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05「穴熊狩り」

 いくら野ウサギが取りやすいからといってもそればかりでは熊撃ち権左の名が廃る。


 亜人村に逗留するようになってから、約一か月半。


 戦場で受けた傷はほぼふさがり依然と同じく動けるようになった権左は軽いフラストレーションを抱えていた。


 ――クマを撃ちたい。


 その強い欲求が山に入るたび胸を熱く焦がした。今日も今日とてロボを連れて野ウサギ狩りに精を出すのであるが、心はここにあらずであった。


 ロボは六十過ぎの高齢であるが勘所は悪くなかった。


 少しばかりわらだ猟のやり方を教えればたちどころにコツを掴み、今では権左がなにかを手伝うこともなく一度に十羽やそこらは取れるようになっていた。


「ほうれ見ろ。今朝も大猟じゃわい」


 片手に三羽ほど耳をまとめて持ってぶら下げるロボは権左の微細な表情の陰りに気づいたのか片眉を上げ、いぶかるように鼻を鳴らした。


「なんじゃ。いい若いもんが腹でも減ったのかの?」

「いや、メシはさっき食ったばっかりだし」


「じゃあ腹でも痛いんか。そこらで出してこい」

「シモ関係の話はしてねぇんだけど」


 露骨に顔へと出ていたのだろうか。隠してもあまり意味のないことだ。そう思った権左は不思議そうにしているロボへとクマ撃ちの思いを端的に告げた。


「なんじゃそんなことか。獲物はデカいほうがいいわ。儂は賛成じゃな」


 特に反対されると思ってはいなかったが諸手を上げて歓迎されると若干調子が狂った。


 そうと決まれば野ウサギ狩りも適当に切り上げ村へ戻ってクマ撃ちの準備に取りかからねばならない。


 権左はロボとともに村へ戻るとこまごまとした道具の取り揃えに終始した。


 銃を使うかどうかは最後まで迷ったが、やはり弾数の限られていることを思えば迷いが生じてしまう。


 マタギであった祖父は主に火縄銃や熊槍(タテ)を使って至近距離からツキノワグマを仕留めていた。


 権左も山刀(ナガサ)と呼ばれる刃渡り七寸(約二十センチ)ほどの片刃の刃物でクマを幾度か仕留めたことがあるが、それはあくまで銃器で仕留め損ねたり弾切れになったときの緊急手段であった。


 山仕事をするマタギにとって山刀は必要不可欠な道具である。実のところ権左はウサギの毛皮を売った収入で村の刀鍛冶に特別注文のフクロナガサと呼ばれるものを打ってもらってありその点においては問題はなかった。


 フクロナガサは柄が筒状になっており、状況に応じてナナカマドの杖にすげて目釘を打ち熊槍に変えることのできる便利なものだ。


 山刀はマタギが山に入る際腰につける万能的な刃物である。分厚い出刃のような形状をした山刀は藪漕ぎの枝払いや獲物の解体から料理、戦闘にまで使える必須アイテムである。


 丹念に鍛造された山刀は村の刀鍛冶であるドワーフ族のジュフロアという男が腕によりをかけて作ってくれた。


 というのも、権左がよく面倒を見ていた子供たちのうちにジュフロアのひとり息子がおり、彼はよほど権左にかわいがられたのがうれしかったのか実父へそのことをしょっちゅう話していたことが功を奏したのだった。


 ドワーフ族とは平均百四十センチ程度の短躯であるが実に筋肉質かつ手先の器用な亜人である。


 作られたばかりの山刀は芸術品といっていいくらいの出来栄えで、実用的かつ名工が持ちうる技術を結晶させた逸品だった。


 権左のあまりハッキリしない説明から地元で使っていたものと遜色のないフォルムの山刀を作り上げるジュフロアの腕前は神懸かり的な腕であるといっていい。ジュフロアは権左が代金を支払うといってもそれを受け取ることと頑なに拒んだ。


 権左は軍帽に防寒外套を着て装備一式を整えるとロボを従え入山した。


 ジュフロアに代金を受け取ってもらえぬというのであればせめて獲物で――と固く誓って来た手前、ボウズで山を下りることはできない。


「是非とも大物をとって帰らなきゃな」


 山は本格的な冬に入っていたので場所によっては腰のあたりまで沈むほど雪が積もっている。


 六十を超えるロボの老体ではキツいだろうと背後を振り返りながら移動するが、どうして中々年寄りのくせに足は達者だった。


「はっ。この痺れるような空気がたまらんのう」


 巨体を揺すりながら白い息を宙に拡散させうれしそうに目をしばたかせている。


 本人曰く「若い頃から軍隊で鍛えている」といっていたのは大言壮語ではなかった。


「つらくなったら遠慮せずいってくれ。足をゆるめる」

「なぁに、若いもんにはまだまだ負けんわい」


 ロボは巨大な橇を背負って腰には長大な幅広の剣を佩いていた。本人は若い頃素手で大虎の首根っこを捕まえて刺し殺したと豪語していた。


 どこまで本当の話かはわからないが少なくとも膂力においては充分頼りになるだろう。権左も片手にはナナカマドで作った二メートルほどの杖を持っている。

 今回のクマ猟はすべてこれで仕留めるつもりだった。


 クマ猟とは基本、初冬から春先にかけて行われる。


 クマは冬になれば冬眠して穴倉で春になるまでトロトロと眠りにつく。


 岩穴などで冬眠しているクマを狩るのが「穴熊狩り」であり、冬眠から覚めて穴倉から出たクマを狩ることを「出熊狩り」という。


 秋グマも狩ることがないわけではないのだが、下草が多く雪の積もらない秋山で狩りをすることは相当に難しい。


 クマを見つけても繁った樹木や下草に隠れて鉄砲で仕留めることが容易ではないからだ。


「にしてもゴンザよ。本当にこの山にクマがおるのかの。儂たちはちょくちょく山に入っておるが出くわすことなぞなかったんじゃが」


「そりゃ爺さんの探し方が悪かったてのもあるだろうが、基本的にクマってのは臆病な生きものだからな」


「クマが臆病? あんなデカいやつらが」


 クマという生き物は基本的に人間という生物を恐れ切っている。登山で山を数十年やっていても一度も見たことがないという人間がほとんどなくらいだ。


 彼らは人間が発する音を耳にすると素早くその場を離れてまず近づこうとしない。


 積極的に人間への接触を試みるクマというのは好奇心旺盛な若いクマがほとんどで年のいった身体の大きなクマほど知恵があり人をさける傾向があった。


 権左がこの時期行っているのは「穴熊狩り」である。


 秋口に冬眠に備えてナラの実やシイの実、山ブドウやアケビや栗などを貪って肉をつけたクマは脂肪分がたっぷりで余すところなく活用できる。


 脂肪の乗り切ったクマは四、五ヵ月に及ぶ寒気と飢えに耐えて冬眠することができるようになるが、彼らの冬眠は蛇やカエルなどが行うものとは違って仮死状態になるわけではない。


 穴の中で身を横たえてウツラウツラ仮眠しているくらいなものなのだ。当然近くで衝撃や大きな音が起きれば驚いて穴から飛び出て来る。


 穴熊狩りとはこういったクマの性質を利用し飛び出てきた獲物を仕留めるマタギの猟法であった。


 クマ肉は美味いし精がつく。毛皮は防寒用に高値で売却でき、熊胆は極めて薬効の高い貴重な薬として取引されていた。


 権左は傾斜の急になってゆく雪山をいとも簡単に登りながら四方に視線を巡らせた。


 日が進むにつれて山はドンドンと雪深くなってゆく。


 あつらえておいたカンジキがなければ場所によって

 は歩行が不可能になりつつあった。


 カンジキとは雪上歩行に要する必須アイテムである。曲げて拵えた木の輪っかでこれを靴に装着して歩くことで沈みがちなやわらかな雪の上で浮力を得ることができる。これがあるとないとでは歩行スピードや肉体に疲労に格段の差が生まれるのだ。


「どこを見回ればいいのかのう」

「アタリやカジリを見るんだよ」


 アタリとはクマが木の幹につけた爪痕であり、カジリは木などをクマがかじって残し噛み跡のことである。


 クマは穴に入る前、一種のテリトリー宣言として周囲の木の幹をかじって跡を鮮明に残す習慣がある。


 素人目に山を見ても違いというものはあまりわからない。


 その点、老齢なロボは憐れなほどに長らく街で暮らした都会人であった。


 山に入った権左は野生の獣のように延々と続く雪景色と地上に顔を出している無数の木々をいとも容易く記憶してしまう。


 理屈ではなく感性で地形を覚えることに関して、権左は野生の獣の並みであった。


 先頭を歩いていた権左はクマの痕跡を見つけるとその場で止まってロボにもわかるよう位置を手にした杖で指し示した。


「ロボ爺。アレを見てくれ。クマのかじったあとが見える。クマってのは穴に籠る前、進みながら噛み跡を木につけてゆく。ほら、あんな梢の高い場所にあるだろう。クマは冬眠する穴の近くになるにつれかじる位置を低く、弱くしてゆく。理由はイマイチわかっていないがそういう習性なんだ。俺たちはその跡をゆっくり追ってゆけばいいだけの話だ」


「た、確かに。じゃが、ゴンザにいわれなければ気づかぬ場所じゃのう」


「こっからは口を利くな。クマに気づかれる」


 ――いいネダカスだ。


 権左はクマが潜んでいるであろう穴倉を見つけると、ニッとわずかであるが口角を上げた。


 クマが冬眠する穴にも幾つかの種類がある。


 ジアナ(地面にある穴)、イワナ(岩窟へ自然発生した穴)、フカブリ(土をかぶっている木の穴)、アオリ(山の傾斜に生えた大木が雪で傾きゆるんでできた穴)、タカス(木の上方にできた空洞)、ネダカス(木の空洞で根の近くにある穴)などだ。


 権左は爛々と目を輝かせてネダカスへと顔を近づけてゆく。ロボがギョッとした顔で飛び出してくるのを片手で制止した。


 クマ穴ってのは覗いてみれば使用しているかどうかは、近くの状況で判別がつくものだ。


 権左が穴倉に顔を突っ込むとムッとした強烈な獣臭が鼻を突いた。


 幼少の頃から嗅ぎ慣れたこの臭気を忘れようはずもない。


 ――間違いなくこの中にイタヅがいやがる。


 イタヅとは山ことばでクマのことを意味する。


 クマを外へと誘い出してからが勝負だ。権左はナナカマドの杖の先端へと山刀をすげて熊槍にすると目でロボへと抜剣するように合図を送った。


 ロボも心得たもので自慢の大剣を引き抜くとクマがいつ出てきてもいいように水平へと構えた。


 権左は用意しておいた木切れを穴倉の入口へと矢来のように立ててゆく。それから近場で刈り取った三メートルほどの長さもあろう枝付きの木の棒を巣穴へそろそろと差し込んでいった。


 腹の底に響くような不機嫌な唸り声が鳴り出した。

 クマがまどろみをおかされて怒っているのだ。


 権左は身を低くしていつでも熊槍を取れるような位置で棒を奥へ奥へ突っ込んでゆくと、穴倉の中で巨体が動く音が聞こえた。


 権左が入り口に組んでおいた木切れをドンドン巣穴の奥へと引き込んでいっているのだ。たちまちに矢来が崩されぽっかりと空間ができる。権左は矢来がなくなると同時に再び木切れを入り口に突き刺して、その場を離れ、この行為を何度も何度も繰り返した。


 クマは木切れをひたすら手前に引き込んでゆく。


 そのうちに巣穴は木切れでいっぱいになり、深さは嫌でも浅くなる。


 クマというものは入り口の邪魔っけな木切れを巣穴の奥へ引き込むことはあっても、外へ出すということはしないものだ。やがては巣穴は木切れで一杯になりクマはやむを得ず外に這い出して来る。


 これはクマの習性を知り尽くしたマタギの知恵であった。


(おら。怒れ、イタヅ。怒って出てこい――!)


 権左がトドメとばかりに枝棒を使って穴倉にアオリを入れるとついにはクマが怒り心頭に達して巣穴から飛び出して来た。


 目前いっぱいに巨大な黒の弾丸が迫った。

 熊槍を握り締めて体勢を低く落とした。

 思っていた以上に凄まじい突進力だった。


 きらりと輝いた切っ先がずくりとクマの心臓を抉ったかに見えた。


 わずかに狙いがそれたのかクマの突撃は減ずることがない。


 穴の中の獲物は思っていたほど大きくはなかった。


 もっともそんなことは関係なしに権左の心中は澄み切って酷く落ち着いていた。


 ――引くか、それとも押し切るか。


 刹那の間、権左の思考が脳裏を走るよりも早く後方で待機していたロボが巨体を躍らせて前に出た。


 ロボが手にしているのは分厚いナタのように身がある長剣だった。


「むん」


 ロボが低い声で唸った。

 権左はロボに比べれば遥かに軽量級だ。


 体重一〇〇キロを超すであろうロボに弾き出されて横に吹っ飛ぶ。


 ロボは立ち上がった三メートルを超す大クマに対峙すると諸手で握った長剣をずいと上から下へ振り抜いた。


 老年にしては凄まじい膂力である。


 ゴッ、とクマの頭蓋が鳴る音がして巨大な頭部が真っ二つとなった。


 真っ赤な血煙が立ってあたりの雪を汚した。


 ロボは素早くバックステップを刻むとなんでもないことを行うように長剣をすくい上げるようにしてクマの喉元へ放った。


 ぼんっ


 と音がしてクマの首は血煙を上げ虚空に舞い上った。


(なんて、ジジィだ。オイ)


 権左はロボがじゃれつく仔犬をあしらうように巨大ともいえるヒグマの首をすっ飛ばすのを見て名状し難い震えが全身に走るのを感じていた。


 瞬間的、つまりは二、三秒のうちに首なしとなったクマはよたよたと数歩前進すると、真っ白な雪煙を上げてどうと地に倒れ伏した。


「カカッ。どうじゃゴンザ! 山のことはちぃともわからんが五十年近く戦場で鍛えた我が剣は年をとっても衰えを知らぬぞ」


「確かにスゲェ。スゲェよ爺さん。けどよ……」

「ん?」


 首なし死体となったクマは胸元のあたりまで深く切り下げられ毛皮がズタズタになっていた。


 おまけに滝のように噴き出した血潮の海に沈んで濡れそぼっている。


「これじゃあ毛皮が売り物にならないんだよな」



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