19「転章」
そして権左は最後の一匹の喉笛を掻っ切ると激しく喘ぎながら静かに横たわった。
牛のような巨体を長々と伸ばして絶命するボスオオカミをはじめとして八匹の骸が散らばっている。
出血が止まったのは寒さのせいだろうか。
少なくとも尻に敷く雪からは染み入るはずの冷たさはまるで感じていなかった。
満身創痍というのはこのことをいうだろう。
権左の身体はそこらじゅうに噛み傷を負い血達磨になっていた。
樹木に背を預けたままふっふっと湯気のような呼吸を繰り返す。
幸か不幸かもっとも重傷だったはずの腹部からはあれほどの激闘でも腸が漏れ出すことはなかった。
天が生きろといっているのか――。
ぼんやりとしたまま夜空に映し出されたまん丸な月を見るにつけリュチカの屈託ない笑顔だけが脳裏に去来する。
「いい、女だったな」
いつもそうだ。
俺という男はなにもかもが終わったあとに大切なことに気づくんだ。
できうるならば、リュチカのようなやさしい娘を嫁にして所帯を持つ。
いや、どうせ権左という男は不完全極まりなく菩薩のようなあの娘にはふさわしくない。
すぐそばで、彼女が微笑むのを眺めることができたら。
きっとそれだけで生きてゆく甲斐というものはあっただろうに。
権左は右手を上げて自分の凍ったまつ毛の氷を払おうとしたとき、ようやく銃剣を握りしめたままであったことに気づき苦笑した。
あの戦いで死んだつもりだった。
その余りのような命であの怪物を斃し彼女のためにこの地を安寧にできたのなら、それほどい悪くない人生だったと胸を張っていえるだろう。
二〇三高地で散っていった戦友たちを思った。
自分は命永らえて彼らよりもよほど楽しい余暇を過ごすことができた。
「南無阿弥陀仏……」
どうか極楽に行けますようにと母が口にしていた念仏を唱えてみる。
――酷く安からかな心持ちになれた。
再び降り出した細やかな雪がひとりの戦士を静かに埋めていった。