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04「ウサギの一匹食い」

 翌朝。


 権左はまだ夜が明ける前に起き出すと、身繕いを整えて山に向かった。


 ロボに借りた木古しの上っ張りを引っかけ、手には昨晩夜なべして作った猟の道具を携える。


 幸いといっていいか、山はまだ完全に雪化粧されていない。それほど山奥までゆくつもりはないので、薄着でも問題ないと判断したのだ。


「こんな朝早くにどちらへ行かれるのですか」

「山だ」

「山へなにをなさりに?」


「ぶらからしてくるべ」

「ぶらから?」


 リュチカが丸まっこい瞳で聞き返した。


「……ちょっと足の運動にぶらぶらしてきます」

「お気をつけてー」

「いってきます」


 それだけいうと、権左は手を振るリュチカを残して入山した。


 亜人村の裏手を進むとほどなく白い雪をチラホラかぶったブナ林が見えてきた。


 それほど標高がある山とは思えないが土地勘のない場所である。


 注意深くあたりに生えている樹々の生え具合や、遠くに見える山塊の形を頭に叩き込んで登った。


 マタギは地図など見ない。獲物を追うときにイチイチそんなものを確認していたら仕事にならないからだ。


(とはいえ俺も本調子ではない。今日は肩慣らし程度とゆこうか)


 平地と山地で使う人間の筋肉はまったく違う。常人が日頃心がけて平野の走り込みなどをしてもほとんど役立たないのが山というものだ。


 特に季節がこれから本格的な冬に向かうであろうこの時期は夏山とはまったく次元の違う技量が必要とされるのだ。


 明治の粗食を強いられる一般庶民とは違って権左は山で取った獲物の肉をよく喰らうため体格がよかったため大食であった。


 ややもするとカロリー過多になってしまう傾向があり、大怪我で身体を絞れたことはよろこんでよいかどうか複雑であった。


 権左は半月ほど伏していたため、従軍していたときよりも四、五キロ落ちて体重は五十五、六キロになっていたが山で狩りをするなら適正といえた。


 一七三センチ五十五キロといえば全身筋肉の塊である。ギリギリまで絞って持久力を落とさない限界だった。パッと見は飢えた狼のように痩せこけているが肥るよりはマシなのだ。


 肥ったマタギは「捨てマタギ」といわれ腰や膝へと負担がモロに来て、猟の途中で必ずバテた。


 そういった場合、マタギが集団で行う巻き狩りにおいては頭領(シカリ)に待機命令を受け強烈な屈辱を強いられることとなる。


 腹八分目にして適正体重を維持するのはマタギにおいてあたりまえのことでだった。


 ずいぶんと身体を動かしていないのですぐに息が切れてきた。これでもかなり遅いスペースで歩いていたつもりだったが筋力の衰え具合はかなりのものだった。


 薄雪に覆われた白い斜面を登りながら、同時に木立に目を配って進む。空が気持ちいいくらいに青い。ここが日本であろうがなかろうが、山に入れば権左はそれだけで満足だった。


 村の人間たちは元々が街衆が多く、薪拾い程度に山へ入っているようだが頻度は驚くほど少ない。道の荒れ具合ですぐわかった。


 常人では判別できな獣道をすいすいと歩く。基本的に山の獣も歩きやすい場所を歩くので見る人間がわかるものだ。


「あまり雪が積もらなかったのも助かったな」


 権左は昨夜作った「わらだ」を背中から下ろすと、ふっと息を吐き出した。


 わらだとは文字通りわらやブドウのつるを鍋敷のようにドーナツ状に編み、中央に竹やナラの枝を通して二カ所で固定し持ち手を伸ばした猟具である。


 作るのはたいして難しくなく二十分もあれば作成可能だった。


 本来ならば鉄砲の弾を撃ち尽くしたときに、あたりの材料を使って即興的に拵えるものであるが、権左は三十年式歩兵銃の弾を節約したいために、昨晩作っておいた。


 わらだの直径は四、五十センチ程度である。これをどのように使うかといえば、雪原や開けた場所で放り投げてウサギを追い立てるためである。


 本日の獲物は野ウサギである。


 野ウサギは「ウサギの一匹食い」と呼ばれるほど捨てるところがない。


 肉、骨、内臓、目玉は余すことなく食べられるし、毛皮は防寒具や小物に加工できる。


 熊撃ちである権左も野生に跋扈する野ウサギをもっとも多く狩った。


 彼らは畑の作物を荒らしたり、果樹の新芽をかじる害獣の一種である。


 銃の弾には限りがあるので、自作した「わらだ」を使用する。


 野ウサギを捕獲する方法は銃や罠以外に、このわらだを使った猟がもっともリーズナブルであった。


 冬のウサギは保護色で茶褐色の濃い色から白くなっているのでよほどの熟達者でも見つけ出すのは難しい。


「そらよっと」


 わらだは宙に投げ飛ばすと鷹や鳶の羽音に似たものを発する。


 野にいるウサギはこの音を敏感に聞きつけ素早く逃げ出し巣穴に逃げ込む。


 それを捕まえようという至極単純な猟法である。


 ウサギは基本的に夜行性なので、朝方は睡魔が襲い動きが鈍るのだ。


 権左が朝、暗いうちに出かけたのはそのためでもあった。


 わらだは冷気でピンと張り詰めた山の空を猛禽類の羽音に似た唸りを発しながら滑空した。


「出やがったな」


 権左の視力は大陸の原住民より遥かにすぐれている。泡を喰って逃げ出すウサギを追っかけ巣穴を見つけると、両手を素早く突っ込んだ。


 ウサギも朝方のまどろみを侵され生命の危機に瀕しているので穴を掘って逃げようとしたり、後足で蹴りつけたり指先を必死に噛んできたりする。


「い、いだっ。かじるな、この――!」


 だが飢えたるゴンザたちにとってウサギたちは重要なタンパク源だった。


「往生しろや」


 素早くウサギの足を捕らえて引き出し首を捩じって殺した。


 野ウサギは昼間は雪洞の中でトロトロと寝ているが、半覚醒状態でありちょっとした足音や人間の体臭で目を覚ましてしまう。


 新規の山ゆえに土地勘はそれほどないものの、権左の獲物を見分ける嗅覚と注意力は常人とは隔絶していた。


 ちょっとした新雪の乱れ具合を瞬時に見分けることができる。


 もっともウサギの足跡は独特で前足をそろえるように縦にしてつき、跳び箱を飛ぶようにして後足を前に出して着地するのでわかりやすいといえばわかりやすかった。


「んじゃま、片っ端から捕まえてみるか」


 再びわらだを放った。


 地面のすぐ上を這うようにわらだが走ると隠れていたウサギが身体を震わせ遁走をはじめる。


 ウサギは怯えて姿を現すと素早く駆けて巣穴に走った。


 権左は雪を蹴って斜面をすべるように走ると、足で雪を蹴り飛ばしてウサギを雪で穴の中に押し込めた。


 こうすれば余所へ逃げ出すことはできない。袋のネズミならぬウサギである。


 権左はリハビリも兼ねた山歩きでたちまちにして、十六羽ほどのウサギを捕獲した。


 持参したズタ袋に放り込むと急いで村に戻った。


 雪は膝丈程度であるが雪山を歩き慣れている権左にとっては普段と変わりなどない。


 むしろ錆びついていた身体を動かせたおかげか、やや調子を取り戻し来たときの半分の近くで村に戻れた。


 家の扉の前に立ってふと気づいた。確かに大猟であったが、年頃のリュチカがウサギをよろこぶのかどうか――。


 考えれば限られた商売女以外とはロクに話したこともない権左にそこまで細かなことに気を回す余裕はなかったが、ことここにいたって急に気づいてしまうのがうぶな証拠だった。


 いろいろなもやもやが浮かんでしまうと権左は身体が固まって地蔵のようになる性質があった。


「あら、ゴンザさま。お早いお戻りで――あっ! すごい。これは、ウサギさんですかっ」


「え、あ、うーん。そうだ」


 リュチカは権左の杞憂など素知らぬ顔できゃあきゃあ声を上げると戸口でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。


 よっぽどうれしいのか、頭上の犬耳はピンと突っ立って尻の尾は千切れんばかりに左右にぶんぶん振られている。


「ゴンザさまは猟の達人なんですね。ロボはかわいらしい山鳩くらいしかとって来れませんのに」


「ウサギはさ、捨てるところがないくらいみんな食べられるし、ほら、毛皮は剥げば銭コになると思って。俺、リュチカさんたちに世話になりっぱなしだからさ」


「ゴンザさま。リュチカはうれしゅうございます。でも、そのお気持ちだけでけっこうですので。ね」


 リュチカが目を細めてにっこりと笑う。次いで背後から多人数の強烈な視線を感じ、首だけ振り返ると昨日まとわりついて来た子供たちが目を輝かせながらこちらを見つめていた。


「じゃあ、今日のところは俺に腕を振るわせてくれよ」


 そういって手招きすると、待っていたかのように子供たちがわらわらっと集まってズタ袋に群がった。


「すげー。これぜんぶウサギなのー」

「ゴンザー。これどうすんだー。食べれるのかー」

「あたしお肉食べたーい」


「待ってろボウズども。今料理してやっから」


 ウサギは肉が少ないが、骨、皮、内臓と余すところなく活用できるので十六羽も取れれば相当な食べでがある万能な山の恵みである。


 権左はまわりをチョロチョロする子供たちを遠ざけるとウサギを近くの物干しに吊るした。


「おい、おまえら。家から小刀と斧を持って来い。いいところを喰わせてやる」


「うんっ」

「ぼくんちにもあるよー」


 おすそ分けが貰えると知ってか、子供たちの動きは素早かった。


 瞬く間に権左の前へと堆く刃物類が積まれた。


「こんなにはいらんのだが、まあいいか」


 家の前で小さなカマドを作って火を焚き鉄瓶で熱湯を拵える。子供たちが用意した刃物類を煮沸消毒するとウサギの解体のはじまりだ。


 ウサギは頭を下にしてうしろ足一本をひもで結んで吊るしておく。


 権左は宙吊りになったウサギの白い毛皮をまるで着物を脱がすようにするりと剥いでゆく。


 まな板の上で腹を裂いて内臓を抜き、肉を切り分け骨をはずす。


 大きな胃を切り裂くと未消化な草が盛り上がるようにして外に出て来る。


 関節は固いので、ナタでバンバン骨ごと砕いてゆく。


 グラグラ煮立った鍋の湯のなかへ真っ赤な肉や骨をぶち込む。


 時間をかけて煮込むとたっぷりとアクが出るのでこまめにすくう。


 血や内臓が入っているのでウサギのいいダシがたっぷりと出てくるのだ。


 塩を振り入れて味を調える。


 煮込んでゆく途中でウサギ独特の乳製品に似た匂いが漂いはじめる。


「おし。できたぞ。おまえら椀持って来い――」


 そういって振り向くとすでに権左のうしろにはよだれを浮かべながら整列している子供たちの姿があった。


 十六羽も取れたのだ。すべて調理してしまえば相当な量になる。


 権左は気前よく差し出された子供たちの椀にウサギ汁を入れてやると、日々飢えに苛まれていたのだろうか、子供たちは争うようにして突如として出現したご馳走に舌鼓を打った。


「な、なんじゃ。この獲物の量は!」


 権左から遅れて入山していたのだろうか。毛皮を着込んだロボが手にした小ぶりな山鳥を持ったまま山と積まれているウサギを見て驚きの声を上げていた。


「……儂は、半日かかって、一羽しか取れなんだというに」


 権左はしょんぼりして尾を垂れ下げているロボへと出来立てのウサギ汁の椀を手渡して、ぽんぽんと肩を叩いた。


「う、美味いのう」


「ロボの爺さん。アンタはどうも猟に関しては詳しくないようだが、これからは俺に任せてくれればいい」


「う、ううむ」


 ロボの太い眉毛が八の字に曲がるが致し方ない。狩りはノウハウのない素人が行ってもどうにもならないものだ。


 ウサギ鍋の肉はけっこう硬いが子供たちやゾロゾロ寄り集まって来た年寄り連中も歯がいいのか、骨にまとわりついた肉を嬉々としてかじって引っぺがし咀嚼している。


 権左は半分をそのまま鍋にして、もう半分はまな板の上において、ナタで細かく叩き潰した。


 肉と骨と内臓を細かく丹念に潰してミンチにする。


「ゴンザさま。それはわたしがやりますので」


 見ているだけでは手持無沙汰だったのか、途中でリュチカが代わってくれた。彼女は中々力強いリズムで包丁とナタを使ってウサギ肉をミンチにすると、権左の指示どおり捏ねた肉団子を拵え上げた。


「調理用の油があったはずだから、揚げ物にしよう。とっても美味しいぞ」


「はいっ」


 リュチカは鍋に油を入れてグラグラ煮立たせると、繋ぎに小麦粉を使ってボール状にしたウサギ団子を投入しはじめた。


 ジジジ、とこんがり揚がった肉団子のフライを大きめの皿に移して、塩を軽く振って味を調える。


 厳寒の青空の下、揚がったばかりの肉団子は湯気を立てて香ばしい匂いだけで口中に唾液が広がってゆく。


 気づけば村人のほとんどがロボの家の軒先に集まっていた。


 年寄りたちは濁り酒を杯に酌み交わし、すでにいい気持になっている様子だった。


 誰かが指示を出したというわけでもないのに、それぞれが食物を持ち寄って外に出したテーブルの上に並べて互いにつつき合っている。


 子供たちはリュチカが肉団子のフライを皿に移すなり即座に自分の皿に取って熱い肉汁に目を白黒させていた。


 尾を持つコボルトの幼い姉妹などは、ちょっと背の高いテーブルの上に両手をかけ、しっぽをふりふりしながら互いに肉団子を仲よく分け合っていた。


 この一件で権左の存在は村へと完全に受け入れられた。もはや彼がひとりで村をうろついていても向こうから気安くあいさつをしてくるし、子供たちにとっては「美味しいご飯をくれるお兄ちゃん」と認識されたのか姿を見つかるだけで追いかけ回される始末である。


 祖父と自分とふたりきりで阿仁の山を彷徨し獲物を取っていたときとは雲泥の差がある厚遇ぶりである。


 その日から一週間ほど山に入って連日ウサギを狩った。当然ながらロボも権左と同行し、その卓越した猟の腕前を見るなり完全に心服したのか山では完全に主従の形ができあがりつつあった。


 七日で二百を超えるウサギを狩ったので付随して良質な毛皮が権左たちの手には残ることとなった。


 もちろん権左はこの毛皮を私することなくロボに頼んで街の毛皮商人へと売ってもらい、少なくない金を手に入れることができた。


 現代とは違ってこの世界において動物の毛皮以外に寒さをしのぐ方法はない。代用繊維などもちろんこと開発されておらず、綺麗に剥かれたウサギの白い毛皮は中々に好評だった。


 その夜はロボが街へと毛皮を売った金で穀物や防寒着を多数仕入れてきたちょっとした祝いをしていた。


 豪勢とはいえないまでも、リュチカの心づくしの手料理に舌鼓を打ち、権左も久しぶりに酒杯を傾けいい気持になっていると、向き合って絨毯に腰を下ろしていたロボが手にしていた革袋を目の前にどしりと置いた。


「こいつは?」


「ゴンザが取った毛皮を売った金の一部だ。半分以上は好意に甘えて食料や雑貨の購入にあてさせてもらったがのう。それでも、相当残っている。これは主が受け取る権利があるものじゃ」


 権左は革袋の口を開くと中身に手を突っ込んだ。


 指先にはつまみ上げられた見たことのない銅貨や銀貨がたっぷりと入っていた。


「お主のおかげで村のみなに行き渡るほどではないが、最低限の衣服や雑貨が買えたのじゃ。食料などの備蓄もわずかばかりであるが手に入った。ロクに働けぬ老人や女子供たちがどれだけ助かったことか。村民に代わって礼を申し上げる」


「そういえばロボ爺は村長だったもんな」


「そんな大層なものではない。儂はただのお節介焼きのジジィじゃ」


「受け取らなきゃ納得しないんだろうからとりあえずは、な」


 権左はジャリジャリとこすれ合って鳴る銭の袋を持ち上げてゆすると、隣にいたリュチカを手招きした。


 リュチカはよく訓練された犬のように頭上の犬耳をぴこぴこ動かして素早くいざり寄って来る。


「なんでしょうか、ゴンザさま」


「ち、顔が近い――いやさ。これリュチカさん預かっててくれないか? 俺が持ってても使いようがないしな」


「ゴンザさま」


「タダ飯くらいっても気が引けるもんだ。家賃代わりにすべて渡してもいいんだけど、あそこの年寄りは承知しないだろうからな」


「おい、ゴンザ。儂はのう――」


「わかりました。お爺さまは頭が固いってことをリュチカはよぅく知っておりますから」


 リュチカがそういうとロボは困ったように唇を尖らせ、節くれ立った指で顎鬚を掻き出した。


「預けるといっても、金なんか俺にはどうだっていいものだ。リュチカさんが必要だと思うことがあれば遠慮なく使ってくれて構わない」


「わかりました。わたしのことをそれほど信頼していただけるというのであれば、このリュチカ全身全霊を持って預からせていただきます。必要になったら遠慮なく仰ってくださいね」


 ――この程度で世話になった恩義が返せたとは思えない。権左は真っ直ぐなリュチカの視線とその輝きに一種の美を見出した心地で手にした酒杯の中身を勢いよく呷った。




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