順序で行わなければならないが、この村の人間はマタギ云々以前に人種すら違う。


 権左は細かいことをいっても仕方ないと割り切って、淡々とクマを処理していった。


 クマの頭を北に向け腹に枝を一本置き呪文を唱えた。


「あぶらうんけんそわか」


 クマを仰向けに寝かせて四肢を押さえ、顎下から腹まで刃を入れてゆく。


 毛皮は剥ぎ方やなめし方で値が違ってくるので、ここは権左の腕前の見せどころであった。


 くるりくるりと綺麗に皮を剥がすとあらかじめ作っておいた枠木に張りつけ塩を揉み込み、小刀で丁寧に脂肪分を取り除いておく。


 皮を剥ぎ終わったら枝肉、ロース、バラ、内臓、脂肪と取り分ける。


 一番高価といわれる胆は肝臓についているので胆汁がこぼれださぬよう慎重に取りはずしてとっておく。


(やはりまだ小さいな。高値はつかないぜ、こりゃ)


 冬眠したばかりのクマの胆は秋口に蓄えられた食物を消化するために使っているので、かなり小さい。


 クマの胆が一番大きくなるのは胃の内容物を消化しきって肥大した春ごろを待たなければならない。


 権左も薬効成分の高い熊胆の大きさは元より期待していなかったので、それほど落胆はしていなかった。


 権左は最初の一頭だけ手本を見せて解体を行うと、残りは村人が競うようにして手伝ってくれた。


 食肉加工をやっていた人間が何人かいたので思っていたよりも作業はずっとスムーズに進んでいった。


 みなが争って作業に協力したのはおこぼれをいただこうという必死の表れである。


 ほとんどが街衆であり、またそれほど若くもない老齢の人間たちにとっては冬場はロクな産業のない新興の村においては特にやることもなく手持無沙汰なのだ。


 話を聞くと皮革の工房に努めていた中年男性が数人いたのでクマの毛皮のなめしはその男たちに頼むことにした。


 リュチカはすぐそばで権左の作業を見守ってはいたが、空気を読んでひとことも口を挟むことはしなかった。


 そもそもマタギにとっては女は穢れなのである。通常、猟に入る前には妻とは同衾をさけるなど徹底して女性忌避をとることを義務づけられていた。


 権左としては山の神は女性神であるといわれてもリアリスティックに考えて迷信だとしか思えないが、幼少から染みついたシキタリは早々に思想の根底から排除することが難しいものだった。


 クマの解体の途中、腹腔に溜まった血を椀ですくって飲んだ。クマの生血は身体があたたまり疲労が取れるといわれておりマタギであるならば当然の行為であるが、それを見ていた周りの人間たちは解体する手を止めてギョッとした顔つきをした。


「なんじゃそれは美味いのかの」


 唯一、元軍人であったロボだけが豪胆にも鼻をヒクつかせながら興味深げに権左の手元を覗き込んで来た。


「クマの血は身体があったまるし疲れも取れる。アンタも一杯どうだ」


「む。いただくとするか」


 ロボはなにか楽しげに血がつがれた椀を受け取ると、ひと息にそれを干した。そしてなんともいえないような顔で眉間にシワを寄せた。


「どうだい。お上品な爺さんの口にゃ合わんかったか」


「抜かせ。味がどうこうよりも、なにかこう下ッ腹が疼いて久々に女が恋しゅうなったわ」


 見守っていた村人たちからどっと笑い声が上がった。


「……ロボ爺さまのばか」


 解体が終わればあとはお楽しみのクマ肉料理である。


 気が早い年寄りは酒を持ちより、すでにいっぱいきこしめしている方々は赤ら顔で権左の手元を注視していた。


 子供たちは子供たちで静かに列を作って権左の前に並んでいた。


「まだ気が早いから。ちょっと待ってろ」


 今回は七頭も取れたので肉や骨の量はかなり多かった。


 余った分は干肉にでもするとしてクマ肉鍋を作ることにした。


 実のところクマ肉とは非常に美味である。


 赤身で歯ごたえがしっかりしており、噛めば噛むほどに味わい深いのが特徴だ。


 今日のような厳寒の日であってもクマ汁さえ飲めば身体の底からポカポカとあたたまり精力はついて病気知らずといったところだ。


 クマ肉は骨ごと鍋にぶち込んでコトコトと煮るだけである。


 骨の髄からエキスが染み出し、切った大根を入れておくと味が染みてえもいわれぬほど美味いのだ。


「ちゃんとみんなの分もありますから並んでくださいねー」


 リュチカや女衆たちが鍋の前に立って列に並ぶ村人たちへとクマ汁を配っている。


 権左は作業でいくらかだるくなった手を長々と伸ばすと広場に設置された長椅子に腰かけ、ふうと息を吐き出した。


「ゴンザ、ウサギも美味かったがクマってのも案外イケるもんだな」


「あんたにゃガキも世話になってるし、ロボ村長やリュチカお嬢といっしょに食ってくれよ」


「はい、これおまえさんの肌着だよ。余りもんで悪いんだけどね。上手く縫えたと思うんで使ってみておくれな」


「どうやらおれが打った刀が役に立ったみてぇだな。ドワーフとして鼻がたけェぜ」


 座っているだけで村人たちは権左の膝の上に次々と贈り物を積んでゆく。


 彼らの中にはすでに権左を余所者として扱う態度はもう微塵もなかった。


「お、おい。ちょっと待ってくれ。これじゃあ、前が見えない」


 村人たちの贈り物は金額にすれば微々たるものであるが、このようななにもない場所でせめてもの感謝の気持ちを表したいと素朴な熱が籠っており権左の胸にあたたかいものがじんわりと広がるのだった。


「なんじゃなんじゃ。モテモテじゃな、ゴンザよ」


「ロボじぃか。どうでもいいがこれを下ろしてくんねェかな」


「照れるな照れな。村人たちもおまえに感謝しておるのだ。贈り物としては取るに足らぬものであろうが、彼らの気持ちを幾分なりとも汲んでもらえればまとめ役として儂もうれしいわい」


「もう充分感謝しているよ、俺は」


 丸一日中ほとんど飯も口にせずクマをとって明け方までかかってクマを里まで引き下ろし、そのまま一睡もせずに解体を行った。


 身体は丈夫でひと晩ふた晩寝ずともどうとでもない権左であるが、こうやって自分が取ったクマを多数の人間によろこばれるのはほとんどはじめてであった。


 考えれば故郷の秋田でマタギをやっていた頃は、鳥も通わぬ山奥の小屋で祖父とふたりきりで暮らし、取った獲物はその場でさばいて喰らうのが常だった。


 この亜人村は貧しいのだ。それも各地の寄り集まりであり、ともに育ったわけでもない彼らが仲よくしているのはあまり不思議にも思えなかった理由がある。


 彼らはみな等しく善人で――弱いのだ。


 寄り集まらなければ生きてゆけないことを知っている。


(でなければ俺のような人間が受け入れられるわけもないのだろう)


 権左が膝の上に乗せられた村人たちからの供物を机の上に移動させていると、椀を持った小さな四、五歳ほどのエルフの女児がととっと近寄り正面に立つとジッとこちらを見上げてきた。


「な、なんだよ。クマ汁は美味いか」

「ふぅん。顔に傷はあるけど、かなり男前ね」


 女児は青い瞳を細めて値踏みするように権左を見つめている。


「……どうも」

「腕も悪くない。ふむ」


 ――年の割にはやたらと大人びた口調で喋る子だな。


 そう思っていると、娘はちょいちょいと手招きして権左に顔を寄せるよう指示した。


「ん。だからなんだ。ナイショ話かな」


「あなたはこの村じゃ珍しく見どころがありそうだから、将来あたしのお婿さんにしてあげるわ!」


「あ、はい」


 エルフの少女はサラと名乗るとそう耳打ちして権左の頬にちゅっとかわいらしキスをした。


 権左が驚いて顔を上げるとサラは素早くその場から駆け去って遠くで手を振りながら投げキッスを行っていた。


「はぁ。異人の娘っ子ってのはおませなもんだな」


 金色の髪に瞳の青い少女は長ずれば美女になるだろう請け合いであったが、権左からしてみればどこかくすぐったく自分に娘がいればあんなものだろうかと思うほかなかった。


「ゴンザさま」

「ってリュチカさんか! びっくりした」


 気づけば背後にはリュチカが音もなく立っていた。


 権左が気を抜いていたとはいえ、突然声をかけられたにしては驚き過ぎかなと、少しばかり恥ずかしく感じ無意識のうちに顎先を指先の爪で掻いてしまう。


「まずは猟が無事に終わり村のものとして厚く感謝を申し上げる次第でございます」


「え、ええ。ああ、うん。ってリュチカさん。なんか留守中あったのかな」


「なにもありませんよ」


「え。てか、すっごく表情が暗いんだけど。なんかあったのかなぁと」


「それよりも。確かゴンザさまはおひとりでいらっしゃると聞いていたのですが、それは間違いないですよね」


 リュチカは妻女の有無を訊ねているのだ。そういえば以前そんな話をしたような気がする。


「ひとり? あぁ、えーと確かに俺はひとりもんだけどさ」


「さっきの話、悪いとは思ったのですが立ち聞きしてしまいました」


「さっきの話って」


「とぼけないでください。あのエルフの娘がゴンザさまに、申したことは――」


 すぐそばでニヤニヤ聞いていたロボが途端に血相を変えてリュチカを引っ張ると権左から離れてひそひそやり出した。


 理由はよくわからないがリュチカはリュチカでいろいろと思うことがあるのだろう。


 しばらくするといつも通りの笑顔でそばに佇むリュチカがあって権左はなぜか憔悴しきったロボをいぶかしがりながらも、椀に盛ったクマ肉と格闘を続けた。



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